
龍神温泉へ到着後、まずは予約していた旅館で小休止の後、夕食までの少しの時間を使って、こじんまりとした温泉街を散策しました。
<<晩秋の紀州山中巡り-05>
紀州の山々に抱かれて流れる日高川の川べりに開けた、山深い龍神温泉をそぞろ歩き、温泉街背後の山腹にある、小さな滝を目指します。
晩秋の早い日暮れまでに、ギリギリ間に合ったタイミングで、温泉街へと戻ることができました。


龍神温泉バス停の斜向かいにあたる位置にある温泉旅館「有軒屋」に、この日は宿泊します。
道路に面した宿の建物は、古風で落ち着いた佇まい。
風格ある正面の引き戸を開けて、中へと入ります。

通されたのは、新館の部屋でした。
広々とした綺麗な和室で、ごろりと横になると、寝落ちしそうになりましたw
山深い秘湯に相応しく、部屋の中は、贅沢と感じる程の静寂な雰囲気に包まれていました。

部屋は龍神温泉を貫く日高川に面していて、窓からは、その澄んだ流れを眺めることができます。
本当に、美しい清流でした。
岩場となっている川べりからは、木々の緑に覆われた山肌が屏風のように立ちはだかる、迫力のある景色が、部屋の正面から眺めることができます。

龍神温泉は、「日本三美人の湯」の一つとされているようです。
あとの二つは、群馬県の川中温泉と島根県の湯の川温泉とのこと。
お肌がツルツルとなる、美肌の泉質のようですね。

予約時に、18時過ぎに頼んだ夕食まで、あと1時間半程。
少々空いた時間を、温泉の散策に充てることにしました。
先程、宿へと入ったレトロな本館の玄関から、散策へ出発です。

「龍神」の名のとおり、其処此処に龍をモチーフとしたオブジェを見掛けました。
これは、日高川に架かる、国道371号線から分かれて龍神温泉の入口となっている橋の欄干。
橋から上流方向の正面に、歩道専用の橋や、龍神温泉の旅館街が、見えています。
愛嬌のある龍に見送られながら、橋を渡ります^^


橋を渡って旅館街の方へと踵を返し、今度は歩道専用の橋から、下流と上流の双方向を眺めます。
下流方向には先程渡った、龍の欄干がある橋を望むことができます。
川面から、結構な高さのあることが分かりますね。。。
上流方向には、日高川べりに建ち並ぶ、龍神温泉の旅館の建物がひしめく様子を、一望できます。

歩道専用の橋を渡って、旅館の建つ温泉街側へと戻った先に、龍神温泉元湯があります。
この源泉掛け流しの元湯は日帰り温泉施設で、日曜日であったこの日も、入浴客で賑わっている様子でした。
外壁には、やはり龍の意匠がw

元湯と道路を挟んだ高台に建つ、温泉寺。
このお堂の近くに、龍神温泉の源泉があるようです。
案内看板にあった説明によれば、弘法大師が夢のお告げによって泉源を得た場所に庵を建て、江戸時代の僧が頑固な腫物をこの湯で直したことにより、お堂を再建して「温泉寺」と名付けたという、言い伝えがあるとのこと。

まだ時間に余裕があったので、山へ少々入った場所にあるという、「曼陀羅の瀧」へ足を延ばしてみることに。
温泉寺からは、約600m位の距離です。
寺の境内の端から、背後の斜面へと分け入る小径の坂を上っていきます。

人と人とがギリギリすれ違える程度の道幅で、山中へと延びていく小径。
落葉等に半ば埋もれたような石畳を頼りに、結構急な勾配を登り続けます。
当然ながら、街灯のような照明はありませんでしたので、日が暮れて真っ暗となる前に、温泉街へと戻らなければなりません;
行く手を、一本の巨木が倒れて、塞いでいました;;
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
2018年の9月に近畿地方でも大きな災害をもたらした台風21号は、ここ龍神温泉でもその爪痕を残していました。
龍神温泉でも、停電や電話の不通等、インフラへの被害が1週間~10日程も続いたとのことです。
恐らく人通りも疎らであろうこうした山中では、復旧も後回しとなり、台風が通過して2ヶ月以上が経過してなお、このように倒木が放置されたままでした。
径を塞いでいるこの木の他にも、倒木や傾いている木々が数多く残っていました。


瀧まであと数100mである筈ですが、急な上り坂は、一向に終わる兆しを見せてくれません…;
運動不足の我が身に鞭打ち、ゼイゼイ喘ぎながら、黙々と山の中を進みます。
11月も半ば過ぎの夕刻というのに、いつしか、汗まみれとなっていました;;
急勾配の小径は、唐突に上り坂のまま終端を迎えて、その先に濡れた岩場が立ちはだかりました。
どうやら、ここが曼陀羅の瀧であるようです…。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
温泉寺からは、10分程の道程でした。
時刻は17時を回り、周囲も徐々に夜の闇に包まれ始めた明るさのせいもあるかもしれませんが、はっきりとした水流は判別することができません。
辛うじて、岩肌が濡れていることは、確認できましたが。。。
正直、時間と体力を使って見に来る価値があるかといえば…ちょっとガッカリ感を抱いてしまいましたが、この後の夕食を一層美味しくたらふくいただくための、いい運動となったことに感謝した、曼陀羅の瀧でしたw

右手に写っている柵を、更に右の方へと上って進んだ先が、小径の終端です。
柵の高さは、1.5m程でしょうか。
曼陀羅の瀧が、山の中に佇む小さな瀧であることを、実感することができます。

先程の、倒木が径を塞いでいる地点を、逆方向から。
塞ぎっぷりの見事さに、却って感心してしまいます;
小道の柵、何故谷側にないのだろう?とは、記事を書く段になって、ふと思い至りました(^^;)
画像では、そうは感じられませんが、周囲は急速に暗さが深くなっていっていました。
心なしか、歩くスピードも早めて、温泉街へと急ぎ下ります。

龍神温泉バス停へと至り、温泉街へと戻ってきました。
40分程で、温泉街を一回りして、山へ少し入った曼陀羅の瀧まで巡ることができた、こじんまりとした龍神温泉散策でした。

バス停で、翌日に乗車する、JR紀伊田辺駅方面行のバスの時刻を再確認。
この停留所には、本宮大社と護摩壇山乗り換えで高野山とを結んでいる、私もこの日、高野山から乗車してきた「聖地巡礼バス(4月~11月運行)」の他に、この紀伊田辺駅行(紀南病院行も、紀伊田辺駅を経由します)の路線バスが通っています。
1日4便の本数は、寧ろよく維持されているなぁ、という位に山深い龍神温泉。
9時台のバスの存在を確認し、バス停から目と鼻の先である、有軒屋さんへと戻りました。
<晩秋の紀州山中巡り-07>>
父が亡くなり、葬儀その他の用事により、先週はブログを更新することができませんでした。
ようやく時間的な余裕が戻ってきたので、今週より記事の投稿を再開します。
<<晩秋の紀州山中巡り-05>
紀州の山々に抱かれて流れる日高川の川べりに開けた、山深い龍神温泉をそぞろ歩き、温泉街背後の山腹にある、小さな滝を目指します。
晩秋の早い日暮れまでに、ギリギリ間に合ったタイミングで、温泉街へと戻ることができました。
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龍神温泉バス停の斜向かいにあたる位置にある温泉旅館「有軒屋」に、この日は宿泊します。
道路に面した宿の建物は、古風で落ち着いた佇まい。
風格ある正面の引き戸を開けて、中へと入ります。

通されたのは、新館の部屋でした。
広々とした綺麗な和室で、ごろりと横になると、寝落ちしそうになりましたw
山深い秘湯に相応しく、部屋の中は、贅沢と感じる程の静寂な雰囲気に包まれていました。

部屋は龍神温泉を貫く日高川に面していて、窓からは、その澄んだ流れを眺めることができます。
本当に、美しい清流でした。
岩場となっている川べりからは、木々の緑に覆われた山肌が屏風のように立ちはだかる、迫力のある景色が、部屋の正面から眺めることができます。

龍神温泉は、「日本三美人の湯」の一つとされているようです。
あとの二つは、群馬県の川中温泉と島根県の湯の川温泉とのこと。
お肌がツルツルとなる、美肌の泉質のようですね。

予約時に、18時過ぎに頼んだ夕食まで、あと1時間半程。
少々空いた時間を、温泉の散策に充てることにしました。
先程、宿へと入ったレトロな本館の玄関から、散策へ出発です。

「龍神」の名のとおり、其処此処に龍をモチーフとしたオブジェを見掛けました。
これは、日高川に架かる、国道371号線から分かれて龍神温泉の入口となっている橋の欄干。
橋から上流方向の正面に、歩道専用の橋や、龍神温泉の旅館街が、見えています。
愛嬌のある龍に見送られながら、橋を渡ります^^


橋を渡って旅館街の方へと踵を返し、今度は歩道専用の橋から、下流と上流の双方向を眺めます。
下流方向には先程渡った、龍の欄干がある橋を望むことができます。
川面から、結構な高さのあることが分かりますね。。。
上流方向には、日高川べりに建ち並ぶ、龍神温泉の旅館の建物がひしめく様子を、一望できます。

歩道専用の橋を渡って、旅館の建つ温泉街側へと戻った先に、龍神温泉元湯があります。
この源泉掛け流しの元湯は日帰り温泉施設で、日曜日であったこの日も、入浴客で賑わっている様子でした。
外壁には、やはり龍の意匠がw

元湯と道路を挟んだ高台に建つ、温泉寺。
このお堂の近くに、龍神温泉の源泉があるようです。
案内看板にあった説明によれば、弘法大師が夢のお告げによって泉源を得た場所に庵を建て、江戸時代の僧が頑固な腫物をこの湯で直したことにより、お堂を再建して「温泉寺」と名付けたという、言い伝えがあるとのこと。

まだ時間に余裕があったので、山へ少々入った場所にあるという、「曼陀羅の瀧」へ足を延ばしてみることに。
温泉寺からは、約600m位の距離です。
寺の境内の端から、背後の斜面へと分け入る小径の坂を上っていきます。

人と人とがギリギリすれ違える程度の道幅で、山中へと延びていく小径。
落葉等に半ば埋もれたような石畳を頼りに、結構急な勾配を登り続けます。
当然ながら、街灯のような照明はありませんでしたので、日が暮れて真っ暗となる前に、温泉街へと戻らなければなりません;
行く手を、一本の巨木が倒れて、塞いでいました;;
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
2018年の9月に近畿地方でも大きな災害をもたらした台風21号は、ここ龍神温泉でもその爪痕を残していました。
龍神温泉でも、停電や電話の不通等、インフラへの被害が1週間~10日程も続いたとのことです。
恐らく人通りも疎らであろうこうした山中では、復旧も後回しとなり、台風が通過して2ヶ月以上が経過してなお、このように倒木が放置されたままでした。
径を塞いでいるこの木の他にも、倒木や傾いている木々が数多く残っていました。


瀧まであと数100mである筈ですが、急な上り坂は、一向に終わる兆しを見せてくれません…;
運動不足の我が身に鞭打ち、ゼイゼイ喘ぎながら、黙々と山の中を進みます。
11月も半ば過ぎの夕刻というのに、いつしか、汗まみれとなっていました;;
急勾配の小径は、唐突に上り坂のまま終端を迎えて、その先に濡れた岩場が立ちはだかりました。
どうやら、ここが曼陀羅の瀧であるようです…。
(画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
温泉寺からは、10分程の道程でした。
時刻は17時を回り、周囲も徐々に夜の闇に包まれ始めた明るさのせいもあるかもしれませんが、はっきりとした水流は判別することができません。
辛うじて、岩肌が濡れていることは、確認できましたが。。。
正直、時間と体力を使って見に来る価値があるかといえば…ちょっとガッカリ感を抱いてしまいましたが、この後の夕食を一層美味しくたらふくいただくための、いい運動となったことに感謝した、曼陀羅の瀧でしたw

右手に写っている柵を、更に右の方へと上って進んだ先が、小径の終端です。
柵の高さは、1.5m程でしょうか。
曼陀羅の瀧が、山の中に佇む小さな瀧であることを、実感することができます。

先程の、倒木が径を塞いでいる地点を、逆方向から。
塞ぎっぷりの見事さに、却って感心してしまいます;
小道の柵、何故谷側にないのだろう?とは、記事を書く段になって、ふと思い至りました(^^;)
画像では、そうは感じられませんが、周囲は急速に暗さが深くなっていっていました。
心なしか、歩くスピードも早めて、温泉街へと急ぎ下ります。

龍神温泉バス停へと至り、温泉街へと戻ってきました。
40分程で、温泉街を一回りして、山へ少し入った曼陀羅の瀧まで巡ることができた、こじんまりとした龍神温泉散策でした。

バス停で、翌日に乗車する、JR紀伊田辺駅方面行のバスの時刻を再確認。
この停留所には、本宮大社と護摩壇山乗り換えで高野山とを結んでいる、私もこの日、高野山から乗車してきた「聖地巡礼バス(4月~11月運行)」の他に、この紀伊田辺駅行(紀南病院行も、紀伊田辺駅を経由します)の路線バスが通っています。
1日4便の本数は、寧ろよく維持されているなぁ、という位に山深い龍神温泉。
9時台のバスの存在を確認し、バス停から目と鼻の先である、有軒屋さんへと戻りました。
<晩秋の紀州山中巡り-07>>
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父が亡くなり、葬儀その他の用事により、先週はブログを更新することができませんでした。
ようやく時間的な余裕が戻ってきたので、今週より記事の投稿を再開します。
曼荼羅の滝で検索したら、しっかりした滝の画像もいくつかあったので、季節や天候によって水量が変わるのかもしれませんね。
でも、この散策のお蔭で食事も温泉も数倍楽しむことができたことと思います。
お父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
曼陀羅の滝は、もう少し水量があるかと思いました…この時期は渇水期であったのでしょうか。
途中の森の木々をなぎ倒した台風21号の通過時は、この滝も凄まじく荒ぶっていたことでしょう。
温泉街と滝までの散策は、適度な運動となって、この後の温泉や食事の心地良さアップに、確かに貢献したと思いますw
お言葉、ありがとうございます。
父は、もう何年も施設で寝たきり状態であったので覚悟はしていましたが、やはり亡くなると、寂しいものですね。
葬儀その他の煩雑な段取りは、寂寥感を紛らす意味で、残された者の精神的な慰めになっていると実感しました。