
ねこのみなさんごきげんよう。
ぼくのうちなるライオンさんは
いままさにときをむかえ、
ぼくにさえとどめることはできません。
うちなるライオンさんは
おひさまのちからとともにおめめざめして
おたけびしかけまわることもあれば
やみにまぎれてながれこむまがまがしきけはいに
するどくいかくしとびまわることもあります。
ですのでぼくの声帯とおひざはそろそろげんかいです。
さてこのたびおはなしいたしますのは、
またたびにたいするしもべのたいどについて
ながねんおぼえてきたいわかんについてです。
そのいわかんの正体がようやくわかりましたので
ごひろういたしましょう。
*。・.゜:゜。*・†゜・゜:゜🐾`∞´・˚。:..*・。.:*゜。
しべがぼくからまたたびをとりあげるとき
いつも「またたびちゅうどくになるといかんで、もうおわり」
といいます。
また、ぼくがまたたびをけはいをさっちし
またたびのほんたいをたんさくしていますと
「きのうまたたびしたでしょ、ちゅうどくになるできょうはなし」
といったりして、そういうときはかならず
またたびほんたいにそうぐうできません。
ぼくがいわかんをおぼえていたのは、
またたびちゅうどくになる
という、このいみです。
ぼくもしもべをもって16ねんほどになりますから
このちゅうどく、といういみもこころえています。
ちゅうどくとは、それがないとごじぶんで
ごじぶんをつかまえておけない、そういうことです。
ごじぶんでごじぶんをつかまえておけないとは、
つまりねこさんのうちなるライオンさがおめめざめ
しているじょうたいとおなじことですが、
このじょうたいに、それがないことによって
なってしまうということです。
しもべたちヒト族においては、さまざまな
ちゅうどくがあり、だいひょうてきなものは
ねこさんちゅうどくですね。
しもべたちは、ねこさんがいなければ
おおよそごじぶんでいることはできず、
ねこさんがいればこそようやく
しごともできるし、ひとづきあいもできる
というものです。
さあ、ここまでおよみになったら
ぼくのいわかんがなにか
よくよくおわかりになるでしょう。
そうなのです。
ねこさんはまたたびちゅうどくになるわけがないのですから。
どうしてこのようなごかいをしもべはするのでしょうか。
ぼくは、いろいろなかのうせいをぎんみし、
ひとつのけつろんをえました。
そのヒントとなったのは、
ねこさんとまたたびのかんけいを
ヒト族と酒のかんけいになぞらえている
つぶやきでした。
みなさんのしもべが酒を嗜むタイプの
ヒト族でしたら、酒をのんだしもべが
どうなるかよくかんさつしてみましょう。
だらしなく手足をのばしたり、目がとろんとしたり
ゆらゆらゆれたり、あるくのにもよけいな
ステップがふえたり、とつぜんしもべの巣で
ごろんとしてしょうたいふめいになることがありますね。
ヒト族からすると、またたびをまえにしたねこさんは
このような、酒を摂取したヒト族とそっくりにみえるようです。
ほんとうに、ぼくはヒト族におどろかされてばかりです。
ねこさんとおなじように二つのおめめがありますのに
それはやくにたっていないようですね、といいたいのを
がまんするのがせいいっぱいです。
またたびをみてねこさんがころんころんするのは
またたびにふくまれるマタタビラクトンとかアクチニジンとか
Βーフェノキシエタノールとかいう成分をじょび器官で
かんちするからではないのです。
おおきなおつむとたくさんのじかんと資材やらをつぎこんで
なんというけんとうちがいをするのでしょうか。
ねこのみなさんにいまさらいうことではないですが、
ねこさんがまたたびをまえにしてころんころんしてしまうのは
うんどうかいで優勝するととびあがってよろこんでしまう
ヒト族でいえばそうこととおなじですね。
その昔、ねこさんが存在するようになってから
しもべをもつようになるまでずっと、
またたびはでんせつの果実でした。
とういうのも、このよにねこさんをもたらした存在は
いちばんはじめのねこさんがにゃーといったことに満足し、
またたびという果実をおててにしたねこさんは
あまねくせかいもおててにいれるだろうとつげたと
いう伝説があるからです。
それから、いろんなねこさんがまたたびをもとめ
たびにでました。
おおくのゆうかんなねこさんは帰ることはありませんでしたが、
いくらかのねこさんはまたたびを発見することができました。
その、発見できたよろこびのあまり、ねこさんはころんころん
していしまいます。
さっこんではこのようなきけんをおかさずとも
しもべたちがまたたびをはこんでくるのですが、
またたびとであえたよろこびは
ねこさんのDNAにふかくきざみこまれており
ほとんど脊髄反射とかわらない素早さで正確に、また確実に
ころんころんをひきだしてしまいます。
ですからヒト族がおちいる
酒中毒のようなことにはけっして
ならないのですが、しもべたちにはどうも
りかいができないようですね。
このごかいを、どうするべきか
ぼくはかんがえあぐねています。
またたびをまえにしたねこさんと
酒を摂取したヒト族をおなじにされるのは
はなはだいかんですが、だからといって
ねこさんくさとちがい、フリーダムまたたび
にはすこしもんだいがあるようにもおもうのです。
ぼくはかつて、まいにちまたたびを
たのしんでいたひびがあります。
ぼくのおきにいりは、またたびの原木です。
そのひしもべはぼくがまたたびをたのしんだあと、
またたびをしまいわすれたので、ぼくは
ぼくだけのばしょにしまっておいて
ひまみてはとりだし、またたびをみつけた
よろこびにみたされていました。
そんなことをなんにちもつづけていましたら
あるひ、心の臓がかつてないはやさで
リズムをきざみはじめ、ぼくはおどろいて
おもわずしもべをよびました。
しもべはころがるようにしてぼくのところに
やってきましたが、しもべになすすべもなく
ぼくをなでくりまわすのがせいいっぱいでした。
ぼくのおめめのくろいところは
まんげつのおおきさでしたし、
おくちからもれるぼくのおたけびは
ちのそこをはうようなものでした。
しっぽっぽもきんちょうして、ピーンと
なっていたようです。
しばらくしましたら、心の臓はおちつきましたが、
それいらいしもべのまたたびかんりは
きびしくなりました。
ちゅうどくにはなりませんが、
あまりよろこびがおおすぎても
いけないみたいだとぼくはしっているのです。
なのでこのまま、ちゅうどくがあると
ごかいさせておいたほうが
ねこさんのあんぜんにはよいのかもしれません。
さて、さいごに。
ねこさんをこのようにもたらしたそんざいの
おつげは、真実のようだといまにいきる
ねこさんはきづいています。
このよはねこさんのものになりつつあります
からね。
これからのねこさんはきっと
真実だったと実感する日がくるのでしょう。
とてもよいみらいですね。
↓ぼくのまたたびの舞です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます