S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

迷路みたいな孤独な社会。

2008-03-26 16:38:54 | Weblog
ボードレールの「悪の華」の詩の一節

 われ、傷にして刀なり
 掌にして打たるる頬なり
 四肢にして拷問車
 死刑の囚徒かつ刑吏なり
 われ、わが心の吸血鬼・・

きのう新聞で辺見庸さんも引用していた。人はもともと一身に対立する両義をそなえたもので、半身ではなごやかな笑みをふりまき、もう半身は人を陰湿にいたぶる。と

「誰でもよかった、人を殺したかった」という動機で、無差別に見ず知らずの人をも殺してしまう、一様に彼らの表情はどこか無表情なスイッチを切られた生き物のようにテレビに映った。きのうも線路に突き落とされ亡くなった人がいて・・・

こんな事件ばかりが毎日起きる。
誰でもよかった・・というのは何に対する憎しみなのだろう、
何に対して激しい憎悪を持っていたのだろう、
それとも憎しみとは異質な深い穴のようなものなのか?

打っても殴ってもむなしい闇のような社会に漠然と黒い雲のようにもくもくと大きく膨れ上がる不安が、背中を寒くさせる。

人はどうしてこんなにも正反対の両義を運命のように心の中に持っているのだろうかと、人の心の難しさが永遠にたどりつけない迷路のようにのびているのを感じる。

何か少年が事件を起こすと、みんな家庭環境を口にするけれど、特別変わった家庭とは言えないし、特別貧しいということもなくて、家族がいて普通に暮らしていたのだと思う。
そして子どもを育てることは、そんなに難しいことなのだろうか?
そんなに神経を尖らせ子どもを育てなくてはいけないのだろうか?
わからなくなる。

けれど、原因は家庭だけではないような気がする。

今の日本はとくに小泉政権からは弱者と呼ばれる障害者、老人、そういう人たちにとても冷たい国になったことをわたしはすごく感じる。

こういう社会から生まれるものって、弱者に目を向けない、他人に無関心、自分だけが神様・・・・

大人以上に子どもたちは、敏感にそれを察知して自分を守ろうとする意識がバリケードのようにはりめぐらされる。
子どもを守ってやらなければいけない大人の社会が、他人をかまってやる余裕もない社会に変化して、子供たちもそんな大人社会の相似形のような世界を形成して、子どもはますます孤独になっていく。
自殺してしまう子どもも多いし、大人だって自殺者が多いという日本。

人を傷つけても自分の世界を守ろうとする。

大人だってそんなふうに生きはじめているのが現代の日本のような気がする。


野良猫ちゃんたちはすごいんだよ!

自分がおなかすいていても、独り占めはしない。
みんなで分け合って食べてる。

野良ちゃんたちは泣きたいほどけなげです。
これがほんとの社会だよ・・・・