「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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火葬のはじまりはいつか?

2021年05月16日 14時19分22秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)

 

今はコロナ禍で、火葬場が追いつかない騒ぎである。

 

ところで、火葬は、衛生面の点から採用されただけではなく、実は深い歴史を日本は持つ。

 

続日本紀に文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍(かばね)を焼いたのが、我が国火葬の初めだとある。

文武天皇四年と言えば、700年である。この頃に初めて日本で火葬と言う概念が公に出てきたのであろう。

 

「その後僅か中一年措(お)いて大宝二年には、持統天皇は万乗の尊い御身を以って、御遺骸を荼毘に附せられ給い」とあるので、臣僚庶民の間でにおいても、奈良朝から平安朝初期の葬儀が、土葬はむしろ特別の場合だったというように見受けられる点がある。

 

火葬は、天竺すなわちインドから伝来してきた所謂風火水土の四葬のひとつであり、かの国では古くから行われてきた葬儀のひとつのスタイルであったらしい。

 

そしてその葬儀方法が、仏法と共に我が国に伝来し、入唐求法の僧侶道照によって初めて行われたと言う考えは非常に納得がいくものである。

 

しかし、本当に700年まで、日本には火葬という概念がなかったのだろうか。あくまで、続日本紀は、藤原不比等の編纂が入っているので、このような形に日本の歴史を歪めたこともあり得なくはない。

 

昔は墓に納めるというのは、貴人や富貴な人の特権であったことは否めず、この頃は、一般庶民にあっては、遺棄という形を取っていた事も実際に事実である。

 

ただし、古事記まで紐解いてみると、天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)は、妊娠した暁に、夫より、天津神の子ではないかと托卵を疑われ、誓(うけい)を以って、自ら出産の際に産屋に火を放ち、「瓊瓊杵尊の子であれば、無事生まれる事でしょう。」と出産し、当人は火に巻き込まれ自らは焼かれたとあるので、

これが元祖火葬であると言えば、この頃にはもうこのような葬法があった事を否めない。

 

しかしながら、今も昔も、神も人間も考えることは似たり寄ったりで、DNA鑑定があれば、きっと比売も命を落とさずに済んだのではないかと思うといたたまれない。

 

他にも古事記では、焼き打たれて亡くなった神が沢山いる。

 

しかし、既に縄文時代に、火葬の跡が発見されている。

ただ、日本史の編纂として、一応、日本が文明国として火葬を始めたのは、700年からですよって、そんなわけだ。

 

 

参考文献 火葬と大蔵 〜焼き屍・洗骨・散骨の風俗〜 喜田貞吉 著

 

PS

東京大学が好むような文章傾向として、過去の史歴を否定する文章が多いです。続きが読みたいって、次男にせがまれています。不謹慎すぎる忌みモノは、趣味として文献を多く所蔵する分野です。死生観の歴史含めて。流石、死神。

 

 

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