中学3年の時でしたか・・
国語の教科書に高村光太郎の『道程』が載っていたと思います。
道程
僕の前に道は無い
僕の後ろに道は出来る
ああ
自然よ
父よ
僕を
一人立ちさせた
広大な父よ
僕から目を離さないで
守る事をせよ
常に
父の気魄を僕に充たせよ
この遠い
道程のため
この遠い 道程のため
きっかけはこの詩に触れたからですが、
『智恵子抄』を読み、智恵子夫人の存在を知り
ある意味 のめり込むように・・・
思春期の女の子の思い詰めた感情を持ってたように思います。
『こんなふうに愛されたい。』
その感情は大人になり、今の私には随分と違ったものになったと思います。
けれど、今の私でも光太郎の詩の世界の智恵子は輝いて見えます。
これは光太郎は智恵子の哀しみを知らなかったからなのか? 知ろうとしたのか?
当人でもないのに憶測で色々考えられますね。
高校入試の願書に『尊敬する人』という欄があり、
その頃の私は迷わず『高村光太郎』と書いたのでした。
面接の時 女性の面接官(教師でしょう。)が
「高村光太郎の『智恵子抄』の中に『レモン哀歌』というのがあるけれど、どの部分が印象に残っているか?」と質問しました。
まさか具体的な作品名が出て来ると思って無かった私でしたが
何とか答えられました。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
国語の教科書に高村光太郎の『道程』が載っていたと思います。
道程
僕の前に道は無い
僕の後ろに道は出来る
ああ
自然よ
父よ
僕を
一人立ちさせた
広大な父よ
僕から目を離さないで
守る事をせよ
常に
父の気魄を僕に充たせよ
この遠い
道程のため
この遠い 道程のため
きっかけはこの詩に触れたからですが、
『智恵子抄』を読み、智恵子夫人の存在を知り
ある意味 のめり込むように・・・
思春期の女の子の思い詰めた感情を持ってたように思います。
『こんなふうに愛されたい。』
その感情は大人になり、今の私には随分と違ったものになったと思います。
けれど、今の私でも光太郎の詩の世界の智恵子は輝いて見えます。
これは光太郎は智恵子の哀しみを知らなかったからなのか? 知ろうとしたのか?
当人でもないのに憶測で色々考えられますね。
高校入試の願書に『尊敬する人』という欄があり、
その頃の私は迷わず『高村光太郎』と書いたのでした。
面接の時 女性の面接官(教師でしょう。)が
「高村光太郎の『智恵子抄』の中に『レモン哀歌』というのがあるけれど、どの部分が印象に残っているか?」と質問しました。
まさか具体的な作品名が出て来ると思って無かった私でしたが
何とか答えられました。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
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