S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

置き去りにされたもの

2008-03-25 16:44:46 | Weblog
40年もの間、無罪を主張し続けてきた「袴田事件」。

再審請求を最高裁抗告棄却。
いったいなんで?と思う。

この事件を担当した元裁判官が「無罪の心象だった」と発言し、死刑囚に面会を求め、今その裁判官だった人は袴田死刑囚を救おうとしているにもかかわらず、再審されない。

裁判官も人。人が人を裁くのだから間違いがないなどということはないのだ。

もし袴田死刑囚が本当に犯人でなかったら最高裁の裁判官は殺人者になる。

この事件をいろいろ知るとどこかおかしい・・・ということに気づく。
なぜ再審しないのか、
胸が痛くなる。

もう40年も勾留されている袴田死刑囚は今は精神の異常をきたしていて、幻想の世界で生きているという。


死刑囚というのは、刑務所には入らない。拘置所に収容される。
刑務所は社会にまた出る人のためで、いろんな仕事をして1日を過ごす。
けれど死刑囚も、そしてまだ裁判が始まらない、または裁判中の人は1日中、何もなく小さな部屋に勾留されるだけだ。

そういう場所に40年もいたら誰だって精神はぼろぼろになる。
しかもその人がもし冤罪だったら、想像を絶する苦しみだ。

わたしも息子が勾留されていろんなことを知った。
拘置所は身体を横にしてもいけないし、壁に寄りかかってもいけない、小さな机の前で本を読むか、ものを書くかしかないのだ。
もちろん腕立て伏せやそういうこともしてはいけない。


息子は帝国主義の日本にタイムスリップしたみたいだった・・と言ったけれど、たぶんそこでは時間は流れるというよりは固定された石のようになって、転がっているのだろうか。

確かにまだこの国は帝国主義のまま、どこか置き去りにされたままの得体の知れない何かがある。
それはとてもおそろしいことだ。


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