笠木透さんが亡くなった。
長良川河口堰建設反対のRAN(River Aide Nagaragawa)主催のコンサートに出演されていた。
モリノが逝った年、この歌の歌詞を封書にしたためて贈って下さった。
私に人生と言えるものがあるなら/笠木透w雑花塾
悪い友達がいて、酔っ払うとこの歌を歌ってボクを泣かせようとするのだ。
さようなら 笠木さん。
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読売新聞WEBより
「フォークジャンボリー」企画、笠木透さん死去
2014年12月24日 22時03分
1969年から3年にわたって岐阜県中津川市で開かれた国内初の本格的な野外音楽フェスティバル「全日本フォークジャンボリー」(通称・中津川フォーク ジャンボリー)を企画した、フォークシンガーの笠木透(かさぎ・とおる)さんが22日、直腸がんのため亡くなった。77歳だった。
告別式は近親者で済ませた。音楽仲間らによるお別れコンサートが来春、開かれる予定。喪主は次男、淳(じゅん)氏。
笠木さんは、岐阜県恵那市生まれ。フォークジャンボリーを企画後、71年に実行委員会のメンバーとフォークグループ「我夢土下座(かむとげざ)」を結成。 94年には全国の40人以上のメンバーと「雑花塾」を結成し、今年3月に直腸がんの手術を受けた後も、入退院を繰り返しながら演奏活動を続けていた。代表 曲に「私の子どもたちへ」「わが大地のうた」。
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