「末尾」の構想
『「天皇との距離 三島由紀夫の場合」への助走』の第一部『三島由紀夫の「切腹」 そのザッハリッヒ[sachlich]な有り様を探る』(既刊)に続く誠に地味な表題の第二部『「武士道」(矢内原忠雄訳)対「切腹の美学」(矢切止夫)』(執筆中)に続くのは本編『天皇との距離 三島由紀夫の場合』(執筆中)である。
本編の末尾の数行はこうなる。
下腹部に短刀を突き刺してから絶命するまでの僅かな時のいずれかの瞬間、三島は果たして「××した」であろうか。
した、が確信に近い私の推察である。
さて、問題は果たして「末尾」まで辿り着けるか、なのである。人生、一寸先は闇、二十年来翻訳を続けているJOSEPH JOUBERTのCarnets第一巻にこんな断章がある。
知りたいことを学ぶのに私には歳月が必要だった。ところが、知ることを十分語るには若さが必要となるのだ。
J'avois besoin de l'âge pour apprendre ce que je voulois scavoir, et j'aurois besoin de la jeunesse pour bien dire ce que je scais.
(JOSEPH JOUBERT, Carnets, tome I, p.627, 1er juin 1804)
人生の妙と言おうか皮肉と言おうか。とまれ、二十歳の若者にも喜寿の老人にも、残された時間は有限である。二十歳の若者には承服しがたいであろうが、その点では両者の違いはさほどのものではない。「五十年」、喜寿の老人は口をそろえて断ずるだろう、「須臾の間だ」。
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「××した」に当てはまる漢字二字、誰もが容易に思い当たるような二字であれば、私が『天皇との距離 三島由紀夫の場合』を書くには及ばないことになる。
(了)
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