あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

弥山登山~宮島とのほぼ20年

2020-11-16 | 私が歌手

5月初めに強引なファスティング

をした。

5日間で4キロ半の減量。

2日で元の木阿弥。

ってことは筋肉が

脂肪にとってかわった(爆)

下半身の筋肉がごっそり

落ちたところで

田んぼに入ったのが災いしたらしく

股関節の不具合に見舞われた。

右のお尻に激痛。

脚が前に出ないことも何度かあった。

寝ていても痛みがあって辛かった。

いくつか目の整体で

お陰様で歩くのに

支障がなくなった。

で、10月の下旬。

宮島の弥山山頂へ上がりたくなった。

歩くこと自体が困難だったから、

久しぶりの山歩きに

不安は大いにあった。

前日の夕方宮島入り。

夕暮れの瀬戸内海を眺めたり

夜の宮島を散歩した。

閉店間際のスタバでいっぷくして

ゆっくり過ごした。

ちなみに夕ご飯はコンビニ食。

朝8時に出発。

3つある弥山登山ルートのうち

現在は大聖院ルートだけ

開通している。

宮島は瀬戸内海に独立した島なのに

水がとても豊富で不思議だ。

滝があったりする。

川に沿って1時間半のルートを

ゆっくり歩いた。

10年以上前になるが

同じルートを一人で歩いた。

その後土砂災害で流れてしまった。

新たに整備された登山道は

歩きやすかった。

弥山山頂に近くにある御山神社へ

お詣りする。

三姫が祭られている。

山頂付近のお宮で足元が悪いのに、

なんと大正天皇陛下が

参拝されているという

霊験あらたかなお宮。

瀬戸内海が見渡せる。

弥山は空海が開かれた。

三鬼堂には空海から

受け継がれたという

「消えずの火」が燃えていて

その火で湧いたお湯を

飲む人がひきもきらず。

お堂の中で煙にいぶされながら

その様子をしばらく見て居た。

対面にある弥山本堂で

「天来」というオリジナル曲を

奉納したことがある。

「天来」は空海の弥山開基

1200年の節目に合わせて

歌を作ってみないかと

打診されたのがきっかけ。

ダライラマが招へいされていて

御前で歌うということも

言われていた。

公になる2年前のことだった。

光栄なことに私に

「いの一番」に話をもらった。

歌作りの下見の為に

カメラマンほか数人で

大晦日午前0時に大聖院を出発。

雪がちらつく月夜だった。

その時の印象を

「霧たちこめる 

幽玄の森まろき月

銀色にかがやいて 

行く手を照らしたもう」

と「天来」の歌詞にこめた。

歌ができてデモ音源を渡したが、

ギター弾き語りでは無理があった。

きちんとした音源にしたら

おそらく採用されたと思う。

が、演奏や録音の術を持たない私は

音源の作成だけで

数万円の負担が発生する。

採用の確約がない仕事は

当時の私にとって

荷が重かったことも一因だったが

それ以上に心身が不調に

見舞われたことが大きかった。

誰かの嫉妬やそねみは

確実に私の心身に影響を及ぼす。

それ以降、

幾度か不具合に見舞われて

自身の体質を知ることになるが

催促してもらったが

ついに提出ならず。

この話は別の方にわたった。

大聖院の境内でダライラマ法王の

講和を聞いた。

あいさつもそこそこに

冒頭で「宗教の最終目的は

解脱である」と述べられた。

それはスコンと私の腑に落ちた。

戒律を守るとか殺生するなとか

イロイロ言われているけれど

全ては輪廻から抜け出すことだと

私は思っている。

講話の後で例の歌が披露された。

私がそこで「天来」を歌うはずだった。

私にも資格があったのにと思えば

あまりにリアルだったので

誰にも打ち明けなかった。

「新屋まりがナンボのもんか」と

私も計りかねているくらいだから

家族も友人も知人も

ましてや多くの人がこの活動を

「アマチュア」か「良い趣味」

と思っている。

無名の私ではなくてプロと

誰もが認める人に最初から

いくべき話だったのだ。

成り行きは当たり前だと思いながら

「逃したものは大きかった」

とこの時はっきり思った。

「あなたがここで歌うべきだった」

と言われたことが

何年も掛ってじわじわと

ココロに入ってきた。

弥山山頂を目指しながら

そのことを改めて思った。

つまるところ

後少しというレベルを超えられないし

「おいしい話」に乗れない自分

がいるのだった。

「自分はこの程度が相応しい」と

納得させながら納得していない

という矛盾。

そのことがひたすら残念だった。

初めてこの自己矛盾にちゃんと

向き合った気がする。

採用された歌が以前

ロープウエイの駅に動画で

流れていた。

全くの無名の新屋まりが

採用されていたら

流れはどうなっていただろうと

思ってみたりする。

最新のスピリチャル的考え方では

「流れ」は別の現実として

用意されている。

「起動」させなかったのは

私の弱気だ。

「〇〇なはずがない。」と思う方。

こんな自分を厭いながらも

いつくしむ癖がある。

成功しない自分、

葛藤まみれの自分、

評価されない自分、

アクセクする自分、

報われない自分、

不当な扱いで時に

妥当な扱いをされるのが

快感という癖がある自分。

成功するはずがないと思いながら

苦闘することが当たり前

と思いこんでいる。

そのことを痛感した。

宮島には色々な時代の歴史や

多くの偉人の思いが幾重にも

重なっている。

清盛のテーマソングを作った。

清盛は厳島神社を松明で

煌煌と照らし千僧法要を行った。

これをヒントに私も舞台表現をした。

400人キャパが埋まったのは

私の数少ない成功体験だ。

平家を切り口にした

ご神事に参加したこともある。

当時の私には光栄なことだったが

今回その場に立ってみると

「拙かったな」という思いが湧いた。

頂上の弥山本堂で

「天来」と平家関連の歌を

歌う機会を頂けた。

が、「晴れ舞台」とは思えなかった。

宮島は戦国時代の激戦地でもある。

陶(すえ)晴賢軍が多数

餓死したという場所へ

ある方と弔いに訪れたことがある。

その場に差し掛かるや

その方は目が見えないと座り込んだ。

食べ物をお供えして

見えないツワモノどもには

静まって頂いた。

色々な角度から関わってきた宮島だ。

この20年近くの歳月は

過ぎてしまえばすべてが夢のようだ。

無事に弥山山頂に着いた。

ロープウエイ始発が着く前で

ひっそりしていた。

「天来」をそっと歌う。

美しい瀬戸の海と青い空。

全身でその美しさを感じれば良い。

人類の幸せも自分の幸せも

ご神事やら歌の良し悪しとはもはや

何も関係がないと思える。

人間のパワフルさを思い起こせば

たいていのことは解決するだろうし

解決という視点ももはや意味がない。

「解脱」がいかなるものが

分からないけれど

誰しもその途上にあって間違いなく

進んでいると思っている。

山頂まで歩けた脚をほめながら

ロープウエイで下界へ。

たいしたにぎわいだった。


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