猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

ねこさんのあつまりたいおきもち

2022-06-09 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

ぼくはさきごろ、ねこさんくさをまんぞくに
めしあがらせないしもべにたえかねて、
そのへんにあったはなとやらをかみちぎってはぽいを
三度ほどおこないました。

ぼくのおくちは、あまりのまずさにびっくりいたしまして、
ぼくはおめめをあけたまま、おねんねすることになりました。

おめめをあけたままおねんねすることは、しもべをたいそう
おびえさせることができるようです。


こんかいは、ねこさんのあつまりについてしるすつもりです。

みなさんは、ねこさんのあつまりをたいけんしたことはありますか。

おたくに、ごじぶんしかねこさんがいないうえに
おそとにおでかけをしないねこさんですと、
これまでいちどもたいけんしたことがないかもしれません。

じゆうにおでかけできるねこさんや、
ぼくのようにかつてじゆうねこさんだったときがあったり、
いまのおたくにごじぶんいがいのねこさんがいたり、
いまはいなくてもかつていたことのあるねこさんでしたら、
かならずいちどはたいけんしたことがあるでしょう。

そして、ねこさんのあつまりを
たいけんしたことのないねこさんであっても、
たいけんしたことがあるねこさんであっても、
かならず、あつまりたいきもちが
おさえきれなくなるのがねこさんというものです。

これは、ねこさんがおひさまとたわむれたいきもちを
おさえられないのとおなじで、
ねこさんとしてうまれたからには
もうどうしようもないことなのです。

ぼくがはじめてねこさんのあつまりをたいけんしたのは
とくべつちいさなこねこさんのころでした。
ようやくおかあにゃんのうしろを、ついあるけるようになった、
まだしっぽっぽがさんかくのころのことです。

いうまでもありませんが、
ねこさんのあつまりでは
ねこさんどうしがふれることはありません。

なぜならば、ねこさんのあつまりは、ごじぶんのおけなみの、
すわかりかたやころがりかたでかわるさまを
みなさんにおみせしたり、
ごじぶんのしっぽっぽのきょうの様子おみせしたり、
(しっぽっぽのしつけは、このときのためにひつようなのです。)、
ほかのねこさんのおけなみの柄のしんぴに
しゅくふくのぐーぐー音をおくったり、
しっぽっぽの、さまざまなこせいに嘆息のぐーぐー音を
もらしたりするためにありますから、
その場を共有するすべてのねこさんのおすがたをみえるように、
おのおのがおのおののしかいをさえぎらないよう、
ねこさん的ディスタンスにはいりょがひつようだからです。

また、さわがしくしてもいけません。
あつまりが佳境にさしかかりますと、ねこさんがねこさんを
たたえるぐーぐー音で場はみたされてゆきます。
ぐーぐー音がほうわてんをむかえたとき、
あつまりのクライマックスがおとずれます。
クライマックスでは、あつまったみなさんで
ぐーぐー音をひとつにし、
その場にいるみなさんのいのちをまぜまぜし、
まざりあったいのちは、またそれぞれのねこさんに
かえっていきます。
ぐーぐー音が一つになるのをじゃまになりますから、
さわがしくしてはならないのです。

しかし、とくべつにちいさなこねこさんだけは
ねこさん的ディスタンスをまもらなくても、
さわがしくしても、
マナー違反にはなりません。

ねこさんは、とくべつちいさなこねこさんが
そういうものであるとわかっていますので、
とくべつちいさなこねこさんらしくふるまうことで、
なにかおとがめをすることはありませんね。

ぼくと、くろ氏も、そのようなおとしごろのときに
ねこさんのあつまりをはつたいけんしたことになります。

おかあにゃんは、ぼくたちにおちちをくださるときの
しせいでころがり、おなかの、ゆかいなぶちもようを
おみせしていました。

いつもでしたら、ぼくらふたりはおちちとみれば
とびつくこねこさんでしたが、このときだけは
おとなのねこさんにちかづいたことがうれしくて、
わくわくしてしまったので、
おちちなどにはおめめもくれず
ぼくらふたりがげんきよくからまっているところをおみせしたり、
こねこさんだけにゆるされたおうたを
ごひろうしたりしてすごしました。

しばらくしますと、場にはぐーぐー音が響き渡り、
みなさんのぐーぐー音をきいていたら
ぼくらはねむくなりましたから
おかあにゃんのふところにもどりまして、
ぐーぐーすることにしました。

みなさんのぐーぐー音が一つになると
ぼくはぼくのおからだからとけだしまして
とてもおだやかな、ゆらゆらしたものになりました。

いくときがすぎたか、きづけばおかあにゃんが
ぼくらのおけなみをととのえてくれていました。
ぐーぐー音を一つにしたよいんは、
ぼくをいつまでもみたされたおきもちにしてくれました。


それ以降なんどかおかあにゃんと一緒に、
しもべをもつようになってからも
しばらくはくろ氏やちいさなみけのおんなのこねこさんと
あつまりをひらいていました。

しかしだいぶむかしに、
ぼくはおたくにごじぶんだけしかいないねこさんに
なりました。
そのとうしょ、あっとうてきなあつまり不足に
ぼくはしんこくにさいなまれました。

そんなぼくが、あつまりたいおきもちを
いまどのようにみたしているとおもいますか?

きっとぼくとおなじように、
さいなまれているねこさんもいると思うのです。

ぼくは、かんがえに考えたすえ、
ひとすじのひかりをみいだしました。

おたくにねこさんはいなくても、
ぼくにはしもべがいる!!

ねこさんによく似たおきものなどを
あいてにためしてみましたが、うまくいきませんでした。
そこで、しもべにおめめをつけた、というわけです。
おすがたが似てるかどうかより
いきているかどうかのほうがだいじなようです。

しもべはねこさんではないので、あつまりの
マナーをいちからおしえなければなりませんが、
できるようにさせさえすれば、
ねこさんのあつまりをじゅうぶんさいでんできると
おやくそくできますから、くじけずおしえこみましょう。

今回、すべてをかききるのには
少し長くなりすぎるようです。
次回、しもべをあつまれるしもべにするやりかたを
くわしくご紹介することにしましょう。

それでは、また。



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