演芸会の会場では屋台が開業していた。島にはテキ屋とかいう浮ついた商売は成り立たないめ、居酒屋などの出張営業ではないかと思われた。本州のお祭では、綿あめ、お好み焼き、焼きそば、たこ焼きなどの屋台が並び賑やかなのだが、島の祭ではそんな訳にはいかない。住民の大半がお祭に参加していて人手が足らず、調理しなければならないような料理は出せません。せいぜい焼き鳥程度でした。そもそも、広場にいるどのグループも自宅から料理とお酒を持ち込んでいるため、屋台から料理を手に入れる必要はありません。持ち込んだ料理だけではもの足らず、酒の肴を追加したいような場合に屋台が利用されていた。
なお、島には暴力団というイカレた連中は存在していないが、過去には暴力団が縄張りを広げるために来島したことがあったらしい。南大東村誌によれば、1956年に沖縄本島から暴力団員数名が上陸して徘徊する事件があったらしい。この時は村民が一体となって暴力団を排除したという。
また、前回の旅行の直前2012年9月3日に、覚醒剤の密輸で暴力団員が島内で死亡する事件があった。この事件は瀬取りと呼ばれる密輸で、福岡市に住む男Aと沖縄本島に住む漁師Bは漁船で南大東島付近を航行し、外国籍の船から投下された覚醒剤を回収して南大東島に持ち込んだ。島には沖縄本島の暴力団員Cが待機していて、CはA、Bから覚醒剤を受け取った。この時、AとBはその場で逮捕されたが、Cは逃げ出し、3日後に砂糖きび畑で自殺体でみつかった。島では滅多にない大事件であり、捜査のため多数の警察官が来島し、大変な騒ぎになったらしい。
この密輸事件では、覚醒剤が何時到着するか不明のため、暴力団員Cは覚醒剤が島に密輸されるまで島に滞在していた。今回の旅行では、暴力団員Cと接触したことのある老女と出会った。老女は居酒屋で暴力団員Cと飲食を共にしており、「何度か奢ってもらったことがあり、金払いは良かった。暴力団関係者のような人には見えなかった」と思い出していた。
狭い島なので、肩で風を切るような風体の者は直ぐに顔を知られてしまい、誰も相手にはしないであろう。村民同士の小さなトラブルはあるかもしれないが、新聞種になるような事件は発生しない風土である。駐在所の警察官も、「民事事件は時々あるが、刑事事件は滅多に起きない土地柄ですよ」と述べられていた。南大東島は永遠に平和な島なのである。