「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

ハイストレス・ハイプレッシャー その2

2013年03月17日 16時21分14秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~

こんにちは。

基本的に、わたしは、声に出してしゃべると鬱屈が抜けるタイプなので、時々NHK嬢に愚痴を聞いてもらったり、もしくは、それ以外であまりに溜まりすぎると、ショッピングしたって、楽しくないんですよね。何のためにショッピングしているのかと言えば、きっと、買い物にいたるまでに店員さんとのおしゃべりが楽しいのではないかと思った時期がありまして、その頃は、高島屋で、週に一回は3万円のネイルをし、2万円の美容院に通いつめるような人でした。

それでも、自分の心が満たされることってなかったんですよ。空虚と言うか、その買い物をどこかで見せびらかす機会があれば、きっともっと、ハッピーだったんだと思いますが、そんなこともない。ただ、買い物して、買ってきて、ネイルして、自分で見て、美容院で鏡を見るだけ。もはや、その有様は、強迫神経症に似たような感じがありまして、満たされない思いがあったんですよ。

ですけれど、わたしは、未だに、あんまり職場で、喜んでランチをして奥深い話をしようとはしないです。何でかと言えば、どうせ、私の話は、苦労話が、99.9%であって、それ以上のそれ以下でもないです。人が喜んで聞きたいとは到底思えない。故に、他愛もないことでお茶を濁す話し方があって、人を見て、人に合わせて、話題を選んでいます。

それこそ、プチプラ好きな人とは、プチプラで話題を作って、あれこれ、話をしたり、コスメが好きな人とはコスメで話をしたり、元々、知識が幅広いので、どういう会話になってもうまく話ができるんですね。なので、別にコミュニケーションしようとか、凄く率先して、飲み会に行ったりとか、率先して何かすることってのはないです。そもそも、飲み会になると、参加はして、参加費は払うんですが、30分するといなくなっちゃいます。飲めない席にいても仕方ないんでね。

それで、話題として、ランチになると、まぁ、時々の情報交換は意味がありますが、それ以上になると愚痴なんですよね。

わたし、非生産性の会話って苦手なんですよ。だから、あんまり聞いていると辛くなってきてね。逆に、週のランチの時間、ふっとどこかへ消えてしまったり、何か買いに行ったり、早くランチを終えて、めったに会話しない別の部署と話してたり。それも、うんと、相手が敷居が低くなるまでは、絶対仕事の話なんか振らないです。

そんなわたしも、積もり積もるものはあるので、息子がドラムを習っているので、その練習がてら、カラオケに行って発散してくることあります。

主人は歌わないので、息子と歌って、一人は、マラカスで、ドラムの練習で(笑)。課題曲って、結構今時のものが多いし、息子は、聞かせたら聞かせた分、スポンジが水を吸収するように吸収するので、面白いですよ。なので、週に一回とか、二週に一回とか。今は、たまたま、発表会が近いので、一週間に一回は、カラオケに行っています。

長男は、受験でハイストレスになっている面があるんですが、あえて、わたしたちはプレッシャーをかけてはいないんです。どうせ、こんな奴にプレッシャーをかけても、持続はほんの数ヶ月のみ。だったら、自力でがんばれよと言う感じで、ハイストレスになる彼の息抜きとして、彼の携帯に着信うたを買ったり、まぁ、他には、先日買ったIPODにて、曲を聞かせたり、それを歌わせたり。そして、ハイストレスの中に、いつも、バッファを見つけろとは言いますね。

 

どんな苛酷な環境でも、いつかは終わる。終わらないのは、苛酷な環境をクリアしないで、ダラダラ今のままの自分でいるから。

 

学生時代では、牢獄だと思った学校だって時期がくれば終わる。でも時期が来て、ただ過ごしてただけだと、今度は就職がない。結局、毎日が退屈だなんて思っているような状態の人には、到達できない極みってあるんですよ。それを、極みまで上り詰めるのか、極みを知らないで、自分のスペックが落ちていくのを不平だけ言って終わるのか。

 

わたし、相談を受けていた時代に思ってた疑問があるんです。

 

確実に、打開策はある相談で、でも当事者は、不平しか言わない。むしろ、不平、不満を言う努力はしている。不平不満の語彙を増やす努力はしている、だけれど、打開しようと言うと、濁るんですよ。何でかって言えば、打開するには、痛みもありますしね。それに、打開しなくても、不平だけ言えばいいという、何かの得があるんですよ。その得については、絶対に言わないのね。でも、ずるいんだ。その得について、けっきょくはじぶんはちゃっかり、預かりたいのね。だから、打開したら困る。

 

そういう人は、やっぱり、思うけれど、今の状態でいいんだと思う。例えそれで、食うや食わずになったとしても、若い頃や、幼い頃から努力して来た人とは、断然適わないから、それはそれで仕方がないんだと思う。それじゃ嫌だと思った頃には、選択肢は狭くなる。

だからこそ、子供を最近産む人は、自分の子供に選択肢を広くさせてやろうとして、却って、子供の負担を増やしている人もいる。でも、これも、これで、ひとつの時代の親のあり方なので、その次の子供が、それを乗り越えてどういう親になるかが問題であってね。別に、今日明日出る答えではないんだ。

 

どんな中にも、余裕を見出せとは前に言ったけれど、まぁ、人によるかな。

 

 

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