新・南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2023年

2023年、11年振りに南大東島を再訪しました。その間、島の社会・生活がどのように変わっていったかを観察しました。

演芸会・屋台

2023-04-19 19:41:37 | 旅行

 演芸会の会場では屋台が開業していた。島にはテキ屋とかいう浮ついた商売は成り立たないめ、居酒屋などの出張営業ではないかと思われた。本州のお祭では、綿あめ、お好み焼き、焼きそば、たこ焼きなどの屋台が並び賑やかなのだが、島の祭ではそんな訳にはいかない。住民の大半がお祭に参加していて人手が足らず、調理しなければならないような料理は出せません。せいぜい焼き鳥程度でした。そもそも、広場にいるどのグループも自宅から料理とお酒を持ち込んでいるため、屋台から料理を手に入れる必要はありません。持ち込んだ料理だけではもの足らず、酒の肴を追加したいような場合に屋台が利用されていた。
 なお、島には暴力団というイカレた連中は存在していないが、過去には暴力団が縄張りを広げるために来島したことがあったらしい。南大東村誌によれば、1956年に沖縄本島から暴力団員数名が上陸して徘徊する事件があったらしい。この時は村民が一体となって暴力団を排除したという。
 また、前回の旅行の直前2012年9月3日に、覚醒剤の密輸で暴力団員が島内で死亡する事件があった。この事件は瀬取りと呼ばれる密輸で、福岡市に住む男Aと沖縄本島に住む漁師Bは漁船で南大東島付近を航行し、外国籍の船から投下された覚醒剤を回収して南大東島に持ち込んだ。島には沖縄本島の暴力団員Cが待機していて、CはA、Bから覚醒剤を受け取った。この時、AとBはその場で逮捕されたが、Cは逃げ出し、3日後に砂糖きび畑で自殺体でみつかった。島では滅多にない大事件であり、捜査のため多数の警察官が来島し、大変な騒ぎになったらしい。
 この密輸事件では、覚醒剤が何時到着するか不明のため、暴力団員Cは覚醒剤が島に密輸されるまで島に滞在していた。今回の旅行では、暴力団員Cと接触したことのある老女と出会った。老女は居酒屋で暴力団員Cと飲食を共にしており、「何度か奢ってもらったことがあり、金払いは良かった。暴力団関係者のような人には見えなかった」と思い出していた。
 狭い島なので、肩で風を切るような風体の者は直ぐに顔を知られてしまい、誰も相手にはしないであろう。村民同士の小さなトラブルはあるかもしれないが、新聞種になるような事件は発生しない風土である。駐在所の警察官も、「民事事件は時々あるが、刑事事件は滅多に起きない土地柄ですよ」と述べられていた。南大東島は永遠に平和な島なのである。

 


演芸会・手作りの演芸

2023-04-17 15:49:36 | 日記

 定刻になって演芸が始まった。と言っても、最初は小中学校の吹奏楽部による軽音楽であった。夕暮れ前の薄明るい時に何の前触れもなく、音量のある吹奏楽を始めたのは演芸会の始まりを知らせるためであろう。広場の周囲にいる人達を芝生のシートに集めるためであろうか。
  吹奏楽による軽音楽が数曲終わったなら、新垣利治村長よる演芸会の開会宣言が行なわれた。村長の挨拶により、今夜の演目が始まった。演者も観客も日頃からの顔なじみである。この日は、舞台に上がる演者にとって一年間の練習の発表会である。観客にとっては、芸達者な知人の演技が昨年よりどの程度上達したかを観察する機会と言える。内地でのこのような演芸会では、観客席側からは「待ってました」とか「がんばれよー」などの掛け声があがることが多い。南大東島での演芸会では掛け声やヤジなどはなく、皆様は行儀良く鑑賞されていた。余りにも付き合いが身近なため、演技を上手いとか下手とかという評価をせず、静かに見守るのが暗黙のルールになっているようだ。
 三段目の写真は、琉球舞踊と三線の演奏である。演者は比較的高齢の人が多かった。在所集落には民謡教室があるらしく、そこの生徒と協力者が合同で出演していた。
 この日の出演者の中に「ボロジノ娘&ボーイズ」というグループがあった。三線を弾きながら沖縄民謡やオリジナル民謡を唄うグループである。島にある新垣則夫民謡研究所で練習した南大東中学校生が代々このグループ名を引き継いでいるらしい。私はこのグループの詳細について不明であるが、沖縄県では有名のようで、本島や離島で開催される演奏会には招待で出演することが多い。

 


演芸会・臨時照明装置

2023-04-15 19:13:46 | 旅行

 少し涼しくなった秋風に吹かれながら、屋外で演芸を鑑賞することは心地良いものであった。一段目の写真は今回の2023年に、二段目の写真は11年前の2012年に同じ方向を撮影したものである。何処が違うかかと言えば、会場の広場全体が明るくなったことである。前回の写真ではフラッシュを焚いているので、手前は明るいが奥の方は真っ暗である。11年前は照明装置が無く、暗闇の中での演芸鑑賞であった。来場者はそれぞれが懐中電灯を持参し、頼り無い灯の下で飲食していた。また、暗闇なので知人を見つけ難く、座っていると思われる付近に出掛けて「誰それさ~ん」と声を出していた。
 今回の演芸会では、芝生の上はどこも照明の光が当たり、明るいものであった。その理由は臨時照明装置が使用されたことであった。クレーン付きトラックの荷台に可搬発電機を乗せ、クレーンの先端に投光機を結合した照明装置である。可搬発電機で発電した電力を投光機に供給し、投光機で会場全体を照射していた。照明装置の組み合わせは単純なもので、「そんなことは本州のどこのイベントでも活用している」と反論されるであろう。内地であればレンタル会社から可搬発電機、投光機、クレーン付きトラックを1日だけ借りてくれば目的を達成できる。しかし、ここは絶海の孤島である。このように組み合わせることは極めて難しい。可搬発電機、クレーン付きトラックは地元の建設会社が保有していると考えられるが、投光機の入手が難しいのである。島では夜間の作業は滅多になく、いつ発生するか不明の夜間作業のために投光機を社内で保有することは効率が悪い。沖縄本島にあるレンタル会社から借りてくることもできるが、船便は1週間に1回である。1日だけの使用に1週間分のレンタル料を支払うと高額になる。このような理由により、前回の時には屋外の照明装置が無かったのであろう。今回は煌々と広場を照らす照明装置が使用されたが、島内にあるどこかの建設会社が何らかの使用目的のため投光機を保有したのではなかろうか。そうでもなければこのような臨時照明装置を使用することはできないはずである。

 


おしまいに

2023-04-13 18:33:23 | 旅行

 こうして、2023年9月に体験した3泊4日の南大東島の旅行記が終わった。もっと細かい事項も記録したかったが、時間的な制約でこれ以上見聞することはできなかったからである。できれば、1か月程度滞在して詳細な生活記録をしてみたかった。しかし、外部から観察した島の生活記録は、この程度に止めた方がいいのではなかろうか。あまり深入りするのは住人には失礼なためである。それでも、私の記録は観光案内からでは得られない、地元の社会生活を記録したつもりである。これから現地に出掛けられる方は、私の記録を参考にして頂ければ幸いである。南大東島の旅行が楽しく、充実したものになるにはずである。
 〔生活水準を考える〕
 南大東島は国内の離島の中でも極めて特殊な環境にある。沖縄県の南東端に位置し、主要生産物は砂糖きびだけである。外部との交流は薄く、まさに絶海の孤島である。そんな環境ではあるが、所得は決して低くはない。沖縄県企画部は2021年度における「沖縄県市町村民経済計算」を発表している。この発表では沖縄県内の市町村における1人当たりの所得を集計し、下記のようにランキングしている。
   順位   市町村名    1人当たりの所得
   1位   北大東村    463万5千円
   2位   与那国町    357万7千円
   3位   南大東村    342万9千円
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   ・     ・         ・
  40位   うるま市    174万5千円
  41位   今帰仁村    174万4千円
 この表を見ると、南大東村は沖縄県にある41の全市町村の中では堂々の3位である。最下位の今帰仁村に比べると2倍の所得となる。
 また、総務省は2023年度の「全国住民税統計データ」を発表している。その発表によれば、全国の市町村別の1人当たりの所得は次のようになる。
    順位     市町村名     1人当たりの所得
     1位   東京都港区     1396万8千円
     2位   東京都千代田区   1121万3千円
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   322位   沖縄県南大東村    339万9千円
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  1733位   沖縄県今帰仁村    267万0千円
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  1740位   高知県大豊町     225万2千円
  1741位   群馬県南牧村     223万7千円
 こちらの統計では、南大東村、今帰仁村の1人当たりの所得金額が沖縄県企画部の発表と相違している。これは集計方法の違いではないかと推測される。このランキングでも南大東村は全国の市町村の上位に位置してることに変わりはない。南大東島は決して貧しい地域ではない。おまけに、村には離島対策の助成金が交付されるので公共施設は充実していて、生活するには不自由しない環境である。ただ、食料を含めて全ての物資を船便に頼らざるを得ないため、物価が高いという欠点がある。これは収入の多さによって補充されていることになろう。
 〔村人同士の付き合い〕
 このように、南大東島での個人収入は全国平均よりも高いが、住人からは生活が苦しいという声がある。それは、「島では付き合いがハデになる」ということである。冠婚葬祭・慶事・弔事などの付き合いで多額の金が動くのである。集落にいる知人の誕生、入学、卒業、結婚などの節目にはそれぞれご祝儀を出す慣習がある。少し大きな祝い事があると、親戚、知人を集め、山羊を潰して振る舞うのだそうである。そのような付き合いが毎月のようにあって煩わしいらしい。
 〔過疎化の対策〕
 国内では小子化のため人口が減っているが、地方、僻地ではさらに大都会への人口流出があり、住民が減少している。南大東島もおなじく人口減少の問題が発生している。戦後の人口は1960年がピークで3513人であったが、以降毎年のように人口は減少し、2022年には1201人となってしまった。ここで注意して欲しいのは世帯数である。ピーク時の世帯数の比較は次のようになる。
            総人口   総世帯数
    1960年  3513人  636世帯
    2022年  1201人  672世帯
 この比較で判るように、人口は三分の一に減少したが世帯数は増加している。つまり、独り住まいが多いことになる。出生数が減少し、島外への移住もあって人口が減少することは確実となっている。国立社会保障・人口問題研究所によれば、島の人口は2045年には1038人、2065年には931人に減少すると予想している。
 これは由々しき現実であり、島の経済を継続させるためには何としてでも人口の減少を防がなければならない。このため村役場では「地域再生計画」を立て、対策をすることになった。
 その一つは、仕事の創造であり、島で働く場所が無ければ若い人は定着しない。そのために稼げる産業を創る必要がある。しかし、島にIT企業や先端技術企業の誘致をするのは現実的には不可能なことである。すると、農業と漁業の振興に限られてくる。現状では、農業は砂糖きびの栽培に集約されていて、他の農作物は見当たらない。漁業では、近海もののマグロが捕れるが、新鮮なままで市場に運搬するのが問題である。離島の特色に特化した、高額で販売できる農作物を見つけるのが結論であろう。
 また、村役場では、島に住む独身男性に島外の独身女性を引き合わせ、結婚してもらう官営見合い(移住婚と言うらしい)を実施している。島では移住者向けに専用の村営住宅を建設して準備はしている。しかし、村を挙げての移住婚は成果がないようだ。南大東中学を卒業し沖縄本島の高校に入学した女子学生は、そのまま沖縄本島で就職するか本州に移住してしまう。これは南大東島だけの問題ではなく、全国の過疎地に共通していることである。島外から若い女性の移住を期待するのであれば、それだけ魅力のある環境を整備しなければならないであろう。
 〔観光客の誘致〕
 農業、漁業以外に産業を創成するとなれば観光業がある。観光協会では年間1万人の観光客を誘致する目標を掲げ、離島フェアなどで宣伝している。しかし、歴史が浅いため、島には観光客を呼ぶことのできるような魅力のある名所、旧跡はない。そもそも、人口が1千人強の村に1万人の観光客を誘致すればオーバーツーリズムとなって社会問題になる。もし観光客を誘致するとすれば、離島留学とか定年後の長期滞在者を狙うべきではなかろうか。
 〔将来の夢〕
 前述したように、島の1人当たりの年収は全国のそれに比べて比較的高く、安定している。また、身体が健康であれば、島では何らかの仕事を廻してくれるので生活に困ることは無い。皆と歩調を合わせて活動すれば、つつがなく人生を送ることができる。しかし、夢が持てないのである。狭い島のことであるから、誰と誰が親戚、親友であるかは見えている。特殊な能力を持っていても、実力を発揮するには限界がある。自ずとちんまりした人生目標しか立てられず、若者の瞳には輝きが見られない。日本の何処の僻地でも見かけられる現象なのだが、致し方ない点がある。
 〔次の旅行〕
 こうして、私の11年目の再訪旅行は終わった。次回に出掛けるとなると2032年か2033年になる。その時まで寿命があるか保障はない。また、島に辿り着いたとしても、今回のようにバイクに乗って自由に島内を巡ることができないかもしれない。しかし、次回も島を訪問できるよう健康に気を付いて生活し、何とか目的を達成したい。そして、今回の旅行で出会った人達と再会してみたい、というのが私のささやかな望みである。