記事のなかで竹村公太郎氏が
「建設反対派から『御用学者』と呼ばれるかも知れないのに勇気を持って委員となっていただいた。建設省が全面的な情報公開に踏み切るきっかけになった」と述べておられる。
建設反対派とひとくくりに言われても困るのだが、ボクは調査委員会に西條先生や奥田先生が参加したことをとてもよいことだと思っている。
竹村氏が言っておられる御用学者という批判云々は、当時建設省が行った委員会メンバーの人選について「語るに落ちた」というか正直な感想なのだと思う。実際長良川河口堰の委員会はそういった、つまりは御用にたる学者大勢によって構成されていた。しかし、その歴々だけでは長良川河口堰の環境問題を議論するにたる見識は得られなかったことだろう。
建設省は委員会に「御用学者」ではない西條先生らを加わえることで、やっと委員会としての体面を整えた、というのが実際のすがたなのだ。
建設省に「学問の品格」を利用されること、その危険性について西條先生はよく判っていらっしゃった。委員をお引き受けになるときも、悲愴なほどの決意があったのだろうと思っている。ある時、こんな話を伺ったことがあった。
(委員になる条件として)「長良川河口堰に関する資料を、生(注 計測したままのこと)データまで全て公表するならお引き受けしますと申し上げたのですよ」
物腰は、ジェントルでお言葉は優しかったが、厳しい目をしてそう話された。
そして、建設省が始めたという全面的な情報公開だが、先生が委員だった時代には約束は守られていたのだが、現在はとえば???となっている。
心のこもった、素晴らしい記事をありがとうございます。
書かれたのはたぶんT氏だとは思うのだけれど、上記あえて、補足しておきたい。
「建設反対派から『御用学者』と呼ばれるかも知れないのに勇気を持って委員となっていただいた。建設省が全面的な情報公開に踏み切るきっかけになった」と述べておられる。
建設反対派とひとくくりに言われても困るのだが、ボクは調査委員会に西條先生や奥田先生が参加したことをとてもよいことだと思っている。
竹村氏が言っておられる御用学者という批判云々は、当時建設省が行った委員会メンバーの人選について「語るに落ちた」というか正直な感想なのだと思う。実際長良川河口堰の委員会はそういった、つまりは御用にたる学者大勢によって構成されていた。しかし、その歴々だけでは長良川河口堰の環境問題を議論するにたる見識は得られなかったことだろう。
建設省は委員会に「御用学者」ではない西條先生らを加わえることで、やっと委員会としての体面を整えた、というのが実際のすがたなのだ。
建設省に「学問の品格」を利用されること、その危険性について西條先生はよく判っていらっしゃった。委員をお引き受けになるときも、悲愴なほどの決意があったのだろうと思っている。ある時、こんな話を伺ったことがあった。
(委員になる条件として)「長良川河口堰に関する資料を、生(注 計測したままのこと)データまで全て公表するならお引き受けしますと申し上げたのですよ」
物腰は、ジェントルでお言葉は優しかったが、厳しい目をしてそう話された。
そして、建設省が始めたという全面的な情報公開だが、先生が委員だった時代には約束は守られていたのだが、現在はとえば???となっている。
心のこもった、素晴らしい記事をありがとうございます。
書かれたのはたぶんT氏だとは思うのだけれど、上記あえて、補足しておきたい。
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