若かりし頃、友達とよく京都に出かけたりすることがあって
そしてなんかお寺によく行ってない??ってことがあり
掛け軸や朱印帳をもって来られている人を見て・・・・なんとなく始めたお寺巡り
親戚が四国八十八箇所をまわって、死ぬときにはこの着物着るんだって見せてもらった
へぇ~そんなんあるんだーとなんとなく覚えていて、西国三十三箇所ではおいづるがあり
途中からおいづるも始めまして、三十三箇所のうち残すところ十一カ所になってます
実家の母に、そろそろちゃんとまわっておいてよねと言われ
友達に「一緒に行かない?」と誘ったら・・・・なんとタイムリーなことで
友達の方は違う人にも同じように誘われてたらしい
今回の予定は三十二番札所観音正寺と三十一番札所長命寺・・・・友達がここだと車出せるよって言ってくれたので
ありがたくお願いした
地図を見ているとお寺の間に安土城跡があったんで、友達に「近くに安土城跡てあるみたいだけど」って言ってみたら
「行きたーーい」って即答で返ってきた
待ち合わせは8時・・・・待ち合わせの場所に行き、「どっち先に行く??」ってその場で決め
最初に長命寺に出発
8合目まで車で登れたのですがラストの階段はきつかった
これが最初から階段だとどれだけ大変なのか
杖は必需品だと思ったわ
西国三十一番札所長命寺
ラストの階段
上からの景色はキレーだった
本堂は重要文化財だそうです
最初にお参りを済ませ
朱印帳、おいづるを出し書いていただきました
ご本尊の千手十一面聖観世音菩薩は健康長寿、無病息災を授けて下さる有り難い観音様
変わった大きな岩がありました
三重塔
工事をしている場所があったので全部は見れなかったんだけど
お参りした後は「なんか清々しい気持ちになるね」「心が落ち着くね」と言い合う
行事も色々あり
帰ってからゆっくりと読みました
時間的にも楽勝と思いつつ次は安土城跡に行きました
白はなく石垣だけだと思っていたのでちゃちゃっと行けると思ったんだけど・・・・・
拝観料を払って
パンフレットをもらって入るとすぐに《杖が必要です、どうぞお使いください》と置かれていたのを見て
あーなめていた
戦国武将の漫画があって「ねぇ、ねぇ誰推し??」なんてキャビキャビした話しをしながら登って行きましたよ
ちなみに信長様はこちら
この漫画なんでも水墨画の有名な方が描かれたものみたい
すぐに豊臣秀吉邸主殿あと
ここにあったんだー
シッポが青くキレーなトカゲがいた
すっごい綺麗な青色
徳川家康邸跡には摠持寺仮本堂があって・・・今日は特別拝観ができました
こちらがそうです
お抹茶をいただきました
冷房もないのにいい風が入ってきて涼しく、静かでずっといたいぐらい居心地が良かった
延々と階段が続き、途中膝の高さぐらいの段差があったりして
杖を借りてきて良かったと・・・・・途中友達と話もはずみ自分たちのペースで上がって行きました
途中リタイヤの方もいらっしゃったみたい
これでもまだ途中・・・まだ上があります
織田信忠邸跡
信長公の嫡男
もうちょっとで二の丸ってところで
織田信澄
????知らなかった
帰って調べたら甥になるみたいで家臣
それがね・・・調べたの見たら、なんと最期はうちの近所の城で殺害されたんだって
ノアの病院に行くたびに通る場所なのよ
びっくりだわさ
そしてその隣に
森蘭丸邸跡
黒金門跡
あともう少し
織田信長公本廟
二の丸跡
天守跡
こんな石がゴロゴロ
な~~んもないんだけど・・・
ここから見る景色は
格別
キレーだったよ
摠持寺跡
ここに本堂があったんだね
めっちゃ静かだ
お世話になった杖
ところどころにこういう休憩所がありました
座って休憩したら動けなくなるので座りはしませんでしたけれど・・
三重塔
釘とか使っていないんだろうなぁ~
仁王門には金剛力士像
こちらは阿形像
こちらは吽形像
かなーーり古い
こちらも重要文化財だそうです
登るときと違うルートで降りたときに秀吉さん邸跡の下の部分がもあるようで
かなり広かったみたい・・・な
発掘調査の様子など
こちらが天守閣の模型
こんなに時間がかかるなんて思っていなかったので途中お腹がなるなる
なんか食べたい
もう次のお寺の階段は無理ってことで、近くに信長の館っていうのがあるので寄り道することにして
まずはご飯
信長ハンバーグ
信長の館・・・・この中のものはインターネットに公開NGなんでお見せできませんが
面白かったです
安土城が3年でなくなってしまったのが本当に残念
織田信長が天下統一していたら・・・・どうなったんだろう????
お昼が遅かったので夜は軽めで食事をして戻ってきました
予定していたお寺は一つは行けなかったんですが、行き帰りの車の中でいろんな話もして有意義な時間だったなぁ~と
そしてやはりお寺って落ち着くなって思いました