あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

浄土門(再投稿文)

2020-04-01 | 心の栄養

宗祖・降誕会(ごうたんえ)は、

親鸞聖人がお生まれになった日。

お祝いの行事がお寺で催される。

先日、聖道門と浄土門についての法座があった。

修行の自力の道と他力の道のこと。

修行による自力の道しかなかった平安期に、

他力を頼みとする浄土門の教えを

はじめて説いたのが法然上人。

親鸞聖人はそのお弟子さん。

「生かされて」は私の代表作になったが、

元々ひらめいたタイトルは「本願に生きる」だ。

2週間、曲のタイトル探しに苦しんでいた。

何気なく思い浮かんだのが「本願」だ。

過去に聞いたことがあるコトバだったかもしれないが

意識してインプットしていなかったから、

「本願って何?」と思った。

そのことがきっけで、

浄土門と源平の関係の一端を知った。

「親鸞聖人の750回大遠忌」を迎えるにあたり、

歌を作りたまえと進言されていた。

そんな大それたことは私とは無縁だと

固辞したけれど、

思いついたタイトル「本願に生きる」は

まさしく真宗の根本的な教えだった。

「生きる」のではなく「生かされている」

と気づいてから、

大げさに言えば新屋まりを世に生み出す為に

田畑を耕しては辛く短い生涯を終えたであろう

ご先祖への感謝の気持ちが

それこそフツフツと湧きあがった。

「生かされて」は私とって大きな意義がある歌だ

と直感した。

その反面、あまりに地味なタイトルに

がっかりした。

大ヒットに恵まれないのが自身の縁だと

悟った瞬間でもあった。

それは当時の私には残念なことだった。

悔し涙と嬉し涙の両方がポタポタと

机の上にこぼれ落ちた。

大泣きしながら一気に書いた。

その後、アルバム化するのには

更に数曲生み出さなくてはと思いながら、

煮詰まっていた。

親鸞聖人は源氏の出。

平家に思い入れがある私には

それが枷(かせ)になっていた。

机に向かっていても埒があかない。

「そうだ京都へ行こう」と思った。

新幹線の中で広げた地図上に

光明寺が記されていた。

浄土門の教えが最初に行われた地だ。

源氏方だった直実が、

年端もいかない平敦盛を討って世をはかなみ

得度したお寺でもある。

敦盛は「青葉の笛」の名手で知られ、

能や歌舞伎など多くのジャンルで

取り上げられている。

庄原市に敦盛の妻が落ち延びたという

逸話に心惹かれ、

私も「永江の里」という歌にした。

※専門家によると史実ではないそう。

春まだ浅い時期、

梅が咲く光明寺の境内に

足を踏み入れたとたん読経が始まった。

「声が小さい!」と檄が飛ぶ。

新米僧侶の訓練中だった。

そこに直実がいるような錯覚に陥った。

得度するとは並大抵のことではなかったはず。

討った方も討たれた方も

充分苦しんだと気づいて、

読経の中でいつまでも涙が止まらなかった。

親鸞聖人は法然上人の薫陶を受けて真宗を開かれたが、

同じ「南無阿弥陀仏」を唱えても

内容は全然違うそうだ。

浄土宗では

「南無阿弥陀仏と念仏を唱える者を救う」

という教えだが、

浄土真宗では「もう救われている身」。

阿弥陀様がそう約束して下さっているのだから、

それに対しての感謝を

南無阿弥陀仏で表現しているのです。

・・・・ね?

ぼろが出るのでこのあたりまでが限界。

真宗は不幸な人間に対して

手取り足取り慰めてくれないし、

これを買っておけば安心とお金で

解決もしてくれない。

自分が理解できる次第で良しという、

ある種冷徹なほどの自己責任。

かといって修行に走ると違うのだそう。

現世御利益の期待には応えてくれないと思う。

けれど、苦しみも悲しみも自分自身の縁だから

それらと共に生きる

静かな覚悟を持ってはどうか

という「思想」が私の肌に合う。

  

 

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