愛新覚羅溥儀の旧皇宮を出た後、バスで長春市内を走っている時、ガイドさんから説明を受けて撮った写真ですが、何故撮ったのかは忘れました。たぶん、旧統治時代に日本が建てた物ではないかと思います。正確な情報ではありませんのでご注意下さい。
下記の二枚の写真は長春文化広場あたりで撮った建物です。Googleで写真検索すると、現在の吉林大学地質宮博物館と出てきましたが、正しいかどうか分かりません。1930年代に建設が始まった建物だと思います。
下車観光をした偽満洲国国務院旧址です。満州国の最高行政機関で、日本の国会議事堂をモデルに造られ、1936年に完成しました。現在は吉林大学の基礎医学院として使われていますが、手すりや大理石などは当時のままです。
長春市を満州国の首都と定め、新京と名付け、都市計画を進めた時に建てられた建築物が沢山残っていました。
『八大部(はちだいぶ、中国語: 八大部=バーダーブー)と中国で呼ばれているのは、満州国新京(現在の吉林省長春市)にあった満州国国務院(行政機関)配下の八部(治安部、司法部、経済部、交通部、興農部、文教部、外交部、民生部)を指し、これらの建物は現存し、内外の観光客が見物に訪れている。』Wikipediaより
この後、長春駅へ行って、列車(硬座)で2時間ほどかかって瀋陽に到着しました。
瀋陽北(沈阳北)駅ホームです。
瀋陽北駅(沈阳北站)
瀋陽市内
瀋陽駅(沈阳站):1910年(明治43年)頃 に完成
満鉄が建設し、かつて奉天駅と言われていたところです。
夕食
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