高岡にて最高に幸せな昼時を過ごした後、この富山再訪のもう1つの目的であった、雨晴海岸から立山連峰を眺めるために、再びJR氷見線の客となりました。
雲や霞がかかったような空模様…一抹の不安を胸に、列車に乗り込みました。
______________________________________________
高岡市美術館の最寄駅である、JR氷見線の越中中川駅。
午前中に下車したこの駅に戻って、高岡からやって来た氷見行の列車に再び乗車します。
列車がくぐっている陸橋…実は、お昼をいただいた味喜寿しさんで、地元の方から「この陸橋から立山が見えたら、雨晴でも見えるはず」と教えていただきました。
当然のことながら逆もまた然りで、見えなかったら(以下略)…ということで駅へ向かう途中眺めてきたのですが…状況はかなり厳しそうでした;;
越中中川から15分で、雨晴に到着しました。
ローカル線の途中駅としては大きな、雨晴駅の駅舎です。
この駅から目と鼻の先の雨晴海岸へ、歩を進めます!
雨晴海岸からの絶景は、万葉の歌人、大伴家持も数多くの歌を詠んでいます。
海岸へ出る途中で、氷見線の線路を渡ります。
先程降り立った雨晴駅構内、そのホーム越しに富山湾が青く見えています。
青い海の上の空は…白い雲のかかったような色をしています。。。
残念!!
立山は見えず(ToT)
空には、雪雲のような霞がかった雲が一面に覆っていました。
晴れていれば、正面の海上に雪を戴いた標高3,000m級である立山の山々が連なる、世界的にも珍しい絶景を恣に出来たのですが…そう簡単にはその美しい姿を見せてはくれないようです(TT)
高岡行の列車が、走り去っていきます…。
次の列車まで1時間20分程あるので、せっかくここまで来たのだし、のんびり海岸を散策することにしました。
…とはいえ、打ち寄せる波の画像をご覧いただいてお分かりかと思いますが、この日の雨晴海岸はかなりの強風、身を切るような風に震えながらの散策となりました><
歩いていくと、波打ち際がすぐそばまで近付いてくる程に浜辺が狭くなり、時折波飛沫がかかりそうになります。
少し恐怖感も覚えました;
正面の海上に、対岸の山裾らしき影が辛うじて見えているようないないような…一縷の望みに賭け、往生際悪く足掻きながら撮影しました(^^;
氷見線は、雨晴海岸付近は最も海寄りを走っています。
この右端の、防波堤のような石組みの上に線路があり、鉄道信号が見えています。
うっすりとぼやけた空模様も絶えず微妙に変化しているらしく、先程まで辛うじて見えていた(気がする?)対岸の山裾らしき影は、この時は見えなくなってしまいました。
しばらく波打ち際を歩いていくと、再び砂浜が広がりだしてきた所に、ここだけ海に向かって突き出したような大きな岩がありました。
義経岩といい、源義経と武蔵坊弁慶が奥州へ落ち延びる途中ここで雨宿りをした、という伝説があるそうです。
「雨晴」という地名の元となった伝説とのことです。
義経岩の傍らには、お社が鎮座していました。
小さなお社ですが、狛犬を侍らせ、立派な注連縄が鳥居に掲げられていました。
真偽はさておき(伝説ですので)、地名の由来となった義経と弁慶の言い伝えや、こちらは事実である大伴家持との縁…家持も堪能したであろう絶景は見られませんでしたが、寄せる荒波をぼんやりと眺めているだけでも、歴史のロマンに思いを馳せることができた気がしました^^
義経岩に近付きます。
岩の上には、「よしつね 雨はらし」とは判読できる石碑が立てられていました。
岩の内部は空洞状で、成る程、雨宿りの伝説が伝わる訳ですね。
浜辺へ回り込み、海側から見た義経岩の特異な姿。
列柱のように立ち並ぶ太い岩の上に、別の岩を乗せたような形をしています。
この岩はかつての古墳の石槨(せっかく)部分が波に洗われて露出したものという説もあるそうです。
海側の正面からみると、特異な形状が良く分かります。
この内部はさして広くもなく、外と厳しく隔絶されてもいませんでしたが、何故かあまり長居はしたくないな;、という雰囲気でした。。。
お社は、氷見線の線路脇すぐの所にあります。
先程とは逆向きの氷見方面、私がここまで歩いてきた方向を眺めています。
ここでは、愛嬌のある「もちカエル!!」クンwも出迎えてくれます^^
左へカーブしている線路を更に先へしばらく進むと、雨晴駅へ至ります。
正面に見える、赤を点灯させている鉄道信号が、先程波打ち際から見上げたこの信号です。
義経岩で小休止の後、もう少し雨晴海岸を進むことにしました。
雲や霞がかかったような空模様…一抹の不安を胸に、列車に乗り込みました。
______________________________________________
高岡市美術館の最寄駅である、JR氷見線の越中中川駅。
午前中に下車したこの駅に戻って、高岡からやって来た氷見行の列車に再び乗車します。
列車がくぐっている陸橋…実は、お昼をいただいた味喜寿しさんで、地元の方から「この陸橋から立山が見えたら、雨晴でも見えるはず」と教えていただきました。
当然のことながら逆もまた然りで、見えなかったら(以下略)…ということで駅へ向かう途中眺めてきたのですが…状況はかなり厳しそうでした;;
越中中川から15分で、雨晴に到着しました。
ローカル線の途中駅としては大きな、雨晴駅の駅舎です。
この駅から目と鼻の先の雨晴海岸へ、歩を進めます!
雨晴海岸からの絶景は、万葉の歌人、大伴家持も数多くの歌を詠んでいます。
海岸へ出る途中で、氷見線の線路を渡ります。
先程降り立った雨晴駅構内、そのホーム越しに富山湾が青く見えています。
青い海の上の空は…白い雲のかかったような色をしています。。。
残念!!
立山は見えず(ToT)
空には、雪雲のような霞がかった雲が一面に覆っていました。
晴れていれば、正面の海上に雪を戴いた標高3,000m級である立山の山々が連なる、世界的にも珍しい絶景を恣に出来たのですが…そう簡単にはその美しい姿を見せてはくれないようです(TT)
高岡行の列車が、走り去っていきます…。
次の列車まで1時間20分程あるので、せっかくここまで来たのだし、のんびり海岸を散策することにしました。
…とはいえ、打ち寄せる波の画像をご覧いただいてお分かりかと思いますが、この日の雨晴海岸はかなりの強風、身を切るような風に震えながらの散策となりました><
歩いていくと、波打ち際がすぐそばまで近付いてくる程に浜辺が狭くなり、時折波飛沫がかかりそうになります。
少し恐怖感も覚えました;
正面の海上に、対岸の山裾らしき影が辛うじて見えているようないないような…一縷の望みに賭け、往生際悪く足掻きながら撮影しました(^^;
氷見線は、雨晴海岸付近は最も海寄りを走っています。
この右端の、防波堤のような石組みの上に線路があり、鉄道信号が見えています。
うっすりとぼやけた空模様も絶えず微妙に変化しているらしく、先程まで辛うじて見えていた(気がする?)対岸の山裾らしき影は、この時は見えなくなってしまいました。
しばらく波打ち際を歩いていくと、再び砂浜が広がりだしてきた所に、ここだけ海に向かって突き出したような大きな岩がありました。
義経岩といい、源義経と武蔵坊弁慶が奥州へ落ち延びる途中ここで雨宿りをした、という伝説があるそうです。
「雨晴」という地名の元となった伝説とのことです。
義経岩の傍らには、お社が鎮座していました。
小さなお社ですが、狛犬を侍らせ、立派な注連縄が鳥居に掲げられていました。
真偽はさておき(伝説ですので)、地名の由来となった義経と弁慶の言い伝えや、こちらは事実である大伴家持との縁…家持も堪能したであろう絶景は見られませんでしたが、寄せる荒波をぼんやりと眺めているだけでも、歴史のロマンに思いを馳せることができた気がしました^^
義経岩に近付きます。
岩の上には、「よしつね 雨はらし」とは判読できる石碑が立てられていました。
岩の内部は空洞状で、成る程、雨宿りの伝説が伝わる訳ですね。
浜辺へ回り込み、海側から見た義経岩の特異な姿。
列柱のように立ち並ぶ太い岩の上に、別の岩を乗せたような形をしています。
この岩はかつての古墳の石槨(せっかく)部分が波に洗われて露出したものという説もあるそうです。
海側の正面からみると、特異な形状が良く分かります。
この内部はさして広くもなく、外と厳しく隔絶されてもいませんでしたが、何故かあまり長居はしたくないな;、という雰囲気でした。。。
お社は、氷見線の線路脇すぐの所にあります。
先程とは逆向きの氷見方面、私がここまで歩いてきた方向を眺めています。
ここでは、愛嬌のある「もちカエル!!」クンwも出迎えてくれます^^
左へカーブしている線路を更に先へしばらく進むと、雨晴駅へ至ります。
正面に見える、赤を点灯させている鉄道信号が、先程波打ち際から見上げたこの信号です。
義経岩で小休止の後、もう少し雨晴海岸を進むことにしました。
立山を見る事ができなかったのは少し残念ですが次回再再訪の理由づけにもなりますよね^^
義経岩、本当に雨宿りができそうな形ですね。
「あまり長居はしたくないな」と思わせる”気”のようなものを感じてしまうのでしょうか?見える人には見えちゃったりする場所かもしれませんね^^;
↓のお寿司記事、耐えられず今日はお昼お寿司食べてしまいました、残念ながら京都でですが(笑)
「旅情」という情感豊かに湧いてくるセンチメンタルな感情に加えて、地元の方々の厚い人情にも触れることができる、素敵な「旅」でした^^
雨晴海岸は、こうなったら立山を見るまで通わなければなりませんね;
冬景色が最高とのことなので、ハードルは高そうです。。。
義経岩の内部は大きな隙間にもかかわらず、何故かじっとしていたら出られなくなりそうな感覚に襲われました><
京都のお寿司もバラエティ豊かで、実に美味ですよね~♪
kikiさんお勧めの伊豫又さんにいつ行こうか、ウズウズしていますw
でも、次回は3度目の正直で海にくっきり浮き上がる姿が見られると思います。
義経岩、自然に出来た形とは思えませんね。
屋根のようになっている岩は下のものと時代が違って風化の速度が違うのでしょうね。
ここだったら確かに絶好の雨よけになりそうです。
見られなかったら見られなかったで次回訪問の理由にもなるし、荒れ模様の冬景色も良いものだ、と前向きに考えることにしました。
義経岩は、見る角度で天然にも、人工物にも見える不思議な姿形です。
やはり古墳だったのか、真実は謎のままにしておく方が、ロマンがありますよねw
荒天時には、雨よりも間近に迫るであろう荒波の方が怖いかもしれませんね;