青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸の見学は、2階船楼甲板から乗船して以後これまで、3階遊歩甲板の客室・船長室、そして4階航海甲板のブリッジ(操舵室)までの順路を辿り、これから1階車両甲板へと向かいます。
1階車両甲板は、4階航海甲板と同様に、就航当時は一般乗客の立ち入りはできず、今回の見学が楽しみな区画の1つでもあります。
1階車両甲板からは、更に階段を下りてB1階第二甲板のエンジンルーム(当然こちらも就航当時は乗客の立ち入り禁止)を最後に見学します。
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八甲田丸のブリッジ(操舵室)がある4階航海甲板から、エレベータで1階車両甲板へと下りてきました!
車両甲板は、その名のとおり、鉄道車両を格納するためのスペースで、荷物車等の鉄道車両が格納されている状態で展示されていました。
甲板上には、何本もの線路が敷かれていて、さながら船の中に駅があるようでした。
元々薄暗そうな甲板を煌々と照らし出していた蛍光灯の光に鈍く映える車両群が、静かに佇みながら見学者を迎えてくれました。
本来の役目を終えた車両達は、悠々と余生を送っているように思えました。
…そういえば、八甲田丸も同じ立場ですね(^^;
このように旅客用の車両も展示されていますが、昭和29年9月26日に起きた「洞爺丸事故」以後、客車の航送は行なわれなくなりました。
この洞爺丸事故を契機に、青函トンネルの実現に向けて、その計画が具体化していくこととなりました。
車両甲板内にて、船尾方向を眺めています。
船尾へ向けて、レールが集約されていきます。
撮影地点の周囲は、段差をなくすために、レールは埋め込まれてしまっています。
八甲田丸の船尾扉。
巨大な水密扉が行く手を阻むかのように、船外との境界を塞ぐように閉鎖しています。
この扉の外側はすぐ岸壁となっていて、線路を連結して車両を出し入れしていました。
1階車両甲板の見学はここまで、この階段を下りてB1階第二甲板である、エンジンルームへ向かいます。
これより海面下となるようです;
B1階第二甲板は、八甲田丸の動力源となる機関部の区画であり、こちらはそのエンジンルーム、第一主機室。
八甲田丸には、主機関である1,600馬力のディーゼルエンジンが全部で8基搭載されています!
この第一主機室には、そのうち4基が搭載されています。
見学ができるのは、第一主機室のみでした。
天井は低く、水密構造で決して広い空間ではないのですが、1基でも物凄く巨大なエンジンが4基も並んで鎮座している様子は、実に圧巻&壮観でした!!
これらの機関がフル稼働していた現役の頃は、さぞかし凄まじい騒音であったことでしょう;
周囲には、未だにオイルの匂いが漂っていました。
八甲田丸のエンジンや、発電機等の動力制御を一手に担っていた、統括制御室。
間違えてしまいそうな位、非常に数多くのメーターやスイッチ類が、制御卓やその背後の壁面にびっしり配置されています!
正に船の心臓部と言えそうなスペースです。
統括制御室を過ぎると、船の全ての電源を発生させていた発電機室があり、順路最後の見学場所となっていたのですが、撮影をしていなかったようです…orz
機関部を浸水から守る、水密辷扉(すいみつすべりとびら)。
使われないに越したことはありませんね(-_-;)
見学の順路を全て辿り終え、乗船した2階船楼甲板へと戻ります。
先程目にした、特急用ディーゼルカー(キハ82系)の側にある階段を上がっていきます。
時刻は11月~3月期の最終入館時刻である16時30分を過ぎていて、日の当たらない1階車両甲板でも既に人影はなく、取り残される車両達が少し寂しげに見送ってくれているように見えました(´-`)/~
たっぷり1時間をかけて、かつて青函連絡船に就航していた八甲田丸を、じっくりと見学してきました!
岸壁の可動橋と重なった青森ベイブリッジの主塔が、相変わらずワイヤーを麗しく広げる優美な姿で迎えてくれました^^
4月~10月の期間は、最終入館時刻が18時に延長されることからも分かるとおり、私が訪れた3月はまだ冬の閑散期であったからなのか訪れる人も少なく、心おきなく見学を楽しむことができて大変満足して八甲田丸を後にしたのですが、経営的には当然多くのお客さんの来訪があった方が良い訳で、このメモリアルシップの末永い存続を願う身としては、いささか複雑な気分になりました。
函館市青函連絡船記念館として、青森の八甲田丸と同様に函館で保存されている、摩周丸共々、本州と北海道とを結ぶ重要な役割を担ってきた青函連絡船の生き証人として、その端正な船体を縁のある地にいつまでも留めていて欲しい…かつて連絡船に乗船した1人として、「お疲れ様」と、そっと耳打ちする感じで労いの言葉を念じながら、八甲田丸を後にしました。
1階車両甲板は、4階航海甲板と同様に、就航当時は一般乗客の立ち入りはできず、今回の見学が楽しみな区画の1つでもあります。
1階車両甲板からは、更に階段を下りてB1階第二甲板のエンジンルーム(当然こちらも就航当時は乗客の立ち入り禁止)を最後に見学します。
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八甲田丸のブリッジ(操舵室)がある4階航海甲板から、エレベータで1階車両甲板へと下りてきました!
車両甲板は、その名のとおり、鉄道車両を格納するためのスペースで、荷物車等の鉄道車両が格納されている状態で展示されていました。
甲板上には、何本もの線路が敷かれていて、さながら船の中に駅があるようでした。
元々薄暗そうな甲板を煌々と照らし出していた蛍光灯の光に鈍く映える車両群が、静かに佇みながら見学者を迎えてくれました。
本来の役目を終えた車両達は、悠々と余生を送っているように思えました。
…そういえば、八甲田丸も同じ立場ですね(^^;
このように旅客用の車両も展示されていますが、昭和29年9月26日に起きた「洞爺丸事故」以後、客車の航送は行なわれなくなりました。
この洞爺丸事故を契機に、青函トンネルの実現に向けて、その計画が具体化していくこととなりました。
車両甲板内にて、船尾方向を眺めています。
船尾へ向けて、レールが集約されていきます。
撮影地点の周囲は、段差をなくすために、レールは埋め込まれてしまっています。
八甲田丸の船尾扉。
巨大な水密扉が行く手を阻むかのように、船外との境界を塞ぐように閉鎖しています。
この扉の外側はすぐ岸壁となっていて、線路を連結して車両を出し入れしていました。
1階車両甲板の見学はここまで、この階段を下りてB1階第二甲板である、エンジンルームへ向かいます。
これより海面下となるようです;
B1階第二甲板は、八甲田丸の動力源となる機関部の区画であり、こちらはそのエンジンルーム、第一主機室。
八甲田丸には、主機関である1,600馬力のディーゼルエンジンが全部で8基搭載されています!
この第一主機室には、そのうち4基が搭載されています。
見学ができるのは、第一主機室のみでした。
天井は低く、水密構造で決して広い空間ではないのですが、1基でも物凄く巨大なエンジンが4基も並んで鎮座している様子は、実に圧巻&壮観でした!!
これらの機関がフル稼働していた現役の頃は、さぞかし凄まじい騒音であったことでしょう;
周囲には、未だにオイルの匂いが漂っていました。
八甲田丸のエンジンや、発電機等の動力制御を一手に担っていた、統括制御室。
間違えてしまいそうな位、非常に数多くのメーターやスイッチ類が、制御卓やその背後の壁面にびっしり配置されています!
正に船の心臓部と言えそうなスペースです。
統括制御室を過ぎると、船の全ての電源を発生させていた発電機室があり、順路最後の見学場所となっていたのですが、撮影をしていなかったようです…orz
機関部を浸水から守る、水密辷扉(すいみつすべりとびら)。
使われないに越したことはありませんね(-_-;)
見学の順路を全て辿り終え、乗船した2階船楼甲板へと戻ります。
先程目にした、特急用ディーゼルカー(キハ82系)の側にある階段を上がっていきます。
時刻は11月~3月期の最終入館時刻である16時30分を過ぎていて、日の当たらない1階車両甲板でも既に人影はなく、取り残される車両達が少し寂しげに見送ってくれているように見えました(´-`)/~
たっぷり1時間をかけて、かつて青函連絡船に就航していた八甲田丸を、じっくりと見学してきました!
岸壁の可動橋と重なった青森ベイブリッジの主塔が、相変わらずワイヤーを麗しく広げる優美な姿で迎えてくれました^^
4月~10月の期間は、最終入館時刻が18時に延長されることからも分かるとおり、私が訪れた3月はまだ冬の閑散期であったからなのか訪れる人も少なく、心おきなく見学を楽しむことができて大変満足して八甲田丸を後にしたのですが、経営的には当然多くのお客さんの来訪があった方が良い訳で、このメモリアルシップの末永い存続を願う身としては、いささか複雑な気分になりました。
函館市青函連絡船記念館として、青森の八甲田丸と同様に函館で保存されている、摩周丸共々、本州と北海道とを結ぶ重要な役割を担ってきた青函連絡船の生き証人として、その端正な船体を縁のある地にいつまでも留めていて欲しい…かつて連絡船に乗船した1人として、「お疲れ様」と、そっと耳打ちする感じで労いの言葉を念じながら、八甲田丸を後にしました。
大型船は乗客数が多い分、海難事故が起きると犠牲者の数が一気に増えてしまいますね。
船は優雅に海の上を滑っているように思えますが、こんなに沢山のエンジンが頑張ってくれてるんですね。
水の上では首をすっと伸ばして優雅な姿を見せつつ、水面下では一生懸命脚で水をかいている白鳥と同じですね。
こういう施設は空いていると嬉しいけれど、確かに経営状態を考えると、不安になりますね。
いっそのこと泉質の一部を道の駅ならぬ、海の駅にしたら集客も可能かもしれません。
今日の青函トンネル建設具体化の契機となった大事故として、記憶に留め置くべき重い事実だと思います。
8千トンを超える八甲田丸のエンジンは、1基でも物凄い巨大で、それが4基ズラリと並んだ主機室の眺めは、それは壮観でした!
これが更にもう4基あるのですから、実際のパワーの程は、想像もつきませんでした(^^;
白鳥の例え、とても分かり易くて的確な上に、美しい表現ですね^^
使わせていただきますw
私が訪れたのは(多分)閑散期の夕刻近く、主機室等特に閉鎖感の強い区画では、正直人恋しくなる位に、他の見学者の姿を見ませんでした;
何とか盛り立てて、いつまでも青森のシンボルの1つとして、存続していって欲しいと思います。