松阪で松阪牛のステーキを味わい尽くした日、食後の腹ごなしに松阪市街を散策し、旧商家や松阪城跡等を幾つか巡りました。
松阪といえば、伊勢商人の発祥の地。
江戸の街に大きな店を幾つも構えるまでになり、今日でも続いている老舗の創業者を数多く輩出しました。
元々城下町として発展し、伊勢商人が錦を飾った故郷として、松阪の奥深い文化の一端に駆け足で触れてきました。
昨年(2021年)の11月、三重県の実家への帰省時に松阪へ寄り道してお昼に松阪牛をいただこうと決めていたこの日は、朝の9時過ぎに京都駅から賢島行の近鉄特急で、松阪へ向け出発しました。
伊勢志摩方面への特急に相応しく、車両はその名もズバリ「伊勢志摩ライナー」。
一般的な横4席配置のレギュラー車両に加え、横3席配置のデラックス車両や、サロン席・ツイン席搭載の車両を連結していて、快適に移動することができます♪
この日は、スカッと晴れ渡った快晴!
伊勢志摩ライナーは、青空の下、京都から南へ駆け抜けていきます。
運転席のすぐ後ろのデッキからは、前方もしくは後方の展望を楽しむことができます。
間もなく松阪です。
指定座席が最後部の車両だったので、到着までのしばしの間、後方へと流れ去る景色を眺めていました。
京都から約1時間45分の所要時間で、11時過ぎに松阪へ到着。
短い停車時間で慌ただしく伊勢方面を目指して出発する伊勢志摩ライナーを見送り、改札へ向かいます。
松阪牛のステーキの、極上ランチタイム(^г^)
このステーキについての記事は、こちらをどうぞ。
ここまで、今回の記事のプロローグでした(^^;)
「松阪牛ロース芯だけステーキ」を平らげた満腹を抱え、腹ごなしに松阪の街を少し歩いてみることにしました。
ランチに訪れたお店の巨大看板は、立体交差でくぐった近鉄・JRの線路を過ぎてからでも、全く余裕で眺められましたw
松阪市街の中心部へと入ると程なく、「豪商ポケットパーク」という小さなスポットに鎮座しているライオンの像。
「来遠像」と銘打たれたこの像は、2014年に三越伊勢丹ホールディングスから松阪市へ寄贈されました。
ライオン像といえば、三越のシンボルですよね。
ここ松阪は、言わずと知れた三越(越後屋)を創業した三井家発祥の地。
そうした縁から、松阪市は三越伊勢丹HDと連携協定書を締結しています。
因みに、「三越」とは、「三井」と「越後屋」からとられたものだそうですね。
豪商ポケットパークのすぐ近くにある、三井家発祥地。
この場所で、三井家の家祖である三井高利が1622年に誕生しました。
今日の三越伊勢丹HDは、この小さな家から始まったのですね…感慨深いです。
三井家発祥地の通りを少し北へ歩くと、1653年に江戸で紙問屋を創業した小津家の本宅、「旧小津清左衛門家」があります。
大きなうだつが設えられた大きな屋敷が、レトロな街角に佇んでいます。
この建物は現在、三重県指定有形文化財であり、敷地は松阪市指定史跡となっています。
小津家は江戸・大伝馬町に紙問屋「小津清左衛門店」を創業し、以後江戸一番の紙問屋に成長しました。
創業した紙問屋は明治以後も発展を続け、紙や不織布等の加工・販売等を手掛ける小津産業として、今日に至っています。
江戸ひいては日本屈指の豪商となった小津家の本宅らしく、奥行のある広い屋敷内。
幾つもの畳敷きの部屋が連なるような屋内の眺めは、圧巻です!
商家らしい?、抽斗のある階段や、石庭のような裏庭の様子も、見応えがあります。
ほっと一息ついて落ち着けそうな眺めの、控えめな庭も、いい雰囲気です。
現在、蔵は2棟が残っています。
かつては9棟もの蔵が建っていたとのことです。
また、今日の敷地は19世紀末の全盛期の頃の、5分の3程の規模とのこと。
全盛期には、主屋の北に来客用の建物、東に分家の建物があったそうです。
見応えのあった、豪商の屋敷でした。
旧小津清左衛門家を後にして、一筋西の通りへと入ります。
この界隈は、松阪市街でも、古い地域のようですね。
アスファルトも、周囲のレトロな雰囲気に合わせたような舗装となっています。
これまたレトロなポスト。
現役のようです。
久々に目にしました^^
1902年(明治35年)創業の老舗牛鍋屋、「牛銀本店」。
こちらでも、松阪が誇るグルメの松阪牛を使った、様々な料理を堪能することができます。
この日は既にランチをいただいているので、どんなお店か観察しただけで通り過ぎました。
老舗に相応しい店構えですね。
牛銀本店から少し歩を進めると、江戸時代の国学者、本居宣長の旧宅跡があります。
(パノラマ画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
本居宣長も、松阪出身なのですね。
現在、旧宅は松阪城跡へ移築されています。
この旧宅跡には、移築された旧宅の礎石と土蔵、宣長の長男の旧宅が残っています。
本居宣長旧宅跡のすぐ近くに建つ、「旧長谷川治郎兵衛家」。
旧小津清左衛門家と同様、立派なうだつのある、落ち着いた佇まいです。
長谷川家は江戸・大伝馬町に木綿問屋を1675年に創業し、当時の流行の最先端をいく松阪木綿を大商いする豪商として繁栄しました。
長谷川家もまた、江戸で築いた富を松阪へ還元し、この本宅も茶室や日本庭園等を構える立派な屋敷となりました。
この屋敷は、17世紀後期から建てられ始めて増築を繰り返し、国の重要文化財に指定されています。
玄関から屋内へと入ると、土間には煉瓦造りの立派な釜戸が。
太い煙突で、排煙対策も完璧!
おそらく、煉瓦造りとなったのは、かなり後になってからであったのでしょうね。
屋敷内は、外見から感じる想像を超える広さで、風雅な雰囲気を纏う池を配した広大な日本庭園や、一体何部屋あるのかと思う程の部屋の多さに圧倒されます。
奥まで続く畳敷きと、開け放たれた襖の連なり…壮観です!
広い敷地内をくまなく巡ると、かなりの歩数となります;;
富の象徴、豪商の証?!な、千両箱。
屋敷内の蔵の1つで、展示されていました。
材質は檜材で、重さは約6kg。
その名のとおり、小判を千枚収納可能で、説明書きによると、天保小判千枚で約17kgもの重さになるとのことです!
その "夢の重さ" を実感できるアトラクション。
もちろん、体験しました!
重さだけとはいえ、小判が入っていると思えば、充実のズッシリ感w
17kg程と思われるので、本当に腰の悪い人は、要注意です。。。
昔懐かしい旧家のお屋敷の落ち着いた風情を、旧小津清左衛門家と共に楽しむことができた、旧長谷川治郎兵衛家でした。
この画像は、この日の散策を終えて松阪駅へと戻る道中のものですが、お屋敷の蔵等を見渡せたので、撮影しました。
旧長谷川治郎兵衛家には、5棟の蔵があり、それらが建ち並ぶ姿もまた、壮観ですね。
旧長谷川治郎兵衛家を辞して、次の目的地である松坂城跡へ。
眩しい逆光を浴びながら、大手通を西へと進みます。
松阪市役所の前を通過し、行く手に見渡せる、茂みに覆われた高台が、目指す場所です。
<松阪散策-02>>
松阪といえば、伊勢商人の発祥の地。
江戸の街に大きな店を幾つも構えるまでになり、今日でも続いている老舗の創業者を数多く輩出しました。
元々城下町として発展し、伊勢商人が錦を飾った故郷として、松阪の奥深い文化の一端に駆け足で触れてきました。
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昨年(2021年)の11月、三重県の実家への帰省時に松阪へ寄り道してお昼に松阪牛をいただこうと決めていたこの日は、朝の9時過ぎに京都駅から賢島行の近鉄特急で、松阪へ向け出発しました。
伊勢志摩方面への特急に相応しく、車両はその名もズバリ「伊勢志摩ライナー」。
一般的な横4席配置のレギュラー車両に加え、横3席配置のデラックス車両や、サロン席・ツイン席搭載の車両を連結していて、快適に移動することができます♪
この日は、スカッと晴れ渡った快晴!
伊勢志摩ライナーは、青空の下、京都から南へ駆け抜けていきます。
運転席のすぐ後ろのデッキからは、前方もしくは後方の展望を楽しむことができます。
間もなく松阪です。
指定座席が最後部の車両だったので、到着までのしばしの間、後方へと流れ去る景色を眺めていました。
京都から約1時間45分の所要時間で、11時過ぎに松阪へ到着。
短い停車時間で慌ただしく伊勢方面を目指して出発する伊勢志摩ライナーを見送り、改札へ向かいます。
松阪牛のステーキの、極上ランチタイム(^г^)
このステーキについての記事は、こちらをどうぞ。
ここまで、今回の記事のプロローグでした(^^;)
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「松阪牛ロース芯だけステーキ」を平らげた満腹を抱え、腹ごなしに松阪の街を少し歩いてみることにしました。
ランチに訪れたお店の巨大看板は、立体交差でくぐった近鉄・JRの線路を過ぎてからでも、全く余裕で眺められましたw
松阪市街の中心部へと入ると程なく、「豪商ポケットパーク」という小さなスポットに鎮座しているライオンの像。
「来遠像」と銘打たれたこの像は、2014年に三越伊勢丹ホールディングスから松阪市へ寄贈されました。
ライオン像といえば、三越のシンボルですよね。
ここ松阪は、言わずと知れた三越(越後屋)を創業した三井家発祥の地。
そうした縁から、松阪市は三越伊勢丹HDと連携協定書を締結しています。
因みに、「三越」とは、「三井」と「越後屋」からとられたものだそうですね。
豪商ポケットパークのすぐ近くにある、三井家発祥地。
この場所で、三井家の家祖である三井高利が1622年に誕生しました。
今日の三越伊勢丹HDは、この小さな家から始まったのですね…感慨深いです。
三井家発祥地の通りを少し北へ歩くと、1653年に江戸で紙問屋を創業した小津家の本宅、「旧小津清左衛門家」があります。
大きなうだつが設えられた大きな屋敷が、レトロな街角に佇んでいます。
この建物は現在、三重県指定有形文化財であり、敷地は松阪市指定史跡となっています。
小津家は江戸・大伝馬町に紙問屋「小津清左衛門店」を創業し、以後江戸一番の紙問屋に成長しました。
創業した紙問屋は明治以後も発展を続け、紙や不織布等の加工・販売等を手掛ける小津産業として、今日に至っています。
江戸ひいては日本屈指の豪商となった小津家の本宅らしく、奥行のある広い屋敷内。
幾つもの畳敷きの部屋が連なるような屋内の眺めは、圧巻です!
商家らしい?、抽斗のある階段や、石庭のような裏庭の様子も、見応えがあります。
ほっと一息ついて落ち着けそうな眺めの、控えめな庭も、いい雰囲気です。
現在、蔵は2棟が残っています。
かつては9棟もの蔵が建っていたとのことです。
また、今日の敷地は19世紀末の全盛期の頃の、5分の3程の規模とのこと。
全盛期には、主屋の北に来客用の建物、東に分家の建物があったそうです。
見応えのあった、豪商の屋敷でした。
旧小津清左衛門家を後にして、一筋西の通りへと入ります。
この界隈は、松阪市街でも、古い地域のようですね。
アスファルトも、周囲のレトロな雰囲気に合わせたような舗装となっています。
これまたレトロなポスト。
現役のようです。
久々に目にしました^^
1902年(明治35年)創業の老舗牛鍋屋、「牛銀本店」。
こちらでも、松阪が誇るグルメの松阪牛を使った、様々な料理を堪能することができます。
この日は既にランチをいただいているので、どんなお店か観察しただけで通り過ぎました。
老舗に相応しい店構えですね。
牛銀本店から少し歩を進めると、江戸時代の国学者、本居宣長の旧宅跡があります。
(パノラマ画像クリックで、別ウィンドウが開きます)
本居宣長も、松阪出身なのですね。
現在、旧宅は松阪城跡へ移築されています。
この旧宅跡には、移築された旧宅の礎石と土蔵、宣長の長男の旧宅が残っています。
本居宣長旧宅跡のすぐ近くに建つ、「旧長谷川治郎兵衛家」。
旧小津清左衛門家と同様、立派なうだつのある、落ち着いた佇まいです。
長谷川家は江戸・大伝馬町に木綿問屋を1675年に創業し、当時の流行の最先端をいく松阪木綿を大商いする豪商として繁栄しました。
長谷川家もまた、江戸で築いた富を松阪へ還元し、この本宅も茶室や日本庭園等を構える立派な屋敷となりました。
この屋敷は、17世紀後期から建てられ始めて増築を繰り返し、国の重要文化財に指定されています。
玄関から屋内へと入ると、土間には煉瓦造りの立派な釜戸が。
太い煙突で、排煙対策も完璧!
おそらく、煉瓦造りとなったのは、かなり後になってからであったのでしょうね。
屋敷内は、外見から感じる想像を超える広さで、風雅な雰囲気を纏う池を配した広大な日本庭園や、一体何部屋あるのかと思う程の部屋の多さに圧倒されます。
奥まで続く畳敷きと、開け放たれた襖の連なり…壮観です!
広い敷地内をくまなく巡ると、かなりの歩数となります;;
富の象徴、豪商の証?!な、千両箱。
屋敷内の蔵の1つで、展示されていました。
材質は檜材で、重さは約6kg。
その名のとおり、小判を千枚収納可能で、説明書きによると、天保小判千枚で約17kgもの重さになるとのことです!
その "夢の重さ" を実感できるアトラクション。
もちろん、体験しました!
重さだけとはいえ、小判が入っていると思えば、充実のズッシリ感w
17kg程と思われるので、本当に腰の悪い人は、要注意です。。。
昔懐かしい旧家のお屋敷の落ち着いた風情を、旧小津清左衛門家と共に楽しむことができた、旧長谷川治郎兵衛家でした。
この画像は、この日の散策を終えて松阪駅へと戻る道中のものですが、お屋敷の蔵等を見渡せたので、撮影しました。
旧長谷川治郎兵衛家には、5棟の蔵があり、それらが建ち並ぶ姿もまた、壮観ですね。
旧長谷川治郎兵衛家を辞して、次の目的地である松坂城跡へ。
眩しい逆光を浴びながら、大手通を西へと進みます。
松阪市役所の前を通過し、行く手に見渡せる、茂みに覆われた高台が、目指す場所です。
<松阪散策-02>>
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