リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

岐阜新聞「鮎の12か月」 連載2007年 6月

2008-01-01 17:52:29 | アユの12ヶ月 川面からの記録
 江戸時代の画家、伊藤若冲。
 その精緻な画風は日本画という枠を越えて近年注目を集めることとなっている。その若冲の作品をメインとした展覧会「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」展が全国を巡回して名古屋(愛知県立美術館)に来た。

 プレイスコレクションは米国の事業家ジョン・プライス氏の個人蔵の絵画だ。この機会を逃したら見る機会も無いだろうと、見物に出かけた。
 若冲といえば鶏の絵が有名。京都の自宅に鶏を放し飼いにして描いたというその絵は凄まじいばかりの生命感がある。ただ私が見たかったのは、その若冲がどんなふうに魚を描いているかということであった。

 屏風絵のなかに、墨で描かれた3尾のアユがあった。簡素な濃淡でアユの姿が描かれていたが奇妙なことがあった。そのアユのすべての身体の中央には2本の斑紋が描き込まれているのだ。その場所はアユの鰓のちかくにある黄色の斑紋とは異なっている。アユの腹部に斑紋などは無いが、精緻な画風で知られる若冲がどうしてこんな斑紋を書いたのだろうか。

 若冲の代表作、「動植綵絵」は宮内庁三の丸尚蔵館に保管され通常は公開されていない。たまたま同じ時期に京都 相国寺に里帰りして公開されていた。
動植綵絵は30枚の絵からなるが、そのなかに「蓮池遊漁図」というアユを題材としたものある。そのことはテレビの美術番組等で知っていたが、そのアユはどのように描かれていただろうか、この目で確認しておきたかった。
 翌々日の相国寺「若冲展」。二時間半並んで見た彩色された若冲のアユ、その腹部に斑紋はなかった。

 もしかしたら、そう思って私は二つの展覧会の図録をもって鵜匠の山下純司さんを訪ねた。図録に載った屏風絵のアユは小さかった。図録を見比べていた山下さんは「今夜、来てみなせい」そうおっしゃった。

 鵜飼が終わるのを長良川河畔、鵜飼屋で待った。以前住んでいたマンションの前から鵜飼をみるのはもう10年ぶりになるだろうか。当時と変わらない場所に鵜舟は舫をとり、山下さんが捕れたてのアユを手に岸に上がった。「どうかね」
 そのアユの腹部にはっきりとした鵜のくちばしの跡が残っていた。捕れたばかりのそのアユには、まだ固まらない血の色が残っていたが、少し時間をおけば、その跡は暗い斑紋として残ることだろう。

 伊藤若冲は京都に住んだ画家だった。彼はおそらくは保津川(現在の桂川)の鵜飼で捕れたアユを写生したのではないか。そして、屏風絵にアユを描いた時点では、生きたアユを若冲は見たことが無かった。そこで腹部の斑紋をアユ本来の模様と勘違いしていたのでは。そして「動植綵絵」ではそれを正して彩色した。そんな想像をして楽しくなった。





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