にじの木通信

小さな家族の日々のこと。
安心安全栽培の菜園も、カメの歩みで一歩ずつ。

一人のプロを育てる

2016-05-13 22:47:43 | 私のメモ帳
誰に育てられるわけでもなく、

本当は、自分で自分を育てるんですね(^O^)/


そうしたプロ意識をもてば、何に関わろうとも、

いつか楽しくなる日が来るでしょう??


具体的には、人さまに、食べていただけるレベル、

人さまにご提供したときに、喜んでいただけるレベル、

家族一族以外のどなたかへ、なのです。


全てにおいて、対価をいただけるレベルを目指す。

自分だったら、骨身を削り、汗を流して得た賃金で、

そのことに対して、喜んでお支払はできますか?


そんなわたしになっていますか?

そこまで、誰に言われなくても、磨き上げる日々にしていくことで、

感動する言葉や、体験を、いただくときが、やってくるでしょう?


昔わたしの母は、我が家とお隣の市で一人、サロンをしていましたが、

それは毎日毎日お客さまに、美味しいものを、いただいておりました。



本当によく忙しく、夕飯前のぎりぎりの時間に帰宅していた母は、

父と全く同じタイミングでたどり着いてたとしても、

父が食卓に着席するときには、夕飯の一品目を出していた。

母は(味が変わるため)作り置きのできない人で、

電子レンジがダメで、売られているお惣菜もほぼ食べられない人なので、

毎食事前に、調理をしていたのです。


そのときは、娘だから、身近すぎてわからなかったのですが、

こんなにできる人に出会ったことがありません。


いろんな‘‘エステティシャン’’や接客業で人を見てきて、

‘お心付け’を毎度ほどいただく若い女性に出会ったことがありましたが、

毎日毎日、家族が喜ぶであろうお土産をいただく人に、

出会ったことが、ありません。


母は本当に、無私で、働いてきました。

今でもキセキ的出会いを繰り返す母は、人の生死にも関わり、

徳という、傘を、家族に分けてくださっている。


だからこそ、できないことがあり、

どうもわたしみたいな一般人が、支えるべくそばにいるようで。。

人にはそれぞれ、役割がごさいますが、

それでもわたしも、何かのプロにならねば、家族のためとならず。


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例えばお、種として土に返せば、すごい発芽率で、育つ。

お米だってそうですが。


そうして一粒から成る、お豆の多さには、毎年、驚かされます。

「自然」は、与えられた場で、その可能性を十分に生かし、

遺伝子に沿ってか、毎日毎日こつこつと成長して、

あるとき誰かの役にたつべく、

たくさんの、本当にたくさんの「実」を実らせてくれるのです。


先日きづき、「「これって‘‘プロ’’じゃないの??
」」って・・・。


人は、支えてもらわねば、また、教えていただかないと、

何々してもらわないと、育たない、なんていう言い訳しているけれど、

「自然」は言い訳なんてせず、周りの「環境」を活かし調和し、

自分を、‘使っていただけるよう’

その場で、育てているんだなあって思うのでした。


わたしの立てさせていただいた「支柱」はひとところ倒れ、

よく‘サポート’できたなあっていう、

達成感をいただくにはまだ足りなかったようですが、

自然の恵みと教えを、たっぷりと感じさせていただいている次第です。


人のお役に立てるまで、喜んでいただけるようになるまで、

自分を育てる、

環境{与えられる場・人さま・自然}との調和の中で、ということ。

言い訳を一切せずに、ということです。


母も一切言い訳をせず、家族には、ガマンを学ばせ、

利他で働いてきました。



ここまで学ばせていただき、あとはどうするか?

ぼちぼちと進むか否か、わたし次第です。。(*^_^*)




















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