28.【 全部あなたに繋がっていた 】 (マリア)
―――――――声が、する。
目を開けると、そこは真っ暗だった。
ここはどこだろう。
私はどこにいるんだろう。
体を起こして、どこかぼんやりと霞のかかった意識の中、辺りを見回す。
自分がどうして、ここにいるのか思い出せない。
ゆっくりと目を閉じて。
もう一度、ゆっくり開く。
開いた先に見えたのは、やっぱり、暗闇で。
辺りには、何も、ない。
心細さに身を丸めて、そろそろと膝を抱える。
瞬間、頭に浮かんだ映像。
誰かが、膝を抱えて俯いた、まだ小さな私を見下ろしていた。
( 一人で膝抱えてんじゃねぇよ、バカ娘 )
あれは、誰の声だっただろうか。
いつか、何かが凄く悲しくて、寂しくて堪らなくて、でも言葉に出来なくて、膝を抱えて座り込んでいたときに、頭の上から聞こえてきた声。
なんだかむず痒くなるくらい嬉しくて、泣きたくなるくらい安心して、それだけで笑顔になった。
そう、いつもそういう時には、私が何も言わなくても、気がつくとそうやって、傍にいてくれた。
あれは、誰だっただろうか。
誰か、とても、大切な人だった。
そう、とても、とても、大切な―――……。
そこまで考えると、目から涙が零れ落ちた。
(―――…でも、もう手に入らない)
そう感じてしまう自分がいて。
あの声はもう手に入らないのだ、と。
涙を拭きながら、ふと見下ろした自分の左胸のあたりにある血の痕に、眉を顰める。
痛みはないし、襟元を引っ張って服の中を覗いてみても、どこにも傷跡らしきものはない。
じゃあ、これは他の人の血だろうか…?
何も思い出せない。
だけど、とにかく、ここにいちゃいけないような気がした。
私は、どこか別の違う場所に行く途中だったのだ、きっと。
どこかは分からないけれど、そこに行かなきゃいけないことだけは、分かる。
意を決めて立ち上がった耳に、ふと、声が聞こえた。
―――…リア
慌てて、周りを見回したけど、やっぱり誰もいなくて、首を傾げる。
―――マリア
(…マリア…。そう、それが私の名前だった…)
ひとつ思い出して、歩き出す。
(とても優しい人が、くれた名前。とても、とても、優しい、私の……)
途端、殴られたような痛みが、頭に走った。
―――マリア
声が頭に響く。
頭の中でグワングワン響いて、立っていられないほど痛い。
しゃがみこんで、両手で耳を塞いだけれど、声の残響が頭の奥に残っていて、少しも良くならない。
良くならないどころか、どんどん、痛みが増していく。
―――マリア
強烈な一撃のように鳴り響くその声に、ぎゅっと目を瞑って、歯を食いしばる。
頭が破裂しそうに痛い。
何かが、凄い力で、脳を揺さぶっている。
何かが、凄い速さで、全身を駆け巡っていく。
冷気と熱気が同時に襲ってくる。
肌が毛羽立って、嫌な汗が玉になって噴き出す。
何かが、内側から膨れ上がってくる。
どんどん膨れ上がって、その巨大さに、呑まれてしまいそう。
抗えない、凄まじいまでに強力で強大になった何かが、私の中で暴れ狂ってる。
身体が、熱い。
内側から、燃えていく。
意識が遠く、掠れていく―――……。
―――マリア
…………いつかずっと昔、私はどこかで、これと同じ声を聴かなかっただろうか―――…。
―――マリア
……そうだ。
あれは私の最初の記憶。
私が初めて聴いた声。
その声があんまり辛そうだったから、私は、初めて目を開けようとした。
その人のために、私は、初めて、目を開けた。
そうだ。
私は、
プツンと糸が切れたように、急激に止んだ激痛に、そろそろと顔を上げる。
そうして目に映ったものに、瞬間、絶句せずにはいられなかった。
真っ暗な空間に浮かび上がった、燦然と輝く光の玉。
それはとても綺麗な、
瞬きすら惜しいほど綺麗な、
金色の、光。
思い、出した。
私がいつも太陽に見ていたもの。
私がいつも月に見ていたもの。
太陽のように輝く金の髪と、月のように光る金の瞳。
私の大切な、大切な、何より大事な、愛しい人。
そうだ。間違いない。
これは、この声は、その人の心の声。
神の種子である私だけが聴くことの出来る、神の声。
―――マリア
(…ファルコ……?)
どこにいるの?
名前を呼びたいのに、返事をしたいのに、声が全く出ない。
とにかくファルコのところへ行きたい、その一心で立ち上がり、歩みを再開させる。
(そう、私はずっとアトレイユの研究所で種を取り除く実験をしていて、……でも、あんなことになって、博士が死んで…)
先に進めば進むほど、どんどん、記憶が戻ってくる。
(そうだ。それで、この街に戻ってきた。ラビと一緒に……そう、ラビ……ラビ! )
はっとして、自然と足が止まった。
あぁ。
そうだった。
私は、もう…―――――。
行き着いた記憶に、茫然として立ち尽くす。
さっきまでしっかり歩いていたのに、急に、足に力が入らなくなって、膝ががくがくして、崩れそうになる。
膝だけじゃない。手も、腕も、体全部が、震えてる。
だけど。
みっともないほど震える体とは裏腹に、こんなのおかしいと思う冷静な自分がいて。
だって、もう、死んでるのに。
怖くて、体が震えるなんて、馬鹿なことがあるだろうか。
―――マリア
そうだ。
死んだのに、それでも、彼の声が聴こえるなんてこと、あるだろうか。
神の声に対して、死んだ種が、こんなにも騒ぐなんてことあるだろうか。
いや、でも、私は確かに…、
でも、
でも。
まじまじと自分の手のひらを見つめる。
見慣れた、気持ち悪いほど白い手。
それを、恐る恐る、左胸に押し当てて、再び全身に震えが走った。
(…い、きてる……?)
手のひらに確かに感じる鼓動に、じわりと熱い水分が目に滲んで溜まっていく。
(生き、てる…)
震える手で、その鼓動を何度も、何度も確かめて。
(まだ生きてるんだ)
そのまま服ごと手を握り締め、きつく、きつく、目を瞑った。
瞼の裏に感じる熱も、勝手に込み上げてくる涙の温かさも、全部が、愛おしくて。
感動に震えることの出来る体にすら、また感動して。
ただ、生きている自分を噛み締めて、閉じた瞼から、それでもぼろぼろと零れ落ちていく涙を、ひたすら、感受し続けた。
―――マリア
ぐいっと顔をあげて、腕で涙を拭く。
繰り返し響いてくる愛しい声に、思うことは唯一つ。
生きているのなら、行かなくちゃ。
ファルコのところに。
だって、こんなに呼んでる。
彼は私の神で、私は彼の種子なのだから、行かなきゃならない。
……ううん、違う。
本当はもうずっと前から、神も種子も関係なくなってた。
私が、ファルコのところに行きたいだけ。
ただ、私がファルコの傍にいたいだけ。
でも、どうやって?
どこに行ったらいいの?
大体、ここはどこだろう。
私は、どこにいる? どうして、ここにいる?
焦るばかりで、何も分からない。
ファルコが呼んでるのに。早く行きたいのに。
ファルコ。
ああ、そうだ。
いつもちょろちょろしてはすぐ迷子になって泣いていた私に、ファルコがいつも言っていた。
( 道が分からなくなったら、まず落ち着いて、来た道を最初から思い出せ )
思い出したその言葉に頷き、深く息を吸って、大きく吐き出す。
そうしてもう一度、ゆっくり目を瞑った。
全神経を集中させて、ぼんやりと霞がかかったかのような、曖昧な記憶を必死に手繰り寄せる。
――どうやってここに来た?
…分からない。目を開けたらもう、ここにいた。
――じゃあ、どうして、目を開けた?
…聴こえたような気がしたから。
――何が?
…呼ぶ、声が。
―――マリア
そう、ずっと声がしていた。
ただ繰り返し、私の名前を呼ぶ、ファルコの声。
だから、目を開けた。
―――マリア
目を、開けなくちゃ――――――――。
(NEXT⇒世界が傾くくらい)
―――――――声が、する。
目を開けると、そこは真っ暗だった。
ここはどこだろう。
私はどこにいるんだろう。
体を起こして、どこかぼんやりと霞のかかった意識の中、辺りを見回す。
自分がどうして、ここにいるのか思い出せない。
ゆっくりと目を閉じて。
もう一度、ゆっくり開く。
開いた先に見えたのは、やっぱり、暗闇で。
辺りには、何も、ない。
心細さに身を丸めて、そろそろと膝を抱える。
瞬間、頭に浮かんだ映像。
誰かが、膝を抱えて俯いた、まだ小さな私を見下ろしていた。
( 一人で膝抱えてんじゃねぇよ、バカ娘 )
あれは、誰の声だっただろうか。
いつか、何かが凄く悲しくて、寂しくて堪らなくて、でも言葉に出来なくて、膝を抱えて座り込んでいたときに、頭の上から聞こえてきた声。
なんだかむず痒くなるくらい嬉しくて、泣きたくなるくらい安心して、それだけで笑顔になった。
そう、いつもそういう時には、私が何も言わなくても、気がつくとそうやって、傍にいてくれた。
あれは、誰だっただろうか。
誰か、とても、大切な人だった。
そう、とても、とても、大切な―――……。
そこまで考えると、目から涙が零れ落ちた。
(―――…でも、もう手に入らない)
そう感じてしまう自分がいて。
あの声はもう手に入らないのだ、と。
涙を拭きながら、ふと見下ろした自分の左胸のあたりにある血の痕に、眉を顰める。
痛みはないし、襟元を引っ張って服の中を覗いてみても、どこにも傷跡らしきものはない。
じゃあ、これは他の人の血だろうか…?
何も思い出せない。
だけど、とにかく、ここにいちゃいけないような気がした。
私は、どこか別の違う場所に行く途中だったのだ、きっと。
どこかは分からないけれど、そこに行かなきゃいけないことだけは、分かる。
意を決めて立ち上がった耳に、ふと、声が聞こえた。
―――…リア
慌てて、周りを見回したけど、やっぱり誰もいなくて、首を傾げる。
―――マリア
(…マリア…。そう、それが私の名前だった…)
ひとつ思い出して、歩き出す。
(とても優しい人が、くれた名前。とても、とても、優しい、私の……)
途端、殴られたような痛みが、頭に走った。
―――マリア
声が頭に響く。
頭の中でグワングワン響いて、立っていられないほど痛い。
しゃがみこんで、両手で耳を塞いだけれど、声の残響が頭の奥に残っていて、少しも良くならない。
良くならないどころか、どんどん、痛みが増していく。
―――マリア
強烈な一撃のように鳴り響くその声に、ぎゅっと目を瞑って、歯を食いしばる。
頭が破裂しそうに痛い。
何かが、凄い力で、脳を揺さぶっている。
何かが、凄い速さで、全身を駆け巡っていく。
冷気と熱気が同時に襲ってくる。
肌が毛羽立って、嫌な汗が玉になって噴き出す。
何かが、内側から膨れ上がってくる。
どんどん膨れ上がって、その巨大さに、呑まれてしまいそう。
抗えない、凄まじいまでに強力で強大になった何かが、私の中で暴れ狂ってる。
身体が、熱い。
内側から、燃えていく。
意識が遠く、掠れていく―――……。
―――マリア
…………いつかずっと昔、私はどこかで、これと同じ声を聴かなかっただろうか―――…。
―――マリア
……そうだ。
あれは私の最初の記憶。
私が初めて聴いた声。
その声があんまり辛そうだったから、私は、初めて目を開けようとした。
その人のために、私は、初めて、目を開けた。
そうだ。
私は、
プツンと糸が切れたように、急激に止んだ激痛に、そろそろと顔を上げる。
そうして目に映ったものに、瞬間、絶句せずにはいられなかった。
真っ暗な空間に浮かび上がった、燦然と輝く光の玉。
それはとても綺麗な、
瞬きすら惜しいほど綺麗な、
金色の、光。
思い、出した。
私がいつも太陽に見ていたもの。
私がいつも月に見ていたもの。
太陽のように輝く金の髪と、月のように光る金の瞳。
私の大切な、大切な、何より大事な、愛しい人。
そうだ。間違いない。
これは、この声は、その人の心の声。
神の種子である私だけが聴くことの出来る、神の声。
―――マリア
(…ファルコ……?)
どこにいるの?
名前を呼びたいのに、返事をしたいのに、声が全く出ない。
とにかくファルコのところへ行きたい、その一心で立ち上がり、歩みを再開させる。
(そう、私はずっとアトレイユの研究所で種を取り除く実験をしていて、……でも、あんなことになって、博士が死んで…)
先に進めば進むほど、どんどん、記憶が戻ってくる。
(そうだ。それで、この街に戻ってきた。ラビと一緒に……そう、ラビ……ラビ! )
はっとして、自然と足が止まった。
あぁ。
そうだった。
私は、もう…―――――。
行き着いた記憶に、茫然として立ち尽くす。
さっきまでしっかり歩いていたのに、急に、足に力が入らなくなって、膝ががくがくして、崩れそうになる。
膝だけじゃない。手も、腕も、体全部が、震えてる。
だけど。
みっともないほど震える体とは裏腹に、こんなのおかしいと思う冷静な自分がいて。
だって、もう、死んでるのに。
怖くて、体が震えるなんて、馬鹿なことがあるだろうか。
―――マリア
そうだ。
死んだのに、それでも、彼の声が聴こえるなんてこと、あるだろうか。
神の声に対して、死んだ種が、こんなにも騒ぐなんてことあるだろうか。
いや、でも、私は確かに…、
でも、
でも。
まじまじと自分の手のひらを見つめる。
見慣れた、気持ち悪いほど白い手。
それを、恐る恐る、左胸に押し当てて、再び全身に震えが走った。
(…い、きてる……?)
手のひらに確かに感じる鼓動に、じわりと熱い水分が目に滲んで溜まっていく。
(生き、てる…)
震える手で、その鼓動を何度も、何度も確かめて。
(まだ生きてるんだ)
そのまま服ごと手を握り締め、きつく、きつく、目を瞑った。
瞼の裏に感じる熱も、勝手に込み上げてくる涙の温かさも、全部が、愛おしくて。
感動に震えることの出来る体にすら、また感動して。
ただ、生きている自分を噛み締めて、閉じた瞼から、それでもぼろぼろと零れ落ちていく涙を、ひたすら、感受し続けた。
―――マリア
ぐいっと顔をあげて、腕で涙を拭く。
繰り返し響いてくる愛しい声に、思うことは唯一つ。
生きているのなら、行かなくちゃ。
ファルコのところに。
だって、こんなに呼んでる。
彼は私の神で、私は彼の種子なのだから、行かなきゃならない。
……ううん、違う。
本当はもうずっと前から、神も種子も関係なくなってた。
私が、ファルコのところに行きたいだけ。
ただ、私がファルコの傍にいたいだけ。
でも、どうやって?
どこに行ったらいいの?
大体、ここはどこだろう。
私は、どこにいる? どうして、ここにいる?
焦るばかりで、何も分からない。
ファルコが呼んでるのに。早く行きたいのに。
ファルコ。
ああ、そうだ。
いつもちょろちょろしてはすぐ迷子になって泣いていた私に、ファルコがいつも言っていた。
( 道が分からなくなったら、まず落ち着いて、来た道を最初から思い出せ )
思い出したその言葉に頷き、深く息を吸って、大きく吐き出す。
そうしてもう一度、ゆっくり目を瞑った。
全神経を集中させて、ぼんやりと霞がかかったかのような、曖昧な記憶を必死に手繰り寄せる。
――どうやってここに来た?
…分からない。目を開けたらもう、ここにいた。
――じゃあ、どうして、目を開けた?
…聴こえたような気がしたから。
――何が?
…呼ぶ、声が。
―――マリア
そう、ずっと声がしていた。
ただ繰り返し、私の名前を呼ぶ、ファルコの声。
だから、目を開けた。
―――マリア
目を、開けなくちゃ――――――――。
(NEXT⇒世界が傾くくらい)