リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

羅針盤 池田啓さん訃報

2010-04-15 10:50:49 | あなたをわすれない
asahi.com マイタウンより


☆テキスト版

コウノトリ野生復帰 池田啓さん死去/豊岡

2010年04月15日


放鳥後、野生下での繁殖で初のヒナが巣立ち、記者会見する池田啓さん=2007年7月31日、豊岡市百合地

 いましばらく力を貸してほしかった――。コウノトリ野生復帰事業の中心的存在だった県立コウノトリの郷公園参与で元田園生態研究部長の池田啓さんが13日、60歳で死去した。悲報が豊岡にも伝わった14日、コウノトリが再び大空を舞う日を目指してともに歩んだ人たちからは、早すぎる死を惜しむ声が相次いだ。

 「池田さんがいたから野生復帰が前に進んだ」。そう振り返るのは、豊岡市の職員時代からともに野生復帰に携わってきたNPO法人「コウノトリ湿地ネット」副代表の佐竹節夫さん(60)。池田さんが文化庁で天然記念物担当の文化財調査官だった20年以上前からの付き合いで、「レールが敷かれる前から野生復帰について夢を語り合った。まちづくりのあり方を含め、新しい発想、考え方を示してくれた」と惜しんだ。

 放鳥拠点や人工巣塔を受け入れた新田小学校区の区長会長だった豊岡市百合地の羽賀正老(まさ・とし)さん(71)は「地元の者とも気安くつきあってもらった。野生復帰を引っ張ってこられ、いましばらく力を貸してほしかった。これからも野生復帰の行方を見守ってくれれば」と悼んだ。百合地の人工巣塔の下の田んぼは羽賀さん所有でもあり、「個人的にも感慨深いものがあり、残念です」と声を落とした。

 去年3月まで新田小校長だった八条小の山本進校長(59)も「コウノトリのことや環境教育について熱心に教えていただき、新田小での取り組みは先生の本にも取り上げてもらった。子どもたちともども悲しみでいっぱいです」と話した。

 中貝宗治・豊岡市長は「豊岡にとっても個人的にもとても大切な人を失った。野生復帰の最高のプロデューサーであり、羅針盤だった。涙が止まりません」、郷公園の増井光子園長は「功績は一言で言い表せないほど大きく、野生復帰の進展は、その力抜きでは語れないと思う。ご冥福をお祈りします」とのコメントをそれぞれ発表した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4月14日(水)のつぶやき | トップ | 池田啓さん 講演より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

あなたをわすれない」カテゴリの最新記事