最初に相談した弁護士さんは、警察の言うことを電話で聞き、「息子さん、以前にも傷害事件起こしてるんですね」と言われました。
12月の彼女が出した被害届けの不起訴のものは、書類だけ見ると「傷害事件」ということでしか記載されないのです。警察は以前傷害事件を起こしてるということを弁護士に話したのですが、私とお父さんは、弁護士というのは、弁護を依頼するものの話を聞くべきであって、警察の言うことを鵜呑みにするのは、検察といっしょだ、と思い、その弁護士さんには絶対頼みたくないと思いました。
今、やっていただいている弁護士さんは、息子と同じぐらいの年で、若い弁護士さんですが、本当に一生懸命やってくださって感謝しています。
最初、息子と接見したあと、私たちは始めてその弁護士さんに会ったのですが、「息子さんはほんとに可哀想です。同じぐらいの年だからすごくよくわかります」とおっしゃってくださったとき、本当に信頼できる人だと思いました。
もうひとつの掛け違いは、以前彼女はお母さんに怒られたたかれた時にも、警察を呼んでいるということです。
たぶん不安が絶頂になると警察に頼るという癖のようなものがあった気がします。
パニック障害を持っている人でも病気と懸命に闘っている方もいっぱいいると思いますし、わたしはここで彼女を責めるために書いているわけでもありません。
もう二度と会うこともないけれど、息子がいつも彼女に言っていたように、自分の病気を自分で治そうとする方向に向かっていってほしいと思います。
警察を頼っていてもそれは病気を克服することにはつながらないから。
弁護士さんも最初の接見をした当番弁護士さんも「たぶん不起訴か、悪くても略式起訴だから、8月の半ばには出られるでしょう」と言いましたが、検察は息子を起訴しました。
ここで弁護士さんはかなり怒り、なんで起訴なんだと言ってました。
わたしたちもなんで起訴されるかもわからなかったし、起訴状はものすごく事件からかけ離れた一般的なものでした。
「恋愛感情が満たされないための怨恨、義務の無い要求を反復して行い、被害者を不安に落とし入れるため・・・」
なんじゃこりゃあ?というような起訴状でした。
メールの文章も脅迫しているようなものは一切なかったです。
息子には頻繁に会いにお父さんと行きました。
ドラマで見るのと同じ、ガラス越しの面会。
差し入れの本はしおりの紐も切られます。
ホリエモンも読んだ「沈まぬ太陽」を全巻差し入れました。あれは虐げられたときに読むととても勇気が出る小説です。
コミックも「のだめカンタービレ」や「ドラえもん」を差し入れました。
息子はドラえもん大好き人間だったので・・・
家や会社にいると落ち込みましたが、息子に会うと留置場のなかにいても、しっかりとしていたし、思ったより元気だったので救われました。
そして、面会にいってくれた息子の友だち、手紙や面会で励ましてくれていた会社のみんな、わたしのお姉さんたち、メールではげましてくれた私の友だち・・・・
みなさんに本当に支えられました。
買い物にいって、流れていたミスチルの歌を聴いていたら涙もいっぱい出ました。
暑い夏、息子は裁判が決まって裁判所の近くの拘置所に移送されました。
家からそんなに離れていないのに、何十年も住んでいたのに、こんなところに拘置所があったことさえ知りませんでした。
そのぐらい町のなかのまるで隠された番外地のような塀に囲まれた古い建物でした。
息子が拘置所に移った日、面会に行くと「留置場はお弁当ばっかりだったけど、ここは服役した人が作ってくれてる食事だからあったかいんだよ。お昼に久しぶりにあったかいおそば食べた・・・すげえうまかった」と笑ってました。
ああ、息子はきっとどんなところでも強く生きていかれるなあ、と半分あきれながら、それでもわたしはうれしかったんです。
わたしたち家族はたぶんロックンローラー気質なのだと思います。
反抗心が強いんだと。そして1月に亡くなった義父も、最期までロックンローラーだったから、たぶんじいちゃん似なんだとも思いました。
息子は山のような本を読んでいた毎日でした。
というか、本を読むぐらいしかできないし、あとは手紙ももらいましたし、長女もわたしもたくさん手紙を書きました。
面会ではうしろに監視の人がいるので、あまり過激に話はできません。どんなこともメモされています。
それでもお父さんは時々、「こんな国家権力ととことん闘え!」と学生運動のリーダーみたいなこと?言ってましたが・・・・
この悪夢が始まってからの我が家の家訓がふたつ増えました。
「転んでもただでは起きるな!」
「君子あやうきに近寄らず」
お父さんはそれからよくこの家訓を言ってます。
1回目の公判は勾留中でした。息子は起訴事実を否認しました。
否認すればまた勾留です。
これは周防監督の映画でもリアルに描かれていましたし、植草さんの長い勾留でもそうでした。
メール4通で勾留70日は、漫画みたいにひどいです。でも現実でした。
弁護士さんは何度も保釈請求を出してくれましたが、そのたびに却下されました。
理由はストーカーは相手に危害を加える恐れがあるからという、これも一般的な理由でした、これが現実でした。
続きまた書きます。
12月の彼女が出した被害届けの不起訴のものは、書類だけ見ると「傷害事件」ということでしか記載されないのです。警察は以前傷害事件を起こしてるということを弁護士に話したのですが、私とお父さんは、弁護士というのは、弁護を依頼するものの話を聞くべきであって、警察の言うことを鵜呑みにするのは、検察といっしょだ、と思い、その弁護士さんには絶対頼みたくないと思いました。
今、やっていただいている弁護士さんは、息子と同じぐらいの年で、若い弁護士さんですが、本当に一生懸命やってくださって感謝しています。
最初、息子と接見したあと、私たちは始めてその弁護士さんに会ったのですが、「息子さんはほんとに可哀想です。同じぐらいの年だからすごくよくわかります」とおっしゃってくださったとき、本当に信頼できる人だと思いました。
もうひとつの掛け違いは、以前彼女はお母さんに怒られたたかれた時にも、警察を呼んでいるということです。
たぶん不安が絶頂になると警察に頼るという癖のようなものがあった気がします。
パニック障害を持っている人でも病気と懸命に闘っている方もいっぱいいると思いますし、わたしはここで彼女を責めるために書いているわけでもありません。
もう二度と会うこともないけれど、息子がいつも彼女に言っていたように、自分の病気を自分で治そうとする方向に向かっていってほしいと思います。
警察を頼っていてもそれは病気を克服することにはつながらないから。
弁護士さんも最初の接見をした当番弁護士さんも「たぶん不起訴か、悪くても略式起訴だから、8月の半ばには出られるでしょう」と言いましたが、検察は息子を起訴しました。
ここで弁護士さんはかなり怒り、なんで起訴なんだと言ってました。
わたしたちもなんで起訴されるかもわからなかったし、起訴状はものすごく事件からかけ離れた一般的なものでした。
「恋愛感情が満たされないための怨恨、義務の無い要求を反復して行い、被害者を不安に落とし入れるため・・・」
なんじゃこりゃあ?というような起訴状でした。
メールの文章も脅迫しているようなものは一切なかったです。
息子には頻繁に会いにお父さんと行きました。
ドラマで見るのと同じ、ガラス越しの面会。
差し入れの本はしおりの紐も切られます。
ホリエモンも読んだ「沈まぬ太陽」を全巻差し入れました。あれは虐げられたときに読むととても勇気が出る小説です。
コミックも「のだめカンタービレ」や「ドラえもん」を差し入れました。
息子はドラえもん大好き人間だったので・・・
家や会社にいると落ち込みましたが、息子に会うと留置場のなかにいても、しっかりとしていたし、思ったより元気だったので救われました。
そして、面会にいってくれた息子の友だち、手紙や面会で励ましてくれていた会社のみんな、わたしのお姉さんたち、メールではげましてくれた私の友だち・・・・
みなさんに本当に支えられました。
買い物にいって、流れていたミスチルの歌を聴いていたら涙もいっぱい出ました。
暑い夏、息子は裁判が決まって裁判所の近くの拘置所に移送されました。
家からそんなに離れていないのに、何十年も住んでいたのに、こんなところに拘置所があったことさえ知りませんでした。
そのぐらい町のなかのまるで隠された番外地のような塀に囲まれた古い建物でした。
息子が拘置所に移った日、面会に行くと「留置場はお弁当ばっかりだったけど、ここは服役した人が作ってくれてる食事だからあったかいんだよ。お昼に久しぶりにあったかいおそば食べた・・・すげえうまかった」と笑ってました。
ああ、息子はきっとどんなところでも強く生きていかれるなあ、と半分あきれながら、それでもわたしはうれしかったんです。
わたしたち家族はたぶんロックンローラー気質なのだと思います。
反抗心が強いんだと。そして1月に亡くなった義父も、最期までロックンローラーだったから、たぶんじいちゃん似なんだとも思いました。
息子は山のような本を読んでいた毎日でした。
というか、本を読むぐらいしかできないし、あとは手紙ももらいましたし、長女もわたしもたくさん手紙を書きました。
面会ではうしろに監視の人がいるので、あまり過激に話はできません。どんなこともメモされています。
それでもお父さんは時々、「こんな国家権力ととことん闘え!」と学生運動のリーダーみたいなこと?言ってましたが・・・・
この悪夢が始まってからの我が家の家訓がふたつ増えました。
「転んでもただでは起きるな!」
「君子あやうきに近寄らず」
お父さんはそれからよくこの家訓を言ってます。
1回目の公判は勾留中でした。息子は起訴事実を否認しました。
否認すればまた勾留です。
これは周防監督の映画でもリアルに描かれていましたし、植草さんの長い勾留でもそうでした。
メール4通で勾留70日は、漫画みたいにひどいです。でも現実でした。
弁護士さんは何度も保釈請求を出してくれましたが、そのたびに却下されました。
理由はストーカーは相手に危害を加える恐れがあるからという、これも一般的な理由でした、これが現実でした。
続きまた書きます。