2009年1月17日
あの日の思い、今も 小田和正さん 震災から14年
阪神大震災の発生直後に被災地で青空ライブを開き、神戸を特別な思いで見つめる歌手がいる。元オフコースの小田和正さん(61)。「神戸で歌いたい」の一心で当時、被災地に駆けつけた小田さんは、その後も神戸を訪れるたび、ライブ会場となった被災地の公園を訪れる。「何ができることがあれば」。今も当時と変わらぬ神戸への思いを抱き続けている。
平成7年4月3日。激震の生々しい傷跡が残る神戸市東灘区の御影公会堂北側の公園に、やわらかな歌声が響いた。
「その手で望みを捨てないで/君住む街まで飛んでいくよ/ひとりと思わないでいつでも」(「君住む街へ」)
この日ライブの告知は一切なく、観客は居合わせた被災者約200人。みな驚く間もなく、立ち尽くすように聴き入った。被災地の片隅でひっそりと行われた30分間のライブだった。
小田さんは震災当日の朝、自宅で地震のニュースを知った。「死者2人」。テレビには速報とは、かけ離れた惨状が映し出されていた。「見た瞬間、2人なわけないなって。2人っていう数字が逆に被害の大きさを予感させて嫌だった」
2月には全国ツアーの神戸公演を控えていた。だが、会場の神戸国際会館(神戸市中央区)は全壊し、中止となった。
「何とか神戸で歌えないか。青天(野外)でもいいから」。被災地でのライブを提案した。「何かやらなくちゃ、自分の気持ちの持っていきようがなかった」
◇
大阪から神戸へ向かう車中で、被災地の風景を見た。「街並みが壊れ、それが放置され、日常になっている。実際に見ると、声も出なかったよ…」
神戸で歌いたい。一方で、不安もあった。自分がここで歌うことにどんな意味があるのか。自分が被災者だったらどう思うか。そんな考えが頭をよぎった。
「君住む街へ」を歌ったことはよく覚えている。「あまりに(状況に)ぴったりして嫌だなとも思ったけど、こういう時のための歌なんだろうなと思った」
みんな頑張ろう、とはいえなかった。「みんな、これからどうすんだろうなって」。帰りの車中は静まりかえっていた。
◇
9年9月、小田さんは全国ツアーのスタートに神戸を選んだ。神戸国際会館が再建された11年には4年前に中止となった公演を再演した。
その後も神戸に来ると必ず、あの公園を訪れる。「あそこで歌った。みんなにふれあった。公園に足を踏み入れると、思いがよみがえってくる。それを確かめるために」
昨年4月に訪れたときは、桜が咲いていた。「いろいろ引きずる思いはあると思うけど、手のつけようもないようにみえたがれきが、復興してきれいになって、すごいことだと思う」
今も被災地の人は頑張っているに違いない。だからやはり頑張れ、とはいえない。「何かできることがあれば言ってほしいな」。君住む街まで飛んでいくよ-。被災地への思いは、14年前のあの日と変わらない。
こちら
あの日の思い、今も 小田和正さん 震災から14年
阪神大震災の発生直後に被災地で青空ライブを開き、神戸を特別な思いで見つめる歌手がいる。元オフコースの小田和正さん(61)。「神戸で歌いたい」の一心で当時、被災地に駆けつけた小田さんは、その後も神戸を訪れるたび、ライブ会場となった被災地の公園を訪れる。「何ができることがあれば」。今も当時と変わらぬ神戸への思いを抱き続けている。
平成7年4月3日。激震の生々しい傷跡が残る神戸市東灘区の御影公会堂北側の公園に、やわらかな歌声が響いた。
「その手で望みを捨てないで/君住む街まで飛んでいくよ/ひとりと思わないでいつでも」(「君住む街へ」)
この日ライブの告知は一切なく、観客は居合わせた被災者約200人。みな驚く間もなく、立ち尽くすように聴き入った。被災地の片隅でひっそりと行われた30分間のライブだった。
小田さんは震災当日の朝、自宅で地震のニュースを知った。「死者2人」。テレビには速報とは、かけ離れた惨状が映し出されていた。「見た瞬間、2人なわけないなって。2人っていう数字が逆に被害の大きさを予感させて嫌だった」
2月には全国ツアーの神戸公演を控えていた。だが、会場の神戸国際会館(神戸市中央区)は全壊し、中止となった。
「何とか神戸で歌えないか。青天(野外)でもいいから」。被災地でのライブを提案した。「何かやらなくちゃ、自分の気持ちの持っていきようがなかった」
◇
大阪から神戸へ向かう車中で、被災地の風景を見た。「街並みが壊れ、それが放置され、日常になっている。実際に見ると、声も出なかったよ…」
神戸で歌いたい。一方で、不安もあった。自分がここで歌うことにどんな意味があるのか。自分が被災者だったらどう思うか。そんな考えが頭をよぎった。
「君住む街へ」を歌ったことはよく覚えている。「あまりに(状況に)ぴったりして嫌だなとも思ったけど、こういう時のための歌なんだろうなと思った」
みんな頑張ろう、とはいえなかった。「みんな、これからどうすんだろうなって」。帰りの車中は静まりかえっていた。
◇
9年9月、小田さんは全国ツアーのスタートに神戸を選んだ。神戸国際会館が再建された11年には4年前に中止となった公演を再演した。
その後も神戸に来ると必ず、あの公園を訪れる。「あそこで歌った。みんなにふれあった。公園に足を踏み入れると、思いがよみがえってくる。それを確かめるために」
昨年4月に訪れたときは、桜が咲いていた。「いろいろ引きずる思いはあると思うけど、手のつけようもないようにみえたがれきが、復興してきれいになって、すごいことだと思う」
今も被災地の人は頑張っているに違いない。だからやはり頑張れ、とはいえない。「何かできることがあれば言ってほしいな」。君住む街まで飛んでいくよ-。被災地への思いは、14年前のあの日と変わらない。
こちら
何度見ても、胸が熱くなります
震災の前年 子供たちと 一日神戸の町を 歩きました。里帰りのときのことです。大阪人の私にとって神戸は 近くてもなかなか行った事のないところで 歩いていても楽しかった。復興には並々ならねご努力があったことでしょうね。
地震 怖いね。
16年前の釧路地震の時 うちは建物かなり壊れて 一月の寒空 近所の方々の温かい心に支えられて立ち直ることが出来ました。今でもあのときの感謝の心は 忘れられないです。
わたしも小田さんの記事ネットで読みました。感激しました!なかなかできる事じゃないと思いますし、小田さんの神戸に対する思いがすごく伝わります。
記事は私もネットで読み、小田さんの暖かい気持ちに感激しました。
あの時あの場所(公園)で小田さんの歌を聴いて涙していた人のことを思い出します。
そうですね。
あの映像はLIFE-SIZEに入ってましたね。
これもどこかの動画サイトで見た憶えがあります。
私は被災したことも無いのですが、大きな地震があるだろうと予測されている土地に住んでます。
マンション住まいで近所付き合いも無く・・
やはり心配になったりします。
みるくさんも被災された事がおありなんですね。
辛い時に感じる人の温かみは嬉しいもの。
自分に出来る時はまた誰かに手渡せればいいんでしょうね。
小田さんが『何か自分に出来ることはないかな』と考えているというのがいいなと思って。
私もそう思って何も出来ないんだけど。。。
小田さんはいろんな事が出来る人だと思うのに、普通にそんな風に考えてるのがわかって嬉しいです。
我が家は新潟在住でした。
朝TVをつけて、驚いて旦那に声を掛けたのを思い出します。
私達はファンで、小田さんの歌聴いて力を貰ってるっていう思い入れもあるじゃないですか。
でも、そういう人がいるかもわからないあの場に行って歌うというのは勇気が要る事だと思うよね。