■無題■
命が去った後の空気が
これほど静かであったと
私は初めて知った。
これまでも 私の周辺では
いくつかの命が去ったが、
悲しさと同時に 戸惑いや
それぞれの人に やるべき事があって
そんな騒がしさには
静けさが入り込む余地が
なかった。
命が去った後の静けさを
私の命がみつめていた。
あゝ 逝ってしまったと
私の命がため息をついた。
彼の命はどこかに
たゆたうのだろうと
おぼろげながら思いを
めぐらすのだった。
慈光が彼を照らしていた。
その光は私にも向かっていた。
やがて死にゆくものも含む
全てを照らしているのだと
私はこの時 気づきを得た。
とむらう側も とむらわれる側も
ひとしく この慈光に
照らされているのだった。
とむらう側に立っていた自分は
傲慢だった。
傲慢な私を傲慢なまま
彼は赦して去って行った。
静かな空気の中で かすかながら
聞き分けができるほどの、
硬くて短い音がした。
私が気づきを得た音だった。
深い懺悔の思い。
それ以上に深い感謝の思い。
彼はいつも私の腕の中に
抱えられながら、
私にもたらしていったものは
殊の外 大きかった。
その大きさを両手で測りたいが、
遠く及ばないことも
私は知った。
生きとし生けるものの
壮大な願いの中に
彼の命と私の命とが
すっきり収まっていた。
見ず知らずの命さえも
この壮大な願いの中に
抱えられ 息づいているのだった。
南無 南無 南無。
幾層もの静けさの向こうから
響いてくる音は
音楽の一種だった。
あるがままの世界を抱えながら
静かに静かに 私の中で響いていた。
■雨の散歩道■
雲が低く垂れこんだ空。
彼と散歩した道はうっすらと
泣いていた。
すすきの穂も、蕎麦の実も、
栗のイガも、樹々も葉も
彼の瞳に溜まっていた涙のように
雫をためていた。
みんな泣いていた。
彼と一緒に泣いていた。
地上近くまで垂れこめた
雲の端をつかんで
彼は空に昇ったのだろうか。
虹の橋をわたるには
空はどんよりしていて
彼はその橋を探せないで
いるのかもしれない。
センチメンタルになった私は、
石も、落ち葉も
泣いているに違いないと、
そこだけに囚われていた。
彼の瞳に光っていた雫と
同じだと信じた。
道もすすきの穂も、蕎麦の実も
栗のイガも、樹々も葉も。
石も、落ち葉も、
彼と同じことを感じたのだろうか。
そうだとしたらそれは
悲しさだったのだろうか。
深い喜びだったかもしれない
と思えば 灰色としか
表現できない私のハートの中に
ほんのり明るい色あいを感じた。
風は凪いでいた。
これ以上 私が悲しまないように。
これ以上 私が心の底に留まらない
ように。
それでも
風が凪いだ雨上りの散歩道は、
それだけで悲しかった。
わんこが一頭地上を去った。
それだけで 私は
たいした詩人になった。
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