祇園祭の前祭の宵山を見物したので、後祭の宵山も見物することにしました。
祇園祭は、平成26年(2014年)である今年から、昭和41年(1966年)から前祭の山鉾巡行の日に後祭の山鉾も巡行することとなって以来49年ぶりに、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の山鉾巡行を日を違えて行なう形を復活させました。
(前祭の記事では、昭和41年まで前祭と後祭の二度にわたって行われたとの記述でしたが誤りでした←前祭の記事中の文を訂正しました)
見物したのは、7月24日に行なわれる後祭の山鉾巡行の2日前の宵々山です。
四条通が歩行者天国となり、自由に動き回るのも難しい程の人出であった前祭の宵山とは異なり、(山鉾が建つ場所の関係もありますが)歩行者天国もなく、露店もほとんど出ない後祭の宵山は、ゆったりと山鉾を見て回るには(一部の山鉾を除いて)程良い人出で、たまたま少し涼しかったこの日の夕べを楽しむことができました♪
<京都祇園祭>
<公益財団法人祇園祭山鉾連合会>
後祭の宵々山、まず訪れたのは、夕刻を迎えて多くの車が行き交う、京都市街の中心を南北に貫く烏丸通に建てられた、鈴鹿山(すずかやま)。
烏丸通同様に京都市街中心部を東西に走る大通りである御池通から一筋南の姉小路通と烏丸通との交差点附近のオフィスビル街の底に佇んでいました。
たった1基の山があるだけで、その場の雰囲気が祭りのムードになりますね。
房のように垂れ下がる、提灯の灯りが、いい感じです。
山には真木(しんぎ)である松の木があるだけの、寂しい姿でした;
この鈴鹿山、巡行時には、金烏帽子をかぶり大長刀を持つ女人姿の鈴鹿権現(瀬織津姫 / せおりつひめ)の御神体や、鳥居等を戴きます。
上記リンク先に画像があります。
姉小路通に掛かる、役行者山(えんのぎょうじゃやま)の提灯。
とてもシンプルな飾り付けながら、風情を感じます^^
役行者山は、姉小路通から室町通を南へ入った所にあります。
役行者山の前後を飾る提灯。
提灯に描かれているのは、それぞれの山鉾がある町の紋なのでしょうね。
役行者山も、小ぶりながら華やかな山であるようです。
それぞれの山の御神体等は、巡行時までは町会所等に置かれているようですね。
三条通室町西入るのこちらでは、鷹山(たかやま)の御神体や懸装品を展示しています。
鷹山は文政九年(1826年)の大雨で懸想品が損壊して、その翌年から巡行できなくなり、元治元年(1864年)の蛤御門の変による火災で焼失、現在は休み山となっています。
最後の巡行から200年後となる、平成38年(2026年)の巡行復帰を目指して、今年(平成26年)に囃子方を復活させたとのことです。
室町通の南の方向を望みます。
黒主山(くろぬしやま)と鯉山(こいやま)とが重なり合うように連なる構図、祇園祭の雰囲気をとても感じます!
役行者山の南に建つ、黒主山。
多くの人々が行き交いますが、前祭の時のような、身動きの取れない程の人手ではありませんでした。
祭りの賑わいとしては、適頃の人出かと^^
黒主山の上には、真木と枝垂れ桜のような木?が、ライトアップされて綺麗でした♪
懸装品も、華麗です!
室町通を更に南へ下がると、鯉山があります。
山鉾ごとに意匠の違う提灯を眺めるのも、面白いですね。
鯉山も、宵々山のこの日は真木と鳥居があるだけ。
巡行時には、跳躍する大きな鯉がこの山に乗るそうです。
鯉山の附近で街角を照らしていた提灯。
和傘を差して、情緒がありますね。
室町通から蛸薬師通へと入って東にすぐの所に、橋弁慶山(はしべんけいやま)が建っていました。
前後を提灯に挟まれている山には、巡行時には、「橋弁慶」の謡曲のとおりに、五条の大橋で対決する牛若丸と弁慶の場面が再現されます。
やはり、山のすぐ近くの町会所に、牛若丸と弁慶の人形や、五条の大橋が展示されていました。
室町通の西隣の新町通にも、山が3基建てられています。
その中で、最も北に位置しているのが、この八幡山(はちまんやま)です。
この八幡山も、この時は真木と鳥居が立つのみでした。
巡行時には、総金箔の祠が山の上に鎮座するそうです!
新町通、八幡山の南に建つのが、北観音山(きたかんのんやま)。
鉾と見紛う、大きな山です。
吊されている提灯の房も、大がかりなものとなっています。
囃子方らしき方々が、北観音山の上に上がっていました。
これから、お囃子が始まるのでしょうか?
真下から見上げると、華麗な北観音山の迫力ある姿を恣にできます♪
祇園祭を担ってきた町衆の粋と誇りを感じさせる、豪華な造りと懸装品に彩られた北観音山です。
祇園囃子を奏でている、北観音山の囃子方。
この音色を以て、祇園祭の宵山の情景は完成しますね。
しばらくの間、奏でられるお囃子に耳を傾けます。
北観音山の南隣には、南観音山(みなみかんのんやま)が建てられています。
連なる赤い提灯の風情が、素敵です^^
明るい提灯に照らし出されて輝くように浮かび上がる、南観音山の艶姿。
懸装品の鮮やかな美しさが印象的でした!
赤と金を多用していながら上品さを保っているのは、伝統からくる風格なのでしょう。
この日の宵々山見物も、いよいよラストとなりました!
後祭の山鉾で唯一、四条通よりも南に建つ、大船鉾(おおふねほこ)です。
南観音山から新町通をそのまま直進して四条通を越えると、程なく提灯が目に入ってきます。
この大船鉾の周囲の人出は、後祭の山鉾中で際立っていました;
大船鉾は、平成26年(2014年)から遡ること150年の幕末は元治元年(1864年)、世に言う「蛤御門の変」に伴う大火で木組みや車輪が焼失してしまって以来、巡行には参加することができなかったのですが、この度めでたく再興なって、150年ぶりに後祭の殿として、巡行に復帰する運びとなりました。
こうしたことから、後祭での注目度も高く、このような凄い人出となったのでしょう。
150年の時を経て復興した真新しい鉾は、新しい建材の明るさも加わって、眩いばかりの輝きを放っていました。
前祭の船鉾(ふねほこ)同様に、ユニークな船の形をした優美な姿には、見とれずにはいられません。
前祭の船鉾が、「出陣船鉾」と呼ばれるのに対して、この大船鉾は、「凱旋船鉾」と呼ばれてきました。
山鉾巡行のトリを飾るのが、この優美な個性を有する大船鉾となり、祇園祭に益々華を添えることになりそうです^^
大船鉾の提灯の脇を通り過ぎ、後祭の宵々山の見物を切り上げました。
前祭と異なり、四条通の歩行者天国もなく、露店も出ない(全くなかった訳ではありませんでしたが)後祭の宵々山でしたが、大船鉾等を除いて適度な人出で、祇園祭の賑わいと昔ながらの風情とを、余裕を持って楽しめたように思えます。
前祭には23基の山鉾が参加するのに対し、後祭の山鉾は10基という規模の違いも、人出の少なさに繋がっているのでしょう。
それでも、華麗な山の数々と大船鉾や北観音山といった優美で迫力のある山鉾の雄姿も拝むことができた後祭。
前祭と併せて、それぞれ異なる雰囲気を味わうのも楽しかった、後祭の宵々山の見物でした。
祇園祭は、平成26年(2014年)である今年から、昭和41年(1966年)から前祭の山鉾巡行の日に後祭の山鉾も巡行することとなって以来49年ぶりに、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の山鉾巡行を日を違えて行なう形を復活させました。
(前祭の記事では、昭和41年まで前祭と後祭の二度にわたって行われたとの記述でしたが誤りでした←前祭の記事中の文を訂正しました)
見物したのは、7月24日に行なわれる後祭の山鉾巡行の2日前の宵々山です。
四条通が歩行者天国となり、自由に動き回るのも難しい程の人出であった前祭の宵山とは異なり、(山鉾が建つ場所の関係もありますが)歩行者天国もなく、露店もほとんど出ない後祭の宵山は、ゆったりと山鉾を見て回るには(一部の山鉾を除いて)程良い人出で、たまたま少し涼しかったこの日の夕べを楽しむことができました♪
<京都祇園祭>
<公益財団法人祇園祭山鉾連合会>
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後祭の宵々山、まず訪れたのは、夕刻を迎えて多くの車が行き交う、京都市街の中心を南北に貫く烏丸通に建てられた、鈴鹿山(すずかやま)。
烏丸通同様に京都市街中心部を東西に走る大通りである御池通から一筋南の姉小路通と烏丸通との交差点附近のオフィスビル街の底に佇んでいました。
たった1基の山があるだけで、その場の雰囲気が祭りのムードになりますね。
房のように垂れ下がる、提灯の灯りが、いい感じです。
山には真木(しんぎ)である松の木があるだけの、寂しい姿でした;
この鈴鹿山、巡行時には、金烏帽子をかぶり大長刀を持つ女人姿の鈴鹿権現(瀬織津姫 / せおりつひめ)の御神体や、鳥居等を戴きます。
上記リンク先に画像があります。
姉小路通に掛かる、役行者山(えんのぎょうじゃやま)の提灯。
とてもシンプルな飾り付けながら、風情を感じます^^
役行者山は、姉小路通から室町通を南へ入った所にあります。
役行者山の前後を飾る提灯。
提灯に描かれているのは、それぞれの山鉾がある町の紋なのでしょうね。
役行者山も、小ぶりながら華やかな山であるようです。
それぞれの山の御神体等は、巡行時までは町会所等に置かれているようですね。
三条通室町西入るのこちらでは、鷹山(たかやま)の御神体や懸装品を展示しています。
鷹山は文政九年(1826年)の大雨で懸想品が損壊して、その翌年から巡行できなくなり、元治元年(1864年)の蛤御門の変による火災で焼失、現在は休み山となっています。
最後の巡行から200年後となる、平成38年(2026年)の巡行復帰を目指して、今年(平成26年)に囃子方を復活させたとのことです。
室町通の南の方向を望みます。
黒主山(くろぬしやま)と鯉山(こいやま)とが重なり合うように連なる構図、祇園祭の雰囲気をとても感じます!
役行者山の南に建つ、黒主山。
多くの人々が行き交いますが、前祭の時のような、身動きの取れない程の人手ではありませんでした。
祭りの賑わいとしては、適頃の人出かと^^
黒主山の上には、真木と枝垂れ桜のような木?が、ライトアップされて綺麗でした♪
懸装品も、華麗です!
室町通を更に南へ下がると、鯉山があります。
山鉾ごとに意匠の違う提灯を眺めるのも、面白いですね。
鯉山も、宵々山のこの日は真木と鳥居があるだけ。
巡行時には、跳躍する大きな鯉がこの山に乗るそうです。
鯉山の附近で街角を照らしていた提灯。
和傘を差して、情緒がありますね。
室町通から蛸薬師通へと入って東にすぐの所に、橋弁慶山(はしべんけいやま)が建っていました。
前後を提灯に挟まれている山には、巡行時には、「橋弁慶」の謡曲のとおりに、五条の大橋で対決する牛若丸と弁慶の場面が再現されます。
やはり、山のすぐ近くの町会所に、牛若丸と弁慶の人形や、五条の大橋が展示されていました。
室町通の西隣の新町通にも、山が3基建てられています。
その中で、最も北に位置しているのが、この八幡山(はちまんやま)です。
この八幡山も、この時は真木と鳥居が立つのみでした。
巡行時には、総金箔の祠が山の上に鎮座するそうです!
新町通、八幡山の南に建つのが、北観音山(きたかんのんやま)。
鉾と見紛う、大きな山です。
吊されている提灯の房も、大がかりなものとなっています。
囃子方らしき方々が、北観音山の上に上がっていました。
これから、お囃子が始まるのでしょうか?
真下から見上げると、華麗な北観音山の迫力ある姿を恣にできます♪
祇園祭を担ってきた町衆の粋と誇りを感じさせる、豪華な造りと懸装品に彩られた北観音山です。
祇園囃子を奏でている、北観音山の囃子方。
この音色を以て、祇園祭の宵山の情景は完成しますね。
しばらくの間、奏でられるお囃子に耳を傾けます。
北観音山の南隣には、南観音山(みなみかんのんやま)が建てられています。
連なる赤い提灯の風情が、素敵です^^
明るい提灯に照らし出されて輝くように浮かび上がる、南観音山の艶姿。
懸装品の鮮やかな美しさが印象的でした!
赤と金を多用していながら上品さを保っているのは、伝統からくる風格なのでしょう。
この日の宵々山見物も、いよいよラストとなりました!
後祭の山鉾で唯一、四条通よりも南に建つ、大船鉾(おおふねほこ)です。
南観音山から新町通をそのまま直進して四条通を越えると、程なく提灯が目に入ってきます。
この大船鉾の周囲の人出は、後祭の山鉾中で際立っていました;
大船鉾は、平成26年(2014年)から遡ること150年の幕末は元治元年(1864年)、世に言う「蛤御門の変」に伴う大火で木組みや車輪が焼失してしまって以来、巡行には参加することができなかったのですが、この度めでたく再興なって、150年ぶりに後祭の殿として、巡行に復帰する運びとなりました。
こうしたことから、後祭での注目度も高く、このような凄い人出となったのでしょう。
150年の時を経て復興した真新しい鉾は、新しい建材の明るさも加わって、眩いばかりの輝きを放っていました。
前祭の船鉾(ふねほこ)同様に、ユニークな船の形をした優美な姿には、見とれずにはいられません。
前祭の船鉾が、「出陣船鉾」と呼ばれるのに対して、この大船鉾は、「凱旋船鉾」と呼ばれてきました。
山鉾巡行のトリを飾るのが、この優美な個性を有する大船鉾となり、祇園祭に益々華を添えることになりそうです^^
大船鉾の提灯の脇を通り過ぎ、後祭の宵々山の見物を切り上げました。
前祭と異なり、四条通の歩行者天国もなく、露店も出ない(全くなかった訳ではありませんでしたが)後祭の宵々山でしたが、大船鉾等を除いて適度な人出で、祇園祭の賑わいと昔ながらの風情とを、余裕を持って楽しめたように思えます。
前祭には23基の山鉾が参加するのに対し、後祭の山鉾は10基という規模の違いも、人出の少なさに繋がっているのでしょう。
それでも、華麗な山の数々と大船鉾や北観音山といった優美で迫力のある山鉾の雄姿も拝むことができた後祭。
前祭と併せて、それぞれ異なる雰囲気を味わうのも楽しかった、後祭の宵々山の見物でした。
今年はちょうどこの時、東京出張と重なってしまったので見る事は出来なかったですが、来年は後祭の宵々山見物したいです♪
東京と京都、気温がまったく違いました!やはり京都は暑いんだと再確認しました^^
流石に祇園祭なので、後祭でも結構な人出でしたが、前祭の時のように、人の流れに押されるがまま…という事はなくて(大船鉾を除く)、祇園祭の空気に浸って宵々山をゆったり楽しめました!
梅雨も明けてしまい、これからしばらくは酷暑が続きそうですね><
どこか避暑へ出掛けたいです;
夕暮れ時の空に浮かび上がる提灯が綺麗ですね。
まさに日本のお祭り。
素晴らしいタペストリーが並んで、道がそのまま美術館になった感じですね。
隅田川の花火の後、浅草の町がゴミの山と化していたそうです。
日本人のマナーもずいぶん低下してしまったものですね。
屋台を出さないのは正解だと思うけれど、その分お祭りの楽しみはちょっと減りますよね。
今回は時間的な都合もあって、ゆっくり観覧できませんでした;
宵山の醍醐味は、タヌ子さんが仰るとおり、黄昏れゆく空を背景にした美しい提灯の明かりが盛り上げる、祭りの雰囲気ですね^^
ご神体はなくても、タペストリー等の懸装品を纏った山鉾の艶姿は、やはり見応えがあります!
マナー低下の一方で、ゴミを拾って回るスタッフの方々もいらっしゃって、日本の矜恃は辛うじて保たれているといったところでしょうか。。。
ゴミ問題や深夜の馬鹿騒ぎ等の問題を受けて、後祭のポリシーは、元々町衆の祭りであった秩序ある祇園祭への回帰の試みなのかもしれません。