「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

人のマイナスを受け取ること その4

2010年03月25日 09時23分51秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)
こんにちは。

人は、占いや霊能者に何を持ってくるかと言えば、他力本願にて「自分の嫌な所をなんとかしてくれ」と言いに来るんですよ。けれど、悪い事じゃないんですよ。自分の事が冷静に見れない時には、人に見てもらうとほんと、見えてこなかった視点が見えるんでね。

けれど、人を救いたいと願って、ヒーラーや霊能者志願な人は多いんですけれど、その私生活を見ると圧倒的に、親戚のつまはじき者だったり、家族から嫌われてたり、孤高すぎるのか、いつまで経っても社会の受け入れ口がないとか、所謂、実生活において、かなりな負け犬状態であると言う事は事実なんですよ。そういう人程、どういう訳か、こんなんになって、「誇示したい」「賞讃されたい」「認めて欲しい」って欲が、人の弱み分野で前面に押し出されるんですわ。

ですが、そんな人にくどくどお説教を言われても、何にも響かないのは、当たり前じゃないですか。自身に厳しくあって、周りからちゃんと評価のある人間に対して、人は「自分の嫌な所を見てくれ」と言いに行くんであってね。自身にだらしなく、日常生活自体負け犬状態ですって人からは、何の言葉が出るんでしょうね。数回通ったら、奥がなかったとか。そんな状態もあり得ますよ。

霊ってのは、説得に置いて上げるんですね。よく、調伏とか言いますけれど、その人がろくでもない人だから、力づくなんじゃないんですか。そりゃ、難しいものもいますね。けれど、ある程度は、割と根気よく、揺さぶって動かして、説得すれば上がるんですよ。けれど、現実面で何一つ、調和のないあなただったら、そりゃ見直した方がいいですねぇ。霊能力はそもそも、そんな人に身につきませんもん。

人間の世界で、足掻きもがき、苦しみ、人の助けを得る事はあっても、最後にそこから、抜け出す階段を登るのは、あなた自身の力が必要なんですよ。足掻きもがき苦しんで、霊能者や、占い師がそんなあなたを引きあげてくれるとでも思いますか。引きあげ方を教えても、あなたが、自分で泥沼から、階段を上がって行くものなんですよ。そして、自力で、一つ女神の階段を登った時に、一つ開花するのが、霊能力。で、ちまたの気功とか超能力ってのは、これはまた、問題外。

大体、泥沼から上がれるのに、霊能力なんて要らないし、霊能力があったから、泥沼から上がれると思ったら大きな間違い。霊能力は、自力で上がった人に対して与えられるものであって、自力で内部の決済もできず、相変わらず、人の間でもめてばかりいるんでは、それはそれで、やはり、相変わらず持つだけの自己になりきれていないと言う事になるのでございます。霊能力は、自己に作用せず、自己の厳しい生活を生き抜いた挙句、勝手に開花する。だから「ギフト」って遠まわしに、嫌みかと思われるように言われるんですよ。

というか、霊能力なんて、更に自分の人生に負荷をかける存在と私は認識しているんですが、どうなんですかね。超能力や、気功が、自分を救ったって事、私にはなかったんですよ。何と言っても、助かりたい一心で病院で頑張って、他の人ばかりが退院していく中で、自分はどうにもこうにも追い払われた訳ですよね。何か、自分の役に立っているかと言えば、ここ一番ではあてにならないですよ。

で、霊能力などは感覚過敏の中に入るので、過敏になると使えてくるんですけれど、一歩間違ったら、精神病と呼ばれてこれまた、大きく社会からはみ出して行くんですわ。それ程、自分の中の、誇示欲や自己顕示欲、自己愛をダイレクトに反映させるツールとして、負荷が本人にかかるものだと私は認識していますけれどね。

やりすぎたら、自分でコントロールしないと、自分の精神が持たないんですよ。それこそ Dream comes true とか言いますが、そのOver The Rainbowが、「願いが叶う世界」だけれど、実は、自分だけが叶っていると思い込んでいる「狂気の彼方」であるかもしれない危険性は常にあるんですよ。

結構、勘違いしているレイキセミナーとかありますけれど、もし本当に回路が開くセミナーだとして、開けたら、今以上の負荷がかかります。回路を開けることで、感覚過敏となり、自身が弱い精神性を持っていれば、否応なしに振り回されるんですよ。私、どうも、霊障の人でさえ、回路を敏感にさせる事があった手前上、やはり、あまり感受性が豊かな人で、精神性が伴わない状態の時には、やらない方がいいとは思うんですけれどね。

お子さんを産んできてからとか、言うのも、ある一定の不条理に対する耐性がつかないと、本人、精神振り回されっぱなしでね。その不条理に対する耐性がつきました、理不尽に耐えて見せますって人なら、無論喜んで回路を開けるとか、何だとかしますよ。んなもん、自分にとって出し惜しみもしませんよ。条件にさえ合えば、即やります。It's my pleasure (私の喜び) ですか。

けれど、未熟な精神であれば、未熟さを解消してから来いとか、先ほどの洗礼ではありませんが、厳しい言葉を乗り越えて来いってのは、精神性をタフにして、日常生活が出来てからこそ、やれる事があるんですよ。

仕事としてやるのであれば、それはそれなり以上の覚悟が必要。そして、それなり以上の厳格さが自分には必要で、研鑽ってのは、霊能力の研鑽をするより、日常生活でどんどん揉まれた方が、実はもっと開花しやすい。不条理の人間関係、自身と違う価値観の中の人関係、どんどん飛び込んで行って、それを予定調和に収める事が出来てこそ、違う面での能力も身につくんですよ。仲良しクラブで研鑽していても、何一つ伸びないのは、当たり前です。

かといって、私が世紀の不条理PTAに飛び込んで行ったのが、能力目当てかと思われると困るんですが、私は、そういう不条理に会うのが恐らく好きなんだと思います。そういう理不尽な目に遭って、その中で自分がイライラして、「おおこれは、ストレスではないか。まさに、ストレスやけ食いである(苦笑)。」と認識して、いる事自体が好きなんですよ。私は、人のまとめ役に入るのは割と得意だし、人からもそう要望はされる。けれど、向かない面はある。自分でも、そういうとこに、しゃしゃり出なかったりする。そういう時は、周りの姿勢を良く見る。勉強になる。

だから、マイナスを手放したい人も、マイナスを受け取ることを職業にしようとする人も、良く考えてください。綺麗事ではなく、楽しい事でもない。考えずに何でも与えられると思ったら大きな間違いだし、阿梵さんが幾ら過干渉でも、あまりに阿梵さんに従い過ぎたら、私だってとっくの昔に精神病んでますって。

僕と人間 時々神仏 時々心霊 時々精霊。
人間を辞めない程度に考えてください。




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2 Comments

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目が覚める気がしました (裕子)
2010-03-25 11:57:20
いつもこちらのblogには、真っ直ぐ(時にはぐっさり?)くるモノを頂いています。
この回の内容はまさに『ぐっさり』来ましたが、同時にその刺し傷から溜まった膿を出さなきゃならない…と思えてきました。
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コメントありがとうございます ()
2010-03-25 20:15:03
裕子さま

すみません。いつも歯に衣を着せるように、やんごとない言い方を心がけるつもりが、何ともグッサリ書いてしまいます。

けれど、何かがそれで、あなたの中から、変わろうと思うきっかけを導けたのであれば、本当によかったと思います。

ありがとう。
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