こんにちは。
長男の胃腸風邪をもらい、次男の胃腸風邪を貰う朋です。貰いモノばかりです。
さて、私、サンフランシスコから帰国後、部屋を借りたんですね。その当時は、普通にITの道を目指すだけではなく、既に欧州の顧客がいて、その人に曲を作っていたんですね。そんなに引き受けると、人間を踏み外すのでほんと少し。
ところが、家で、サウンドを入力してたりすると、ほんと(私はヘッドホンなので分からないんですが)キータッチから何でもかんでも煩いらしいんですね。故に、部屋を借りる事となったんです。その時の自分の家の近所で、あるお宅の一階部分でした。大家さんもいい人なのでいいかなと思った、その一月目。
部屋に来て、雨戸をあけていると、呼び声がするんですよ。
「XXさーん。ここに来てお茶にしない?」
最初の一回、二回位はつきあったんですが、私も元々仕事上時間が無く、行く訳ですよね。で、夜になる時もある。夜行ったら、ジャストにピンポーン鳴ってね。
「泥棒が来たかと思ってね。ねぇお茶にしない?」
と。ほんと、そうなると仕事が全くできない。大家の彼女は元々寂しい性格なので、どうしても、彼女の旦那さんが帰ってくるまでの暇つぶしに私をあてたかった。けれど、圧倒的な、いつ入った、いつ出た、音がしているわよ、いるんでしょ?って監視状態に、私自身、仕事に集中が出来なくなった。と言うよりは、もはやどこかで作った曲を、そこで入力するしかない。けれど、ヘッドフォンをかけて、一生懸命やっていた矢先に、夜、部屋で肩を叩かれた。
主人かと思って振り返ったら、ニッコリ笑った大家だった。
大家が、合鍵で、家の部屋に入り込んだんだ。もう、その時、「これは・・・」と自分で思う以上に、この大家の執念深さが怖くなった。毎月振り込みにしますと伝えても、持って来てくれと言う。段々、部屋にいられなくなった。というより、逆に何しているの?手伝ってあげると勝手に上がり込んで色々行おうとする。危ないと思った。
主人に理由を話し、父と母に応援を頼んだ。「勝手に上がり込んでくる大家がいるから、とにかくお父さん、お母さん頼む。」そう言ったら、母親は、うなずいていた。日取りを知らせずに引越しようと言う事となった。不動産屋さんは、元々父の知り合いなので、家賃がどの辺で止まるかまで、大家に内緒で手配をしてくれた。そして、当日、誰も黙ったまま、その部屋に入った。やっぱり、大家が、二階から
「XXさーん。」「XXさーん」と叫んでいる。主人も驚愕し、父母も黙ったまま、荷物を運び出した。
返事が無いのが気に障ったのか、何なのか、とにかく、運び出していく荷物の運び出される音が気になったのか、大家が飛び出てきた。
「何しているの。返事もしないで。親のようにあなたの面倒を見てあげてるって言うのに。いつだってこの所、夜は遅いし、こんな休日に音をさせないで頂戴よ。」
そこへ、母が音もなく来た。
「娘がお世話になりました。」
それ以上は有無を言わせない程の厳しさが、母にあった。それでも大家は言い続けた。「何しているんですか。家で何しているんですか。」
母は言った。「見ての通り引越です。」
そして、部屋の隅で、そのストーカーめいた行為に震えが来ている私を連れて母は、そのまま部屋のカギを閉めた。大家が、「あっ、カギ、私、貰います。」と言った瞬間、母はこう言った。
「ご存知でしょうけれど、まだ、賃料をお支払いしておりますの。終わりましたら、SS不動産さんにお返ししますね。お世話になりました。」
そうして、そのまま、荷物の半分は父のセカンドハウスに向かった。父は、呆然とする大家を尻目に、車に乗ってびくびくしている私を、見て言った。
「ありゃ、部屋案内に大家の面倒つきって書くべきだと言っておこう」
ストーカーは初めてでは無かった。けれど、おばさんの圧倒的支配に、私は怖さを覚えた。貸した物件に、最初は呼び鈴を鳴らし、そして最後、呼び鈴を鳴らさず入って来た時には、正直、法に訴える前に、既にサイコホラーを感じていた。
仕事部屋には私は凄く几帳面な特徴のある癖を残していく。ところが、毎回行くと、その癖が「残っていない」ことが最初、数回続いた後、後は全部残らないようになっていた。部屋を借りた以上、間借りではないんだから、一体自分がいない間、誰が何をしているのかと。隠しカメラもない時代、私自身は恐怖に怯えた。
母からもらった観葉植物が捨てられていたり、正直、部屋に第三者の存在を感じた。誰かが入っている。部屋にこもる湿気から考えても、私の留守中に、何回か入りこんで窓を開けている。ここは、自分の存在を守れない空間だ。合鍵をもった誰かが、人の生活に忍び込んで、人の生活を覗き見して楽しんでいる、そのサイコホラーがそこにはあった。
結局、そのひとは、トラブルがかなりあったらしい。侵入癖、監視癖があったそうだ。新入居がある度に、彼女は入り、新しい住居人の住居を見て、あちこち、気にいらないインテリアを直したそうだ。収納が足りない時には、そういうものを見つくろって来て、足して直したと言う。
自分に女の子がいたら、こうしてやりたい事もあるし、何で、一緒にご飯を食べてくれないのか、もっと自分に甘えてくれてもいいんだ。あの子は、自分の思うような時間で過ごしてくれないと、把握できない。ドンドン激高して大家が叫ぶ様を、娘の部屋になにがあったのか知りたかった父は、不動産会社の店のつい立ての向こうで聞く事となった。
そして、「なにより全てが、親切である、こんな親切な自分はいない」とわめきたてていたと言う。そして、不動産業者は、その人に、貸し部屋のあり方を説明し、私は、彼女の書生ではないし、昔の下宿のような、間借り人ではないのだと強く主張した。父は帰ってきて言った。「お前、あれはな、かなり危なかった。そのまま逃げて良かったよ。」
その後の入居人の話は一切聞かない。
朋
長男の胃腸風邪をもらい、次男の胃腸風邪を貰う朋です。貰いモノばかりです。
さて、私、サンフランシスコから帰国後、部屋を借りたんですね。その当時は、普通にITの道を目指すだけではなく、既に欧州の顧客がいて、その人に曲を作っていたんですね。そんなに引き受けると、人間を踏み外すのでほんと少し。
ところが、家で、サウンドを入力してたりすると、ほんと(私はヘッドホンなので分からないんですが)キータッチから何でもかんでも煩いらしいんですね。故に、部屋を借りる事となったんです。その時の自分の家の近所で、あるお宅の一階部分でした。大家さんもいい人なのでいいかなと思った、その一月目。
部屋に来て、雨戸をあけていると、呼び声がするんですよ。
「XXさーん。ここに来てお茶にしない?」
最初の一回、二回位はつきあったんですが、私も元々仕事上時間が無く、行く訳ですよね。で、夜になる時もある。夜行ったら、ジャストにピンポーン鳴ってね。
「泥棒が来たかと思ってね。ねぇお茶にしない?」
と。ほんと、そうなると仕事が全くできない。大家の彼女は元々寂しい性格なので、どうしても、彼女の旦那さんが帰ってくるまでの暇つぶしに私をあてたかった。けれど、圧倒的な、いつ入った、いつ出た、音がしているわよ、いるんでしょ?って監視状態に、私自身、仕事に集中が出来なくなった。と言うよりは、もはやどこかで作った曲を、そこで入力するしかない。けれど、ヘッドフォンをかけて、一生懸命やっていた矢先に、夜、部屋で肩を叩かれた。
主人かと思って振り返ったら、ニッコリ笑った大家だった。
大家が、合鍵で、家の部屋に入り込んだんだ。もう、その時、「これは・・・」と自分で思う以上に、この大家の執念深さが怖くなった。毎月振り込みにしますと伝えても、持って来てくれと言う。段々、部屋にいられなくなった。というより、逆に何しているの?手伝ってあげると勝手に上がり込んで色々行おうとする。危ないと思った。
主人に理由を話し、父と母に応援を頼んだ。「勝手に上がり込んでくる大家がいるから、とにかくお父さん、お母さん頼む。」そう言ったら、母親は、うなずいていた。日取りを知らせずに引越しようと言う事となった。不動産屋さんは、元々父の知り合いなので、家賃がどの辺で止まるかまで、大家に内緒で手配をしてくれた。そして、当日、誰も黙ったまま、その部屋に入った。やっぱり、大家が、二階から
「XXさーん。」「XXさーん」と叫んでいる。主人も驚愕し、父母も黙ったまま、荷物を運び出した。
返事が無いのが気に障ったのか、何なのか、とにかく、運び出していく荷物の運び出される音が気になったのか、大家が飛び出てきた。
「何しているの。返事もしないで。親のようにあなたの面倒を見てあげてるって言うのに。いつだってこの所、夜は遅いし、こんな休日に音をさせないで頂戴よ。」
そこへ、母が音もなく来た。
「娘がお世話になりました。」
それ以上は有無を言わせない程の厳しさが、母にあった。それでも大家は言い続けた。「何しているんですか。家で何しているんですか。」
母は言った。「見ての通り引越です。」
そして、部屋の隅で、そのストーカーめいた行為に震えが来ている私を連れて母は、そのまま部屋のカギを閉めた。大家が、「あっ、カギ、私、貰います。」と言った瞬間、母はこう言った。
「ご存知でしょうけれど、まだ、賃料をお支払いしておりますの。終わりましたら、SS不動産さんにお返ししますね。お世話になりました。」
そうして、そのまま、荷物の半分は父のセカンドハウスに向かった。父は、呆然とする大家を尻目に、車に乗ってびくびくしている私を、見て言った。
「ありゃ、部屋案内に大家の面倒つきって書くべきだと言っておこう」
ストーカーは初めてでは無かった。けれど、おばさんの圧倒的支配に、私は怖さを覚えた。貸した物件に、最初は呼び鈴を鳴らし、そして最後、呼び鈴を鳴らさず入って来た時には、正直、法に訴える前に、既にサイコホラーを感じていた。
仕事部屋には私は凄く几帳面な特徴のある癖を残していく。ところが、毎回行くと、その癖が「残っていない」ことが最初、数回続いた後、後は全部残らないようになっていた。部屋を借りた以上、間借りではないんだから、一体自分がいない間、誰が何をしているのかと。隠しカメラもない時代、私自身は恐怖に怯えた。
母からもらった観葉植物が捨てられていたり、正直、部屋に第三者の存在を感じた。誰かが入っている。部屋にこもる湿気から考えても、私の留守中に、何回か入りこんで窓を開けている。ここは、自分の存在を守れない空間だ。合鍵をもった誰かが、人の生活に忍び込んで、人の生活を覗き見して楽しんでいる、そのサイコホラーがそこにはあった。
結局、そのひとは、トラブルがかなりあったらしい。侵入癖、監視癖があったそうだ。新入居がある度に、彼女は入り、新しい住居人の住居を見て、あちこち、気にいらないインテリアを直したそうだ。収納が足りない時には、そういうものを見つくろって来て、足して直したと言う。
自分に女の子がいたら、こうしてやりたい事もあるし、何で、一緒にご飯を食べてくれないのか、もっと自分に甘えてくれてもいいんだ。あの子は、自分の思うような時間で過ごしてくれないと、把握できない。ドンドン激高して大家が叫ぶ様を、娘の部屋になにがあったのか知りたかった父は、不動産会社の店のつい立ての向こうで聞く事となった。
そして、「なにより全てが、親切である、こんな親切な自分はいない」とわめきたてていたと言う。そして、不動産業者は、その人に、貸し部屋のあり方を説明し、私は、彼女の書生ではないし、昔の下宿のような、間借り人ではないのだと強く主張した。父は帰ってきて言った。「お前、あれはな、かなり危なかった。そのまま逃げて良かったよ。」
その後の入居人の話は一切聞かない。
朋
>東京大神宮は九段・富士見町界隈にあって、神楽坂はお堀の外。土地のカラーも全然違うし。
うん。今日近くまで行ってみて思った。そう言われてみれば、内堀外堀。カラーも違いますね。とは言えど、ちょっと心中複雑。
外国は、尚更に自力で決済をつけるから、NYの時に、長男が昼寝した際、テラスのドアがガタガタ引っ張られた時は、もう、結構覚悟決めたんですね。
まぁ、窓から見たら、誰もいないのに、ガタガタドアノブを回されて、ドアノブが動いていた事自体、呆気に取られましたけれどね。幸いな事にカギが開かなかったんで、もう、いいっかって思った事がありました。そちらは、この手の話尽きないでしょう(笑)
元地元民からすると、違う街なんですよね。感覚的に。東京大神宮は九段・富士見町界隈にあって、神楽坂はお堀の外。土地のカラーも全然違うし。
ま、あくまでも感覚的なものなんですけど。
今回のお話。
こっちではよく聞く/ある話ですね~。学生は下宿か寮かシェアが基本で、同居人や大家さんとの関係は大切です。強気で言うべきことはにこやかに、でも、がつん言わないと、つけ込まれますしね。しかも、いざ夜逃げとなっても、頼れる身内がそばにいるわけでもないから、全部自力で何とかしなければなりませんからね。しゃれになりませんよ。ははは。
赤線青線ですね。実は、私が住んでいるこの世田谷の街も、元は赤線だったかと存じます。多数お屋敷の別荘があり、そして、川遊びの後にもつれ込んだと聞いております。
割と多いものです。街道筋ではなくとも、多いですね。私は未だにわからないのが、何故神楽坂という青線のそばに、東京大神宮(東京のお伊勢さん)を引っ張って来れたかが、不思議でなりません。
ありがとう
たこちう☆さま
うんうん。結構、日本では、大家の無断侵入ってのがあり得る時があったんですよ。ちなみに、我が家は貸していた時は、無断侵入不法侵入と訴えられたらことですので、そこまで痛烈な事はした事がありませんでしたけれど。
欧米は、流石に起きたらベッドサイドにいたってのは、出産の時の入院しかないですねぇ。お母様が、場所を変わるなと言うのは納得がいきますよ。もっと油断できない所に行くと、欧米ですと、命の危険性も、レイプの危険性もあるのでね。
みぞおちが痛くなるほどの、サイコサスペンス。夏場にはよろしいかと思いましてね。
ありがとう。
石女子さま
うーん。この位で驚くと、世の中、もっときついジャブが幾らでも存在しますよ。でも、涼しくなったでしょう(笑)
ありがとう
うちの大家の婆は、大抵私の留守の間に入って来てたけど、一度だけ夜中に目が覚めたときにベッドサイドに立ってたことがあります。目が一瞬あったんだけど、眠かったからそのまま寝ちゃいました。
外国だったから、「あー外人はしようがないなー」で済ませちゃったけど、朋様みたいに日本での出来事だったら心臓止まりますね。読んでてみぞおちが冷たくなりましたもん。
新築で相場の3割以上安かったのですが、夜は表通り以外では魑魅魍魎が跋扈している感じでした。
以前は横浜に住んでいましたが、東海道の宿場町だったところは寺社や色街が多くて雰囲気が悪いです。