息子が起訴されたときは、ちょうどお盆で終戦記念日の頃でした。
わたしは戦争に兵士として送り出したたくさんの母親の気持ちが痛いほどわかりました。
国家権力という得体の知れないお化けみたいなものに向かって、多くの母親はとても辛い思いや悔しさをぶつけたかったに違いなかったかもしれません。
息子に書いた手紙に「戦場に息子を取られた母親の気持ちがわかる気がする。特攻隊や人間魚雷の犠牲になった息子を持つ母親は死に向かって息子を送り出した哀しみが想像を絶する苦しみだったかもしれない。けれど、おまえは生きるための戦いなのだから、母はまだそういう母親の苦しみには値しません」
と今読むとくすぐったいようなことを真面目に書いてました。
けれど、戦争ということもいつもより重く受け止めた夏でした。
あと不思議な感覚も味わいました。
今、普通に生きて暮らしている日常がものすごく希薄なものになり、現実の希薄さが夏の光のなかで透けてくるような感覚。
けれども音楽や歌や詩、そして本、絵、そういうものの方が、心の中にしっかりとした現実感と悲哀をともなって入ってきたことです。
これが芸術や音楽の力なんだな・・・・と実感できたことです。
ストーカー法という法律はあっという間に議員立法で審議もされないまま多数決できまってしまった法律です。
弁護士さんたちはこの法律の危険さも充分あるので、反対していたそうです。
ストーカー法というのは、恋愛感情が満たされない怨恨からつきまとい等の行為を
身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われた場合に限ります。
息子が相手の名誉や行動の自由を著しく害したことはないし、著しく不安を覚えさせるような方法をとったこともないのに、なぜ警察が逮捕し、またなぜ検察が起訴したのか、わたしたち家族にはまったく理解できませんでした。
ふつうに交際していたものたちのメールでのケンカなのに・・・
ここでもまた掛け違いがありました。
検察に出てきた彼女がかなりの興奮状態にあって、裁判をしろと言ったこと、検察は被害者感情を重視するあまり起訴したのではないかと思います。
1回目の公判から1ヶ月後彼女の証人尋問に彼女は病気を理由に出廷しませんでした。
息子は公判がのびてしまったために、検察が裁判所に保釈するように言ったのではないか?この息子の保釈は理由がよくわからないまま突然決まりました。
そして息子は10月の初めやっと拘置所から出ることができました。
保釈金をかき集め、やっとの思いで払いました。
この保釈金は今の我が家にはほんとに手痛い出費でした。
(裁判が終わると還ってくるお金なので、お父さんは裁判所に利子の無い定期預金したと思えと言いましたが・・・くそーっ)
だけど息子が家に戻れたことは、ほんとうにうれしかった。
今までお父さんと長女と私の三人の食事はなんだかおいしくなくて、みんな食欲も落ちて、三人とも幸か不幸かだいぶ痩せました・・・
(お父さんはお腹が少しへこんで良かった・・)
11月の裁判も彼女は出てきませんでした。
息子は被告人のまま新しい年を迎えました。
1月も彼女は出廷せず、やっと2月に息子から見えないようについたてを立てることで証人尋問が終わりました。
私たち家族は30も過ぎた大人でしかも自分で告訴し、裁判にしろと言うんだったら、正々堂々とついたてなんかに隠れないで出てくるべきだとすごく思いました。
彼女の証人尋問は終始、自分が病気であることを理解しなかったということばかり繰り返していたし、そしてかんじんな所では覚えてませんと政治家みたいなはぐらかし方で、聞いていて少し腹が立ちました。
なぜこんなに話せる人が病気を理由に何度も何度も出廷しないで、裁判をのばしてきたのか?まったくわかりませんでした。
裁判というものはまるで数学です。
法律という線に触れたか、触れないか、そういう一点だけで有罪か無罪かが決まってしまうんだということを、初めて裁判を経験してわかりました。
これからはじまる裁判員制度で、一般の人間は法律の専門家ではないから、少しは人間の血が通った裁判になるのでしょうか?
それはよくわかりませんが。
今の日本の裁判は99.9%が有罪になります。
そして地方裁判所では無罪はほとんど出ないという現実も弁護士さんから聞かされました。控訴したら長い時間とお金と労力がかかり、精神的に辛い時間です。
かりに無罪になっても、検察はほとんど控訴します。
これもおかしな話です。
日本の司法はどこかおかしい・・・そしてこういうことは当事者になって初めてわかることなので、今までわたしたち家族もまったく知らないことばかりでした。
息子が勾留されている間にも、鹿児島の事件があったり、無実の人が3年も服役させられていたり、信じがたい許しがたいような事件がありました。
痴漢の冤罪で苦しめられている人も今もきっとたくさんいるだろうと思います。
そういう時、もう少し警察がきちんと捜査してたら、とか検察がもっと起訴するかどうかを慎重に決める機関だったらとか、切実に思います。
息子が留置場に入っていたとき、小さい部屋に4人押し込められていたと言いました。寝るのにたたみ一畳のスペースがやっとぐらいだと・・・・
なぜそんなに簡単に検挙するのか?
担当の刑事は「3日も寝ていない」と言っていたたとか・・・
忙しいことを理由にしないで、国家権力を行使する力を持った人間がもう少しきちんとした捜査を、国民の為にしてほしいと私は思います。
だってあんたらの給料は税金だよ!
わたしたちが必死で働いて納めた税金なんだよ!
そう考えたら家に5人も家宅捜索にくる刑事の給料を考えたら、かなりの税金の無駄遣いだよ。
持ってったものが携帯電話1台なんだから、ひとりで充分でしょ!
とそんなことも腹が立ったのでした。
続きます。
わたしは戦争に兵士として送り出したたくさんの母親の気持ちが痛いほどわかりました。
国家権力という得体の知れないお化けみたいなものに向かって、多くの母親はとても辛い思いや悔しさをぶつけたかったに違いなかったかもしれません。
息子に書いた手紙に「戦場に息子を取られた母親の気持ちがわかる気がする。特攻隊や人間魚雷の犠牲になった息子を持つ母親は死に向かって息子を送り出した哀しみが想像を絶する苦しみだったかもしれない。けれど、おまえは生きるための戦いなのだから、母はまだそういう母親の苦しみには値しません」
と今読むとくすぐったいようなことを真面目に書いてました。
けれど、戦争ということもいつもより重く受け止めた夏でした。
あと不思議な感覚も味わいました。
今、普通に生きて暮らしている日常がものすごく希薄なものになり、現実の希薄さが夏の光のなかで透けてくるような感覚。
けれども音楽や歌や詩、そして本、絵、そういうものの方が、心の中にしっかりとした現実感と悲哀をともなって入ってきたことです。
これが芸術や音楽の力なんだな・・・・と実感できたことです。
ストーカー法という法律はあっという間に議員立法で審議もされないまま多数決できまってしまった法律です。
弁護士さんたちはこの法律の危険さも充分あるので、反対していたそうです。
ストーカー法というのは、恋愛感情が満たされない怨恨からつきまとい等の行為を
身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われた場合に限ります。
息子が相手の名誉や行動の自由を著しく害したことはないし、著しく不安を覚えさせるような方法をとったこともないのに、なぜ警察が逮捕し、またなぜ検察が起訴したのか、わたしたち家族にはまったく理解できませんでした。
ふつうに交際していたものたちのメールでのケンカなのに・・・
ここでもまた掛け違いがありました。
検察に出てきた彼女がかなりの興奮状態にあって、裁判をしろと言ったこと、検察は被害者感情を重視するあまり起訴したのではないかと思います。
1回目の公判から1ヶ月後彼女の証人尋問に彼女は病気を理由に出廷しませんでした。
息子は公判がのびてしまったために、検察が裁判所に保釈するように言ったのではないか?この息子の保釈は理由がよくわからないまま突然決まりました。
そして息子は10月の初めやっと拘置所から出ることができました。
保釈金をかき集め、やっとの思いで払いました。
この保釈金は今の我が家にはほんとに手痛い出費でした。
(裁判が終わると還ってくるお金なので、お父さんは裁判所に利子の無い定期預金したと思えと言いましたが・・・くそーっ)
だけど息子が家に戻れたことは、ほんとうにうれしかった。
今までお父さんと長女と私の三人の食事はなんだかおいしくなくて、みんな食欲も落ちて、三人とも幸か不幸かだいぶ痩せました・・・
(お父さんはお腹が少しへこんで良かった・・)
11月の裁判も彼女は出てきませんでした。
息子は被告人のまま新しい年を迎えました。
1月も彼女は出廷せず、やっと2月に息子から見えないようについたてを立てることで証人尋問が終わりました。
私たち家族は30も過ぎた大人でしかも自分で告訴し、裁判にしろと言うんだったら、正々堂々とついたてなんかに隠れないで出てくるべきだとすごく思いました。
彼女の証人尋問は終始、自分が病気であることを理解しなかったということばかり繰り返していたし、そしてかんじんな所では覚えてませんと政治家みたいなはぐらかし方で、聞いていて少し腹が立ちました。
なぜこんなに話せる人が病気を理由に何度も何度も出廷しないで、裁判をのばしてきたのか?まったくわかりませんでした。
裁判というものはまるで数学です。
法律という線に触れたか、触れないか、そういう一点だけで有罪か無罪かが決まってしまうんだということを、初めて裁判を経験してわかりました。
これからはじまる裁判員制度で、一般の人間は法律の専門家ではないから、少しは人間の血が通った裁判になるのでしょうか?
それはよくわかりませんが。
今の日本の裁判は99.9%が有罪になります。
そして地方裁判所では無罪はほとんど出ないという現実も弁護士さんから聞かされました。控訴したら長い時間とお金と労力がかかり、精神的に辛い時間です。
かりに無罪になっても、検察はほとんど控訴します。
これもおかしな話です。
日本の司法はどこかおかしい・・・そしてこういうことは当事者になって初めてわかることなので、今までわたしたち家族もまったく知らないことばかりでした。
息子が勾留されている間にも、鹿児島の事件があったり、無実の人が3年も服役させられていたり、信じがたい許しがたいような事件がありました。
痴漢の冤罪で苦しめられている人も今もきっとたくさんいるだろうと思います。
そういう時、もう少し警察がきちんと捜査してたら、とか検察がもっと起訴するかどうかを慎重に決める機関だったらとか、切実に思います。
息子が留置場に入っていたとき、小さい部屋に4人押し込められていたと言いました。寝るのにたたみ一畳のスペースがやっとぐらいだと・・・・
なぜそんなに簡単に検挙するのか?
担当の刑事は「3日も寝ていない」と言っていたたとか・・・
忙しいことを理由にしないで、国家権力を行使する力を持った人間がもう少しきちんとした捜査を、国民の為にしてほしいと私は思います。
だってあんたらの給料は税金だよ!
わたしたちが必死で働いて納めた税金なんだよ!
そう考えたら家に5人も家宅捜索にくる刑事の給料を考えたら、かなりの税金の無駄遣いだよ。
持ってったものが携帯電話1台なんだから、ひとりで充分でしょ!
とそんなことも腹が立ったのでした。
続きます。