300年の歴史が息つ”く後楽園
岡山後楽園は、江戸時代を代表する大名庭園のひとつです。延養亭や能舞台を中心とした亭舎、園内各所に置かれた茶室や祠には、歴代藩主の思いが込められています。全体面積:144,000m2 芝生面積:19,600m2
曲水全長 約640m名称は、岡山城の後ろにつくられた園とゆう意味で後園と呼ばれていましたが「先憂後楽」の精神に基つ”いて造られたと考えられることから、明治4年(1871)後楽園と改められた。
岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて,貞享(1687)に着工、元禄13年(1700)に一応完成、その後も手を加えられた。明治17年(1884)岡山県に譲渡され、一般公開された。 (当地パンフより)
後楽園ベストスポット
「唯心山」 池田綱政の子、継政が作らせた約6mの築山で園内がみわたせる。
往路車中で 岡山駅到着 10時38分
第212回歩こう会は岡山城、後楽園散策に5名が参加した。JR相生で乗換10時40分頃到着。駅から1.8キロをあるき昼食。広大な後楽園に入園、
まず懐かしい備中神楽を見た。伝統のある面をつけた神楽であった。昔TVのない時代には全国でもてはやされた、村の鎮守の森の神社では盛んに神楽が流行、庶民の楽しみであった。勧善懲悪の思想を植え付ける道徳であった。
この後楽園に小生は50年前四国から船で渡り冬の雪景色の中を一度訪ねた。神戸に赴任する前のひと時を観光で訪れたことがある。たくみに自然にさからわず広大な土地に
みごとに造園築山をほどこしている。日本三大公園といわれる。
大分名物とりから 昼食 岡山城を背に 後楽園内
後楽園からはるか向うに岡山城がそびえている。今回登城はやめ外から見るにとどめた。復路は同じ商店街を通り抜け日曜日のひるさがり呑み助の多い居酒屋を見つけた。貝の直火焼き、
栄螺はこの頃によくあう料理であった。予定の乗車4時44分に乗り遅れまいと駆け足で間に合った。姫路、明石で常連会員と別れJR住吉着6時55分。7時過ぎ帰宅した。翌朝新聞をみるとJR須磨で人身事故があり岡山で1本遅れの電車に乗車しておれば40数本おくれの遅延に出くわすところであった。
能舞台横 備中神楽 井田 ガイドさんと集合写真