赤い彼岸花が緑のあぜ道を彩る。
彼岸花を見るたびに秋が
深まってきたと知る。
この時期、奈良県の里山が
一面の彼岸花におおわれていて、
それはそれはみごとだった。
大輪の彼岸花は華やかだけれど
家に飾ると火事になるそうだと
聞いたことがある。
どうりで花材としては
見たことがない。
茎に毒があってかぶれる
というのも理由にあろうか。
その毒性とも相まって
彼岸花の見た目には
毒々しさがある。
大輪の薔薇のような
からりとした陽性とは異質の
妖艶さを放っている。
そして独特の寂しさを感じるのは
私だけだろうか。
「永江の庄」とは広島県庄原市の
一部のことで平安時代の呼称。
一の谷の合戦で討ち死にした
平敦盛の奥方「玉織姫」が
永江の庄に落ちて来た
という伝説を
たまたま庄原市のホテルで
目にした。
町のPRとして置かれていた
紙1枚の短い文章だったが
いたく惹かれた私は
歌にしたいと思った。
庄原市とは縁がある。
バンド活動をスタートした地
でもあるし
庄原市出身の写真家である
宮角孝雄氏つながりで
庄原市の市議にお世話になり
何度かイベント出演も
させてもらった。
宮角さんの恩師に
歴史に詳しい方がおられる。
先生によると庄原市は
頼朝の乳母を出した地なので
そんなところに
平家が落ちてくることはなかろう、
史実ではないが、
歌にするのは良いでしょう
とのことだった。
ほどなくして「永江の里」ができた。
副題は「玉織姫伝説」。
庄原市は「四季の移り変わり日本一」
を謳っていたこともあり
1番では桜で春を、
2番目の歌詞には
彼岸花を盛り込んだ。
♪愛でるものとて ないままに
咲き誇る彼岸花よ
何を望んで鮮やかな 色を増す♪
私が死んでも四季は変わらず
移ろいゆく。
そのことがひたすら悲しかった。
歌詞に込めた玉織姫の思いを
歌いながら里山を歩くと
涙がはらはらとこぼれ落ちた。
平家の鎮魂を歌にしたアルバム
「平安なれ幸いなれ」に挿入した。
売上にはあまり
寄与してくれないけれど(涙)
私のお気に入りができて
満足している。
母はご近所への配り物をしながら
彼岸花を俳句にしたそうだ。
「せっかくできたのに
忘れてしもうた~!!」
と騒いでいる。
いつも手帳を持ち歩かないとね。
私の脳内からもいくつも
名曲が生まれては消えた・・
はずだわ。
私の場合は録音機を持ち歩かねば。
彼岸花が散ると冬が到来する。
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