あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

早志百合子さんの被爆体験を聞く小さな会

2023-09-17 | ライブレポ

「ライブレポ」に分類したけれど

通常のライブと毛色が違って、

私が「リリィ先生」とお呼びする

早志百合子氏の被爆証言を

聞かせてもらった。

会場を考えあぐねていて

本当に「ふと」思い出したのが

広島市の「ハチドリ舎」。

何か月か前に友達とランチに

立ち寄ったら随分前に一度

来たことがあるお店だと

思い出した程度。

店長さんがリリィ先生のお名前を

ご存じだった。

たまたま16日だった。

毎月6がつく日は被爆証言を

店内でされる日だそう。

別のテーブルでは何人が

被爆された男性を囲んでいた。

外国人も居て関心の高さを感じた。

リリィ先生を囲んで女性5人で

お話を聞いた。

先生はこれまで様々なメディアで

何度も証言されている。

夏に毎年行う私のライブでも

30分お話して頂いた。

ゼンゼン話し足りなかったと

残念そうだったのが

ずっと気になっていた。

メディアが取り上げる証言の

内容は似たり寄ったり。

被爆体験以前とそれ以降、

今に至る生き様を聞いてみたかった。

何たって会員4000人を擁する

健康体操の会の会長であられる。

ご主人とのなれそめも是非、

と道すがらお願いしてみた。

原爆投下を直下で体験されたが

家族4人がその時刻にたまたま

一緒に居て全員助かったのは

奇跡だと言われた。

お母さまはガラスの破片を

全身に受けて当時は

手当らしい手当かなわず、

その後も甲状腺のガンで

随分苦しまれたようだ。

晩年、原爆体験の絵を一般市民から

募集された時に、

病床にあったお母様に勧めて

遺された絵は二つの太陽だった。

原爆が炸裂する前に落ちてくるのを

目撃されていた。

原爆投下直後、燃えている列車から

米がこぼれ落ちている絵もあった。

リリィ先生一家はその米で何日か

命をつないだそうだ。

比治山まで逃げる時に見た光景は

生涯忘れられない地獄絵図だった

ようだ。

梁に挟まれて動けない母親のそばで

男の子が「お母ちゃんを助けて」

とお父様に懇願するがびくとも

動かない。

火の手は迫っている。

「私のことはいいから逃げなさい」

と言う母親・・の下りで泣けた。

戦争の本当のむごさは

人が人でなくなることだ、

それを何度も見たとリリィ先生。

米国からモルモットのような

扱いを受けたことは生涯、

心の傷として癒えないようだ。

戦争に負けたから仕方ないと

お母さんに諭されたそうだ。

戦争に負けるとはこういうことか

と強烈に胸に刻んだ10代。

しかしお母様はリリィ先生の検査を

固く拒まれたそうだ。

米兵が学校に来て連れ去ることが

いつの間にか無くなった理由が、

お母様の固辞だったことを、

ごく最近知ったそうだ。

お母様は米国が落とした原爆なんかで

絶対に死なないと言われていた

そうだし、

「バカバカしい」と竹槍の訓練に

入らなかったそう。

お父様は火の手が追ってくる中、

逃げながらも死にかけた人に

水を与えたとういう博愛の人。

リリィ先生はその強さと優しさを

受け継がれたんだと

納得しながら聞いていた。

リリィ先生はご病気をされているが

その都度、不死鳥のように復活

されている。

「生存」どころか溌溂されている。

いつもおしゃれで颯爽とした身の

こなし。

お子さんの頃、体が弱くて疎開

しなかったそうだが、

バスガイド時代は今のリリィ先生

そのままのイメージ。

当時のバスガイドは原爆資料館内を

案内するのが仕事のひとつだった

そうだが、当時の生々しい惨状を

思い出してどうしても入れなかった

そうだし、

原爆をゆるすまじの歌?は

込み上げてしまってどうしても

歌うことができなかたそうだ。

ご主人との馴れ初めも面白かった。

ご主人も壮絶な戦争体験を

されているが、

テレビ局のインタビューで初めて

聞いたと言われていた。

戦争が終わってからも

身心を傷つけられたリリィ先生だが、

その泥や垢で汚れていないと

いつも思う。

それが新曲「白百合のひと」になった。

11時過ぎから瞬く間に13時。

リリィ先生疲れたご様子無く、

なんと4時間近くもお話下さった。

とにかく記録を遺しておかねばと

企画した成り行きまかせの会。

結果的には、来られた方が貴重な

お話を聞けた、良かったと

満足された。

何よりもリリィ先生が

「楽しかった」

「良い感じだったと思う」と

喜んで下さったのが嬉しかった。

我が母とリリィ先生はほぼ同いお年

だが母との関係性とは全然!違う!

「どういう関係か」と聞かれたが

「同志」に近いかな。

リリィ先生本人だけじゃなく

ご親族もなかなかユニークのよう。

帰り道でも聞きたいことだらけ。

実の弟さんはジャズシンガーとして、

ご活躍だが歌手になられた経緯が

ドラマのようだった。

第二弾のお話を聞く会もありうる。

 

 

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