猫語のブログ〜ねこさんの、ぼくによる、ねこさんのためのよみもの〜

「猫語の教科書」をだいざいに、しもべいくせいほうほうなど。

ねこさんのかなでる“にゃーん”のこと

2023-06-18 | 日記
ねこのみなさんごきげんよう。

“にゃーん”とは、ねこさんのかなでる音色を、
しもべたちにんげんがあらわすときに
つかうことばです。

あえてこのことばをつかうなら、
ぼくはねこさんがにゃーんというときのことをおもうと、
そのけなげさにいつもおみみがぱたぱたします。

どんなにかそけきにゃーんであっても、
ねこさんはまず息を吸っておなかの、
あんよにちかいほうに息をおくり、
そして、あんよにちかいほうのおなかに
じゅうぶんなちからをめぐらせぎゅっとすぼめて
すった息ををおせなかにおくりだし、
つぎにおむねにうつして、
そのあとかぼそいおくびのうちがわをとおしておとをうtけ
おくちからだします。

すいこむいきのおおさ、
おなかをすぼめるはやさ、
おくびのうちがわにいきをとおすときのあんばい、
またおくちのあけかたによって
おとのおおきさや音色をかえることができます。

おおきなおとにしようとおもいますと、
たくさんのちからをおなかにあつめて
すばやくすぼめて、おくちもいっぱいにひらきます。

ほんのこねこさんのうちは、
ちからのこめかたがおぼつかないので
おおきなおとをだそうとして
ころげてしまったりします。
このようなねこさんにあるまじき
おちゃおめめなごようすは
ほんのこねこさんのうちにしかおめめにかかれない、
きちょうなおすがたです。

こんかいぼくは、あえてしもべたちのことばである
にゃーんをつかいました。
しかしぼくはこのことばについて
つねづねぎもんをかんじています。

だって、ねこさんのだす音色が
こんにもたんじゅんなひょうげんで
あらわされているなんて、
なっとくがいかないのです。

ねこさんのかなでるねいろは、
うえにかいたように、
ねこさんのそのときもっているおちからを
おしげもなくつかうことによって
かなでられるものです。

そのおちからは、ちゅーるさんとかクリスピーキッスとか
まぐろとか、そのほかのごはんをおめしあがりになり
おねんねしておひさまにあたり、
しもべのいいこだねをあびることでつくりだされる
たいへんきちょうな、ねこさんを生かしめるおちからです。

このおちからは、ねこさんが
おめめをぱちりとするにも
おはなをひこひこするにも
ぐーぐーするにもひつようで、
しっぽっぽがゆらゆらするにもひつようですから
しっぽっぽにもわけてあげなければならないものです。

そのきちょうなおちからの何滴かを、ねこさんは
ねいろをかなでることにつかうときめたのです。

そうしてかなでられるねこさんのおとが、
にゃーんであらわされるとは、
あまりにもかろんじられている、
そうおもうのです。

ときにしもべが
ぼくがつづけざまにねいろをかなで
よびつけているにもかかわらず
しもべの巣からでてこないというような
ふつつかなたいどになるのは
このように、ねこさんのかなでるねいろを
こんなにたんじゅんなことばであらわしている
ためではないでしょうか。

ねこさんのかなでるおとは
こまかくぶんるいされ、
それぞれにふさわしいおなまえを
つけられてしかるべきなのです。

そうしてようやくしもべは
ねこさんのかなでるおとの
とうとうさをりかいできるものと
ぼくはおもっています。

さいきんおそとから
ほんのこねこさんや
ちいさいねこさんのかなでる
なんともいとおしいねいろが
ゆめかまぼろしのごとく
かぜにゆられてきこえてきますので、
ぼくはつよくあめのふるひに
ふとこんなことをかんがえていたのです。






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