評論-231 小林秀雄の仏語力
小林秀雄訳
ランボオ詩集(創元選書)
昭和23年11月20日発行(286頁)と昭和47年11月20日発行(303頁)
昭和23年版と昭和47年版では翻訳に多々異同を見出せる。
「地獄の季節」についてだけ見る。
昭和23年版
「俺の生活は祭[festin]であった」(p.92)
昭和47年版
「俺の生活は宴(うたげ)であった」(p.3)
(これ以降、festinは宴に統一されている)
昭和23年版
「その上で猛獣の様に情容赦もなく躍ったのだ[j'ai fait le bond sourd de la bête féroce]」(p.92)
昭和47年版
「その上で猛獣の様に情容赦もなく躍り上がったのだ」(p.4)
(この箇所、いずれも明白な誤訳)
昭和23年版
「死を手に入れる事だ。……七大罪のすべてを傾けて[Gagne la mort avec .....tous les péchés capitaux.」(p.93)
昭和47年版
「死を手に入れる事だ、……七大罪のすべてを抱へて」(p.4)
昭和23年版
「あゝ、俺は死なんか食ひ過ぎて了った。[Ah! j'en ai trop pris」(p.93)
昭和47年版
「あゝ、そんなものはもう抱えきれぬほど抱へ込んでゐるよ。」
昭和23年版
「俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、早速貴方から掻拂はして戴く事にする[je vous détache ces quelques hideux feuillets de mon carnet de damné. 」(p.94)(この箇所、明白な誤訳)
昭和47年版
「俺の奈落の手帖の目も当てられぬ五六枚、では、貴方に見て戴く事にしようか」(p.5)
小林秀雄の仏語力は決して高度なものでなかったことが分かる。そんな仏語力でランボオの難解きわまる詩を《分かる》のか、という疑問が浮かぶ。
そんな疑問に答えることは比較的容易である。
高度な語学力があれば《分かる》ものではない。仏語を母語とする人を含め、仏語の達人に問うてみるといい。
「ランボオが分かりますか」
と。
(了)
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