あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

母の日常

2024-11-01 | 半径30メートルの事件

愛犬・麻呂が居なくなって

母の認知機能低下が著しい。

麻呂の遺体は敷地内に埋めた。

目印が必要だと思い、

お花を植えた鉢を置いた。

そのうち草が生えてきて

正確な場所が分からなくなる。

冬には雪に埋もれるだろう。

アマゾンで検索したらわんこの

墓標があった。

名前と写真と一文入れられる。

イメージより小ぶりではあったが

数年くらいはお墓の目印になる。

母にそれを見せたらリビングに

置いておくと譲らず。

麻呂が亡くなって早や4週間。

麻呂のお墓はリビングの隅っこに

(私の印象では)転がっている。

もはやオブジェになった。

もう誰の目に入っていないから

外に出すねというが母は

諦めない。

「これはお墓だよ」と言うが

「ほいでも毎日見る」

「見るなら外に行けばよい」

と私も抵抗してみる。

母にとってはこの墓標、

日がな足元にうずくまって

眠っていた麻呂のイメ―ジが

あるのだろう。

仕方ないのでもう少し

リビングに鎮座させておく。

母は混乱甚だしく、

今日が何日の何曜日か頭に

入らない。

私が股関節手術で12月に

入院するという重要事項も

母は忘れていた。

3回目なのに

「入院するんか!」と驚く母。

今初めて聞いたテイだ(爆)

「入院って重要事項だよね」

というと「そうだ」という。

「良く忘れられるね」と責めてみる。

2,3日前におせちを買おうと

母が言った時に、

退院がいつになるか分からない。

おせちはやめたらと言ったのに・・。

忘れ方が鋭角になった。

毎夜、晩御飯時は弟夫婦が

一緒だけれど耳が不自由で

話題にまったくついていけない。

テレビもあまり見なくなった。

早々に自室で就寝。

昼間は退屈している。

私の股関節痛はまれに激痛がくる。

歩いていると痛風ですかと

聞かれるくらい足をひきずる

ような日もある。

手術まで2カ月近くもある。

一日も早くやってもらいたい。

当面、痛み止め湿布が必要。

車で40分先の病院へ行かねば。

で、母を誘った。

良いお天気だった。

久しぶりのドライブ気分で

ランチを一緒に食べた。

回転すしだけれどランチの握りが

リーズナブルで美味しい。

11時40分で満席。

だいぶ待ったが待った甲斐が

あった。

久しぶりのランチを母は喜んだ

と思ったのだが帰宅したらもう

何を食べたか忘れていた。

帰り道に食品を買うことに

したがほんの少しで

「もうええ」と言う。

食べる事自体にあまり関心が

ない人。

美味しいものを食べたいより

安上りで簡単というのが優先。

子供の頃から「簡単にしておこう」

と本当に良く言われた。

長女の私はそれを当たり前の

ように受け止めた。

妹は「手の込んだことは今まで

なかった」と反撃した。

つまりいつも簡単にしているから

わざわざ言うなという意味。

母は所在なげにしている。

家人の動向をいちいち気にする。

弟がどこへ行くんかと私に

聞かれてもね・・。

誰それが帰って来た、

今出かけたと日がな外を

眺めては独り言をいう。

道路に停まっている車の持主まで

詮索している。

郵便物の中身とか知りたがる。

何もかも把握したがるが

混乱が増すばかり。

その上ですべて忘れる。

周辺にばかり目を向ける母だが

自分には無関心だ。

歯も髪の毛も気にしない。

洗顔さえしない。

寒そうにしているが裸足だ。

リビングにこたつを据えた。

やっと入った。

人生は我慢するものだと

母には刷り込まれている。

夕方電気もつけない。

万事我慢して頑張っていて、

今日を犠牲にすれば

ちょっとましな明日が来る

とでも思っているようだ。

その生き方が母にとっては

最も安定する形なのだから

仕方ないと思うが。

「誰もおらん」と言うように

なった。

リビングで寝てばかりの麻呂は

母のお守りをしていたと思い知る。

私が仕事に行くのも母には

用事で出かけることの一つ。

今日も行くんかと毎日聞いてくる。

母には趣味がなく友達もいない。

週1のデイケアが外出の機会。

あけっぴろげな人ではなく

人付き合いは苦手だ。

私もその遺伝子を受け継いだ。

分からなくもないが

来客どころか宅配業者が来ても

隠れるくらいの人。

寂しいとは言わない人だが、

寂しい人生は母が臨んだのだ。

その通りの晩年になったと私は

思っている。

さて、私だ。

妹に言わせると私の混乱さは

母のそれ以上だそうで

「お母さんより怖い」のだとか。

このままだと母と似た晩年か

もっとはちゃめちゃな晩年を

送ることになるかもしれない。

イメージなくしては現実は

ありえない。

どんな晩年を送りたいかと

イメージしてみる。

なるべくポジティブで

ぶっ飛んだ想像をしたいところ

だが「陰キャラ」に育った私には

ナカナカに難しい。

 

 


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