阿国さんのお墓参りへ
行こうか行くまいかと
当日になっても決めかねた。
朝帰宅しながら
猛烈に眠くてひとまず寝た。
1時間半後に目覚めたら
私は謎に不機嫌だ。
イラッとしたついでに
出かけてくるわと母に言って
家を出た。
行先は出雲。
1月終わりとは思えない晴天。
雪がないので快適だ。
山越えをして日本海が見えたら
すっかり気分が治った。
稲佐の海岸は工事中。
海岸で海に向かって
文字のようなものを掲げて
整列するグル―プの他には、
女子ふたり旅が数組
撮影大会に興じて居た。
阿国さんのお墓はそこから近い。
2度目のお参りだ。
歌舞伎の祖と言われている女性。
すぐに「赤いろうそく」が目に
浮かんだ。
ほんのりと黄色い灯が灯っている。
阿国さんから「もらった」と感じた。
その灯りを心にともしておけば
人から人へ分けることができる
ようだ。
随分前にお参りした時は
怖い人という印象だった。
生きておられる時代には
私なんて傍に寄れないくらい
大スターだったはず。
ましてやお話なんてできなかった
だろうと思うとイメージの中でも
お近づきになれるってラッキーだわ
と思えた。
ミッションはこれで終わった
ようなものだが
せっかく来たので阿国さんが
晩年住まわれたお堂を
訪ねることにした。
大社の駐車場に車を停めた。
車を降りたらクラクラし始めた。
気のせいかなと思いながら
徒歩3分のお堂へ。
島根県神社庁の建物から
笛の音が聞こえて来て
塀が美しい小路の先に
お堂があった。
阿国さんの姿が大きな木彫りに
なっていた。
首に大きな数珠をかけている。
鳥肌がたった。
私もその日まさしく
首に大きな数珠をかけていた。
車でブレーキ踏みまちがいの
事故を起こしてから
しばらく怖かったので
私の精神安定の御守りとして
ウインカーにぶら下げていた。
家を出る段になって何故か
それを首に掛けたのだった。
阿国さんの首には十字架も
掛かっている。
私も十字架が好きなのだが
それには理由があるようで
「あなたの守護にシスターがいる」
と言われたことがある。
しばし呆然としながら
「この絵を見る為に来た」と思った。
10年以上も前に人を介して聞いた
「あれ(新屋まり)は阿国だ」
の意味って・・・??
頭のクラクラが増したどころか
頭痛がしてきた。
分からないことは保留。
自粛の折り広島ナンバーが
島根県に来たことにやや
気がひけたが
駐車場で名古屋ナンバーを見つけて
罪悪感が薄まったところで
大社にお参りする。
既に3時半。
参拝客も少ない。
本殿というのでしょうか?
真裏にかわいいウサギが居る。
そこで座り込んで手を合わせて
座っていたらちょうど夕陽が
顔に向かって差してきて
目が開けられない。
太陽の熱さを感じながら
わけも分からず大いに感激した。
ちょっとクラクラするが
いつの間にか頭痛が治った。
陽が暮れそうだ。
すぐ隣の北島家の神社へお参りを
済ませてミッション完了。
出雲そばのお店へ。
割り子蕎麦を食べていたら
父のことを思いだした。
父は生前、出雲が大好きだった。
亡くなる数年前、
出雲半島の十六島(ウップルイ)へ
何度も何度も出かけては
不機嫌になって帰って来た。
「お父さん頭がへんになった」
と母が言っていた。
父の過去世に関係があると思った。
最晩年を迎えた父が知るべきことが
あるはずだと。
父を伴い博多まで行った。
縁あってとある先生を訪ねた。
2時間も費やして紙に書いて
下さった。
父は過去世で出雲大社の神官
だったそうだ。
スサノオの縁者のひとり
でもあったと頂いてからは
すっかり落ち着いたのだった。
そのことを思いだして
涙がポロポロ零れ落ちた。
短い滞在だったがミッションを
完了した。
17時。
そのまま帰れなくないが
お風呂に入ってビールを
飲みたくなった。
宿を取ってスーパーでさっと
買い物をしてチェックイン。
非接触を守りお部屋で
ダラダラと過ごした。
11時半に寝たが1時に目が覚めた。
どうしても寝付けず。
午前4時半。
お風呂に入って宿を出発。
時計が5:55をさしていた。
8時20分帰着。
いつもの仕事終わりと同じだが
母は「どこへ泊まったん?」
と聞いてきた。
母はいつも混乱していて、
休日階上で寝て居る私の
帰りをずっと待っている癖に
この日はしっかりと
見破られていた(笑)
生まれるって
生きているって
本当に不思議だ。
謎は深まるばかりだ。
探求の旅はつづく。
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