ほぼ不定期日記

散歩ばかりしている男の嘘日記

辛子明太子をスパゲティーに絡めて卵黄を飾る朝

2017年12月21日 | ぼくモライもん

午前6時に起床する 

今朝も寒い! ダウンジャケットを羽織り中綿入りのオーバーパンツを穿いて台所に立つ 

牛乳とマヨネーズを混ぜてトロみが出るまで熱し皮から剥がした辛子明太子を放り込み火を止めたら 

柔らかく茹でたスパゲティーを放り込み良く絡めたのを器に装い焼き海苔を散らし黄身を落とす 

ああ!焼き海苔を散し過ぎた・・・ せっかく上手く作れたのに・・・真っ黒になってしまった 


たらこも明太子もどっちも美味いが「どっちが好きか?」と訊ねられたら「たらこ」と答える 

より魚卵っぽい味がするからだ 

前にも書いたが「たらこ」は鱈の卵巣ではない スケトウダラの卵だ 

真鱈の子は親の身体のサイズに比例して巨大でしかも黒っぽい 

そしてたいていは煮物にする 

だが煮てしまうと真鱈の子だか鯛の子だか良く判らなくなるのが残念でならない 

真鱈の卵巣はその大きさゆえにスケトウの子のように塩漬けに出来ないのだろう だが・・・ 

いっそキャビアや飛びっ子のようにばらばらにして塩水に浸け込んだら美味いのではないかと 

いつも思っているのにそれが実現出来ていないのはうちの冷蔵庫が信用ならないからで 

時には止まって温蔵庫になってものみな腐らせ 

時にはすべて冷凍庫となってカチカチに凍りつかせてしまうような 

そんな冷蔵庫では保存して熟成させるような喰いものは作れないというわけなのだ 

ここで「買い替えればイイんじゃない?」と思われた方には 

訳あってそれが出来ないと答えるしか無いのだとここで言うのも何度目だろう? 

その理由はこれ以上は書けないのだ 

とにかく引っ越さなければ冷蔵庫も買い替えられないのならば 

引っ越すしかあるまい 

そう言い続けて今年が終わる 

来年こそは? 

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ちりめん山椒をスパゲティーに絡めて柴漬けを乗せる朝

2017年12月18日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

寒い!今年イチ番の冷え込みだろうか? 

ダウンジャケットを羽織りオーバーパンツを穿いて可燃ゴミを出しに行く 

この地区はゴミ収集が午前8時なのだ どんなゴミでもだ 

もうそれだけで引っ越したくなってくるぞとボヤきながらゴミ袋を収集場所に置き踵を返す 

通勤するひとたちのシルエットが吐く息で白く包まれている 空は快晴だ 

大鍋に湯を沸かしてスパゲティーを茹でる それだけで部屋が温かくなってくる 

いただいた鞍馬のちりめん山椒をスパゲティーと絡めて皿に装い柴漬けを乗せて喰う 


ちりめん山椒をオリーブオイル漬けにしておけば良かったかな? 

それともスパゲティーをバターで絡めておいてから和えれば良かったかな? 

どっちにしても・・・やっぱりスパゲティーは油と合う それは間違いない 

そう結論付けてスパゲティーを頬張ったら山椒の実を噛み潰した ヒイッ! 

山椒の実の味というのは辛いというよりも痺れるというのが正しい 

生の山椒の実を良く見ると判るけれどこれは小さいけれど立派な柑橘で 

噛めばまさに柑橘そのものだが舌が痺れるのは蜜柑とは違う だが・・・ 

もしかしたら蜜柑も青くて小さい頃に噛めば舌が痺れるのかもしれない 

試してみる価値はある 

山を歩いている時に密柑山を通ることがある 

花が咲いていれば甘い香りで気がつくし 

実が熟してくればおのずと目が向くけれど 

花が散って小さな実が生っている時に蜜柑の木に目を遣ることはまず無い 

きっと「試してみよう」と思っていたことも忘れてしまうに違いない 

そうでなくても日に日に記憶力が落ちているのだ 

あと数ヶ月も経てば還暦プラス1歳か・・・ 

まだまだやりたいことがある 

気管支の炎症を治そう 

そして冬枯れの山を歩こう 

今日は午後から教室がある 

その前に年賀状を印刷しておこうと思う 

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鞍馬のうなぎ山椒を蕎麦に乗せて手繰る朝

2017年12月17日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

ぶり返した風邪で身動きもできず丸2日寝ていた 

寝てばかりだったので腰が痛い 関節が痛い 

いただいた鞍馬のうなぎ山椒を茹でた蕎麦に乗せ添付の山椒粉を振り柚子皮とネギを散らして手繰る 

関西風にうなぎは小振りで引き締まっている 


利根川水系や霞ヶ浦など大きな川や湖で育った鰻は良く肥えているので 

蒸して焼いてを繰り返し余分な脂を落としたほうが美味いのに比べて 

関西は大河も少なく琵琶湖が大きいとはいえ海に繋がっていないぶん鰻はそれほど肥えず 

だから関東の蒲焼きに欠かせない蒸す行程が無いのはどなたもご存知のことだろうから 

関東風のほうが美味いとか関西風が美味いとかいう議論などは虚しいのもご存知だろう 

つまりどこで喰っても鰻屋で出す蒲焼きは美味いのは磨き抜かれたプロの技のおかげで 

どんなに美味そうな鰻でも素人が蒲焼きにすればがっかりするものになってしまう 

子供の頃にたまたま釣れた鰻を父が裂き七輪で焼いて砂糖醤油で味付けしたものが 

ただ甘塩っぱい白身魚の照り焼きと変わらないものになったことは忘れられない 

あれは高知県須崎市に流れる新荘川の河口のワンドだった 

狙っていたのはセイゴだった 

竿は2本 道糸は3号 ハリスは1号 袖針にゴカイを付けて中層を狙って玉浮子を調整した 

陽が傾きかけヒョコヒョコ動く片方の浮子に気を取られているうちにもう片方の浮子が沈んでいた 

ずっしり重い竿を立てると道糸でグルグル巻きになった鰻が釣れていた 

小学6年の秋だった 

Google Map で見ると須崎湾には一文字堤防が作られ河口のワンドは消え失せている 

川海老をチャンで突いたワンドの下流の広い瀬も 

カワウソが棲んでいると聞いた上流の淵や葦原も無くなっている 

心にぽっかりと穴が開いたような気持になってきた 

身体が動くうちに行かねばならぬ 仕事を減らして 

今までは休みの間に寝込んでなんとか治し仕事に穴を開けずに済んでいたが 

これからはそうもいくまい 加齢は日々進行しているのだから 

今日も家に籠って感冒薬を服み明日からの教室に備える 

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たらこスパゲティに海苔を散らし数の子を乗せる朝

2017年12月16日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

いただいたタラコを包丁でふたつに切り皮から中身をこそぎ出しておく 

牛乳にマヨネーズを垂らし小鍋でとろみが出るまで加熱し 

火を止めてからタラコを加えて胡椒を振り良く混ぜたのを 

柔らかめに茹でたスパゲティと和えて皿に装い焼き海苔を散らし 

てっぺんに出汁醤油の染み込んだ数の子をポンと置く 


バターがあったならばより美味いタラコスパゲティーになったに違いない 

バターは美味い 

炊きたての飯にバターを乗せ醤油を垂らして喰うのが美味いのは言うまでもないことだろう 

焼いた餅にバター醤油や熱々の茹でたてのうどんにバターを絡めても美味いし 

バターをたっぷり折り畳んだパイやクロワッサンが美味いのは 

澱粉とバターの組み合わせが最強であると言うそばから涎が吹き出してくる それほどに美味い 

小学生の頃に友達の家で遊んでいるとその子のお母さんが「おやつだよ」と 

トーストにバターを塗って砂糖を振りかけたのを出してくれたことがあった 

そういう喰い方は初めてだったが言葉を失うほどに美味かったのは忘れられない 

家に帰って同じものを作ろうと食パンを出してバターを塗ろうとしたら・・・ 

えっ!硬くて塗れない? 冷蔵庫から出したばかりのバターは硬過ぎたのだ 

仕方が無いので包丁で薄切りにしてパンに並べて砂糖を振りかけて喰った 

美味かったけれど友達のお母さんが作ったものには到底及ばなかった 

ちょうど良い柔らかさになるようバターを室温に馴染ませておく必要があったのだ 

簡単なようでそうではない 小学校で習うことよりも勉強になった気がした 

そのうちラーマやネオソフトが売り出され我が家の冷蔵庫からバターが消えた 

冷えていても滑らかに伸びるネオソフトは焼いてない食パンでも塗ることが出来たが 

例のバター砂糖トーストを倣っても美味くて堪らないほどにはならなかった 

どう頑張ってもマーガリンはバターの代わりにはならないのだ 

近所のショッピングモールに行列の出来る焼きたてパンの店があって 

焼き上がるとカランカランと鐘を鳴らし甘い香りのパンを並べているけれど 

近づくとバターの甘い香りではなくて油っぽいマーガリンの臭いがする 

買ってみたらマーガリンの油っぽさとたっぷり混ぜた砂糖の甘さがしつこくて 

それ以来買おうとは思わないだけなくて近寄ることも無いが 

離れたところから行列に並ぶ方々を眺めると 

甘くて油っぽいものを常食している方独特の体型をしていて他人事ながら心配になる 

事情通に聞くと甘くて油っぽいパン屋ほど儲かるのだそうだ 

多くの人を騙すのは以外と簡単らしい 

怖がらせたり脅したり甘い言葉で気を弛めたりするのが詐欺師の手口だ 

テレビを点けるとそういう詐欺まがいの政治手法が映し出されている 

人質を取るのは人間として最低だと思うのだがどうか? 

そして今は我々が人質だ 

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五島列島の蒲鉾に津軽の可愛いリンゴを添える朝

2017年12月15日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

相変わらず寒い 

いただいた五島列島のかまぼこに粉ワサビを溶いて添える 古漬けの沢庵は三切れ 

長ねぎと若布の味噌汁と炊きたての秋田小町で喰う 

真ん中のちいさくて可愛いリンゴはふじ 津軽のリンゴ農家の自家用をわけてもらった 


五島の蒲鉾は混じりっ気が無くて東シナ海を泳ぐ魚のすり身そのものの味がする 

ワサビを付けて頬張ればスコン!と鼻のつまりが抜けたかと思ったら 

ふんわりと白身魚独特のおだやかな甘味が口じゅうに広がって・・・ああ!美味い! 

五島列島は未だ訪れていないけれど行った気になってしまうほどに美味い 


ちいさいリンゴを見るとアガサ・クリスティの推理小説に登場するオリヴァ夫人を思い出す 

犯罪小説家であるオリヴァ夫人だがいつも小さなリンゴを齧っているという奇妙な人物設定で 

パーカー・パインの短編に登場したかと思ったらポアロのシリーズではほぼ主役扱いだったり 

単発の「青ざめた馬」でも重要な役回りに配置されていたりするのは まるで・・・ 

手塚治虫の漫画に登場する「ヒゲおやじ」のような作品を越えたキャラクターとして 

混乱しがちな長編漫画のストーリーの狂言回しとしての役割を与えられているのに違いない 

それはまるで初めて訪ねた街で知り合いにばったり出会った時の安堵感に似ているし 

さらに言えばほっと安心させることで読者の推理をミスリードすることもあるはずで 

つまり・・・それは詐欺師の多くが人を油断させるような容貌をしているのと似ている 

それほど人間は他人の見かけに惑わされ易いのだ!などとちいさいリンゴを齧ると 

すがすがしい香りと甘みが広がって「あれ?ちいさいのに?熟してる?」と騙される 

言っているそばから・・・である 

ところでアガサ・クリスティは別名義のメアリ・ウェストマコットとしても作品を残している 

その三部作は母と娘の内面が残酷なまでに描き出されていて 

推理小説では抑えられていた彼女の意地悪さが伸び伸びと発揮されている 

読み応えという部分では他の推理小説をはるかに凌いでいるのだが 

面白さやポピュラリティーという面から考えると 

ポアロものやマープルものに比べればそれほど知られていないのも理解出来る 

どの分野でも最大公約数を考えれば考えるほど味は薄まるのだ 

それは仕方が無いことなのだ 

そして表現者はいつもそれと戦わなければならないのだ 

創作は孤独な作業だ 

だから気の置けない仲間とのひとときが宝石のように輝くのだ 

そろそろ忘年会のシーズンだ 

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いただいた辛子明太子を炊きたての飯に乗せる朝

2017年12月14日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

今朝も寒い! 

ダウンジャケット羽織って台所に向かうとタイマーセットしていた炊飯器の保温ランプが点いている 

蕪の先っちょと付け根の硬いところを切り落とし薄切りにして塩揉みにする 

先っちょと付け根と葉っぱは味噌汁にする 出汁は鯖節 味噌は教え子の手前味噌 

いただいた辛子明太子を炊きたての秋田小町に乗せる 


辛子明太子がここまでポピュラーになったのは 

長谷川法世の漫画「博多っ子純情」がきっかけだったはずだ 

1970年代後半から80年代の始め頃まで連載されて人気となり 

さらに映画化までされてこれもヒットしたのだが 

主役の六平を演じていたのが今や渋い脇役を多く演じる光石研なのは以外と忘れられているし 

マドンナ役の類子を演じた松本ちえこに至っては覚えている方の方が少ないのかもしれないと 

そう思うと時の流れを強く感じざるを得ないと同時に少し淋しい気持になってくる 

それにしてもこの「博多っ子純情」がヒットして長く連載されなければ 

辛子明太子や博多山笠のことも知ること無く過ごしていたかもしれないと思うと 

今よりも漫画というメディアが老若男女を問わず強い影響力を持っていたことが判る 

ところで全編博多弁で語られ台詞も博多弁で描かれていた「博多っ子純情」のなかで 

辛子明太子のことは「からしめんたい」と呼んでいたように記憶しているのだが・・・違ったか? 

とにかく「メンタイ」とは朝鮮語でスケトウダラのことを意味する言葉を 

日本人の言い易い言葉に置き換えたものなのでスケトウダラの子なら 

メンタイコと「コ」を付けたほうが正しいような気がするものの

六平も阿佐も類子も「めんたい」と呼んでいたのなら 

当時の博多では「めんたい」だったのかもしれない 

日本語が国語と呼ばれているけれど外国語由来の言葉の数は 

バッテラやカステラや天ぷらや背広など数え切れないほどあって 

例えば英語やフランス語の単語も半分近くが相互に共有していることを考えても 

我々の文化が世界の中で単独で生まれて進化していくことなどありえないことが良く判る 

そういえば私が子供の頃には独身男性のことを「チョンガー」と呼んだりしていたけれど 

最近ではめっきり聞かなくなったし使わなくなったのは 

単に流行らなくなったからなのだろうか?とふと思う 

白菜漬けが満州国建国以来だったりキャベツは江戸時代に入ってきた野菜だったり 

葬式で黒い喪服を着るのは大正天皇の葬儀の影響だったりすることなど 

忘れ去られてずっと昔からそうだったように思い込まれているように 

ものごとの歴史などはしっかり記録しておかなければ簡単に消えてしまうし 

有ったことを無かったと改ざんするのは我が国だけではないことを考え合わせれば 

国と国同士の歴史などは完全に一致するわけはない 

だが・・・互いに共有する努力を怠ればより良い未来など来るはずも無くて 

それを阻害しようと企む者がいるとしたらそれは・・・間違いなく悪人だ 

憎しみ合わせて戦わせて何を得ようとしているのか? 

命よりも尊いものは無いはずだ 

くだらぬプライドのために若者に人殺しをさせているのは誰だ? 

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五島のばらもん揚げを蕎麦に並べてワサビ漬けを添える朝

2017年12月12日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

いただいた五島の「ばらもん揚げ」の黒と白を蕎麦のうえに並べてワサビ漬けとネギを添える  

蕎麦つゆの出汁は焼きアゴと宗田鰹の削り節 味付けは味醂と塩 醤油はほんの少しだけ 


黒は鯵のすり身で白はエソのすり身それぞれ100%で作られているらしい 

どちらもプリプリの歯ごたえで黒は青魚らしいコクがあり 

白のほうはエソ特有の淡白な美味さだ 

青魚も白身魚もどちらも好きだしワサビ漬けはもっと好きだ 

ワサビが好きなのはここで何度も書いていることだけれど敢えてまた言えば・・・ 

とにかく物心ついた時にはもうワサビを溶いたつゆに蕎麦を浸して手繰っていた 

母親に聞いたら「いけないと言っても聞かないし 

隙を見つけて溶いてしまうのであきらめた」と言っていたっけ 

あの頃の蕎麦つゆにはネギとワサビと鶉の卵が添えられていたはずで 

尖ったほうを切り取った鶉の卵が小皿の上でワサビとネギで挟んで立てられていたのは 

鮮明に覚えていることなのだけれど上京していろいろな蕎麦屋に入っても 

そういう風に仕立てた店にはいまだに出会えていないのが残念でならない 

きっとどこかの蕎麦屋では昔ながらに鶉の卵を添えているに違いなくて 

ざる蕎麦ならではの少し甘めでとろりと濃厚なつゆも変わらずに残しているだろうと思うと 

美味いかどうかは置いておいてもそれが今喰いたいもののひとつではある 

教室用の膠を炊きながらエチオピア・モカを挽いて飲む 

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いただいた時鮭を焼いて和定食風の朝

2017年12月11日 | ぼくモライもん

午前6時に起床する 

目覚めは悪いがとりあえず風邪は悪化してはいないようだ 

いただいた時鮭を焼いて古漬けの沢庵を添える 

いただいた五島のつみれと蕪の葉と長ねぎで味噌汁を作る 


時鮭は文句無く美味い つみれの味噌汁も美味い 

ありがたいことだ それにしても・・・ 

時鮭と書いて「ときしらず」と読ませるのは少々無理があると思う 

要は産卵する前の春に獲れた鮭のことで 

卵や白子に栄養分を吸い取られていないので身に脂が乗っているというわけだ 

それくらい子孫を残すというのは過酷なことなのだよね 

時鮭の姿を見ると鼻が長く伸びていないのでそれと判る 胴も太い 

鮭児というのは時鮭よりも若い鮭のことで他の鮭よりやや小さくて 

産卵するために岸に寄せ来る群れにほんの僅か間違って混じっているのだそうだ 

時鮭も鮭児もなかなかに高価だ 

昔は塩辛く漬け込むのが当たり前だったのでイクラや白子を取り除いた鮭でも充分に美味かったが 

減塩が標準になってしまった今では脂の乗った時鮭や鮭児がもてはやされるようになったわけだ 

産卵するために川に遡ると鮭の身体は銀色から斑な迷彩色に変わる 紅鮭なら真っ赤になる 

そういう迷彩柄の鮭のことを幹の模様が似ているブナの木に例えて青森や岩手ではそう呼ぶけれど 

そういえば淡谷のり子さんが「ブナが美味しいのっ!」と語っていたのは徹子の部屋だっただろうか? 

確かにしっかり塩辛く漬け込んだ昔ながらの塩鮭は水気が良く抜けて 

それに伴って魚臭さも消えて旨味ばかりが残っていたように覚えている 

昔の塩鮭を焼くと腹のあたりに白い塩が吹き出して 

それを弁当にすると塩鮭の甘い脂が米に染み込み 

鮭の塩気といっしょになって「しみじみ美味いなぁ〜」と思ったものだった 

昭和40年を過ぎると冷凍車が作られて生鮭が食卓に並ぶようになった 

子供だった私はソテーやフライになった生鮭の美味さに夢中になったけれど 

齢を重ねていくうちに昔ながらの塩辛い塩鮭のほうを好むようになっていった 

今ではサーモンを握った寿司は喰う気にもなれない あっ!あれは鮭ではなかったね 

いや!あれこれ文句を言うのはやめよう 

喰いものに文句を言うなと父に教えられて育ったはずだった 

これで小言幸兵衛も卒業かな? どうかな? 

エチオピア・モカを飲み感冒薬とビタミンC 錠を服んでおく 

仕事の前に北公園に寄ってみよう 

ジョウビタキに会えるかもしれない 

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数の子とイクラを蕎麦に乗せてお正月を先取る朝

2017年12月10日 | ぼくモライもん

午前6時に目覚めて午前7時に起床する 

昨日は感冒薬を服まなかった 熱は無い 喉の痛みも無い 

しつこく棲みついていた気管支の風邪はやっと治ったようだ 

いただいた味付け数の子と醤油漬けのイクラを蕎麦に乗せネギを散らして独り快気祝いとする 


数の子が鯡という魚の卵を塩漬けにしたものだということを 

わざわざ説明しなくてはいけない時代なのであえて言うけれど そういえば・・・ 

以前に山形出身の G さんが「戦前はニシンではなくてカドと呼んでいた」と教えてくれたことがあった 

ニシンというのは大和言葉ではなくてアイヌ語由来だと司馬遼太郎のなにかに書いてあって 

カドの子が変じてカズノコになったと知ってはいたが 

実際にそれを使っていた人に出会ったのは初めてだった 

その G さんは今年の夏に熱中症で亡くなられた 

30年来の生徒さんであった 

貴方の今年の10大事件は?と聞かれたら最初にこのことをあげようか 

そういえばイクラというのも大和言葉ではなくてロシア語だが 

鯡にしても鮭にしても国境を意識して泳いでいる訳ではないし 

我々人間ももともとは国境など無い世界に生きていたはずだったのを 

権力を誇示したい奴らのおかげであんな変てこな線が引かれるようになった訳で 

もしもタイムマシーンが有ったら時代を遡りそういう奴らを制裁したいと思うほどに 

私は国境などというせせこましいものが嫌いだ 反吐が出る 

もっと嫌いなのは権力を誇示しておのれの欲望を満たすために庶民を苦しめる奴らだ 

さらにもうひとつ付け加えるならその権力にあやかったつもりで嵩にかかる奴らもだ 

本来の我々は生まれた時から自由なのだ 

だがそれは社会が簡単には許してくれない 

以前「我々は自由を買っている だから金が無いのだ」と言ったら絵描きの友人が喜んだが 

そんな戯言を嘯くことで辻褄を合わせているだけにすぎないことは重々承知している 

そこまで馬鹿ではない 

仕方が無いので数の子をゴリゴリ噛んで憂さ晴らしをする 

おお!これは本物の数の子の歯ごたえだ 

イクラをぷちゅんと噛む 

これも本物の鮭の腹子だ 

子供の頃に縁側で数の子の薄皮を剥く母の姿が甦ってきた 

米の研ぎ汁に浸かった数の子 

黒豆を煮る臭い 

お重の中で綺麗に揃った慈姑の角だけつまみ食いして叱られたっけ・・・ 

気がつくと師走も半ば近くになっている 

エチオピア・モカを飲みながら今年のあれこれを振り返ってみようかな? 


追記:昼飯用に塩鮭弁当を作る 

いただいた時鮭を焼いて飯の上に乗せイクラを散し古漬けの沢庵を添える 


沢庵をあと2切れ追加しよう 

モズに会いに湧き水の里山へ行こう 

おひさまの光を浴びながら弁当を喰おう 

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焼き海苔を散りばめた釜玉うどんに黄身を追加する朝

2017年12月05日 | ぼくモライもん

午前7時に起床する 

寒い!こりゃ堪らんとダウンジャケットを羽織り中綿入りのオーバーパンツを穿く 

昨日お歳暮でいただいた山本海苔の詰め合わせから焼き海苔をひとつ取り出して軽く焙っておく 

鶏卵を割り黄身と白身に分け白身のほうにもうひとつ鶏卵を割り入れよくかき混ぜ泡立てたのと 

茹でたうどん玉を混ぜ合わせたところにいただいた焼き海苔を千切って散し黄身を落として喰う 


玉子の黄身をプチュン♪と潰して磯の香のする焼き海苔と混ぜてうどんに絡めれば・・・ 

美味い! 命の根源そのものの味だ 

それにしても・・・釜玉うどんというものは昔なら「はしたない」喰いものだったに違いない 

 

今日は大磯の S 画伯宅に行って無線LAN 機器のメンテと設定をしに行く予定なので 

そのついでに中井町の湧き水の里山に寄って冬の鳥たちに会いに行こうと思っている 

イカルに会えれば最高だ 

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