S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

念死・・ということ。

2009-11-21 16:26:13 | Weblog
一日クロスウォーカーパンツを穿いていたお父さんは、夜、「ああ、このパンツ早く脱ぎてえ・・」とつぶやいた・・(大笑いでーす)
かなりきつかったらしい・・・
っということは、効果有りとみた。


仕事で行ったお寺の和尚さんといろんな話をした。
和尚さんは浄土宗のお寺なので、浄土宗の話などもしてくれた。

「念死念佛」ということば、死を想い、仏を想うということ。
死を想う心を持っている人は、自ら死を選ぶのではなく、それを乗りこえようとするということ。

そして、沖縄では、中学生が同級生8人もに殺された。
おじいさんやおばあさんが亡くなっていく姿を子どもには側で見守らせなければ、念死のこころはわからない・・と和尚さんは言った。
そういう人間の死にゆく姿をきちんと見た子どもは、人の命も大切にすると。

藤原新也さんの写真でも「メメント・モリ(死を想え)」というのがある。

人間は「生まれ落ちる」ということばがあるように、悟りの世界から落ちたものだから、生まれてから一生懸命生きて、高みに昇ろうと努力していかなければいけないこと。

お釈迦様が7歩歩いて立ったのは、自分の存在には父がいて母がいて、父方の祖父、祖母がいて、母方の祖父、祖母がいて自分の存在は7歩目だということ。

和尚さんの話は、仏教用語がでてくるので、とてもむずかしいけれど、でもひとつひとつ話してくれるので、わたしにはとてもおもしろい。

帰り際に和尚さんが「亡くなったあんたのお父さんは、とてもおもしろい男だったよ」と言った。
それは、わたしにとってとてもうれしいことだった。
父が亡くなって7年になる。和尚さんと父の話をしばらくした。

上から見ていて、笑っていそうだった。


話は違うけど、ぷっちょのストラップ欲しいなあ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする