S家の別宅

夫婦ふたりきりになりました。ふたりの生活をこれから楽しみたいなと思います。

「それでもボクはストーカーなんかじゃない!」その4

2008-03-15 16:35:45 | Weblog
土井さんがスペースシャトルで宇宙からの声。

人類が宇宙ステーションを造っている21世紀の現代にも、地球という小さな星のたくさんの国のなかでいろんな不合理なことが起き、また戦争や内紛、そして政治、思想そういうことからも、虐げられている人たちは、いつの時代も変わらずにいる。

きょうの新聞でも治安維持法で苦しめられた遺族の方たちに、最高裁は「無罪」という判決ではなく、もう済んだこととして処理した。
誰が作った法なのか?それは国がつくった法律ではないか。

そのあやまちをきちんと見つめて未来に向かっていかなければ何も昔と変わらない国のままだ。


息子は相手の証人尋問が済んで、3月3日に被告人尋問を初めてした。
裁判を傍聴してくれたわたしの姉も「いったい何の裁判なのかさっぱりわからないよ、ばからしい」と言っていました。

確かになんだかばかみたいな裁判をしかめ面してしているわけで・・・・ある意味漫画の世界みたいです。

裁判を担当の刑事はいつも傍聴にきていますが、わたしもお父さんも長女も見てみぬふりをしています。
目が合ったら火花が散りそうだし・・・・


息子は一気にしゃべりまくりました。ずっとたまっていたたくさんの思いが山のようにあったんだろうと思います。
しゃべりすぎて時間がなくなり、検察の尋問は3月10日にまたありました。

検察も裁判官も最初からもう犯罪者と見ているような質問に愕然としました。

日本の裁判の有罪率が99.9%になる理由がよくわかりました。
法に触れているのを立証するために言葉のあげあしをとるように執拗に聞いてきます。法に触れていることだけを何が何でも立証させようというのがよーくわかります。
息子が心の中で怒り、おとなしくしていられないのもすごくわかります。


5回目の公判は4月の終わりにあります。

無罪を地裁で勝ち取るのは、鼻から入れる胃カメラを毛穴から通すぐらい確立が低いです。(たとえが悪い・・・)


わたしは、息子のような思いをする人がまた出てきては絶対にいけないと思います。植草さんの本のなかにもあったけれど、普通に暮らしている人間がある日突然刑事事件の犯人になってしまうこの国は間違っているし、治安維持法の頃と何も変わってはいないと思います。

わたしたち家族はまだこの先、闘いは続きますが、これを読んでくださった方々はどう思われたでしょうか?



だけど、息子は留置場や拘置所のなかでも、同じ部屋の人、看守さんたち、拘置所の職員の人とも話ができ、たくさんの本を読み、新聞も隅から隅まで読み、今まで何気なく暮らしていた日常からいきなり自由のない生活を経験し、それなりに、少し成長した?かもしれません。

お父さんは「おまえはお金出しても経験できないような経験をしたんだから、それを自分のこれからに活かせ」とまたまた学生運動のリーダーの父みたいなことを言ってます。

わたしたち家族はきっとこれから人を偏見の目では絶対見ない人間になると思います。それはある意味、警察や、検察や、裁判官より人間としてしあわせな生き方かもしれません。


ここでひとまず悪夢のことは大体書きました。

また心機一転です。
きょうはぽかぽかお天気で、あたたかい日。

有罪になろうが、無罪になろうが、これからも前を向いて生きていかなきゃいけないんだから・・・
これは最近の息子の言葉です。
わたしもそう思います。

1月に亡くなった義父は、「悪いことばかりが続くわけはないし、いいことばかり続くわけもない」と手紙で言ってました。
でも死を前にしたじいちゃんは、死というものしか目の前になかったのに、こういうふうに言えることはほんとうにすごいな、と思います。



「それでもボクはストーカーなんかじゃない!」その3

2008-03-14 16:43:50 | Weblog
息子が起訴されたときは、ちょうどお盆で終戦記念日の頃でした。

わたしは戦争に兵士として送り出したたくさんの母親の気持ちが痛いほどわかりました。
国家権力という得体の知れないお化けみたいなものに向かって、多くの母親はとても辛い思いや悔しさをぶつけたかったに違いなかったかもしれません。

息子に書いた手紙に「戦場に息子を取られた母親の気持ちがわかる気がする。特攻隊や人間魚雷の犠牲になった息子を持つ母親は死に向かって息子を送り出した哀しみが想像を絶する苦しみだったかもしれない。けれど、おまえは生きるための戦いなのだから、母はまだそういう母親の苦しみには値しません」

と今読むとくすぐったいようなことを真面目に書いてました。

けれど、戦争ということもいつもより重く受け止めた夏でした。

あと不思議な感覚も味わいました。
今、普通に生きて暮らしている日常がものすごく希薄なものになり、現実の希薄さが夏の光のなかで透けてくるような感覚。

けれども音楽や歌や詩、そして本、絵、そういうものの方が、心の中にしっかりとした現実感と悲哀をともなって入ってきたことです。

これが芸術や音楽の力なんだな・・・・と実感できたことです。


ストーカー法という法律はあっという間に議員立法で審議もされないまま多数決できまってしまった法律です。
弁護士さんたちはこの法律の危険さも充分あるので、反対していたそうです。

ストーカー法というのは、恋愛感情が満たされない怨恨からつきまとい等の行為を
身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われた場合に限ります。

息子が相手の名誉や行動の自由を著しく害したことはないし、著しく不安を覚えさせるような方法をとったこともないのに、なぜ警察が逮捕し、またなぜ検察が起訴したのか、わたしたち家族にはまったく理解できませんでした。

ふつうに交際していたものたちのメールでのケンカなのに・・・

ここでもまた掛け違いがありました。

検察に出てきた彼女がかなりの興奮状態にあって、裁判をしろと言ったこと、検察は被害者感情を重視するあまり起訴したのではないかと思います。

1回目の公判から1ヶ月後彼女の証人尋問に彼女は病気を理由に出廷しませんでした。
息子は公判がのびてしまったために、検察が裁判所に保釈するように言ったのではないか?この息子の保釈は理由がよくわからないまま突然決まりました。


そして息子は10月の初めやっと拘置所から出ることができました。
保釈金をかき集め、やっとの思いで払いました。
この保釈金は今の我が家にはほんとに手痛い出費でした。
(裁判が終わると還ってくるお金なので、お父さんは裁判所に利子の無い定期預金したと思えと言いましたが・・・くそーっ)

だけど息子が家に戻れたことは、ほんとうにうれしかった。
今までお父さんと長女と私の三人の食事はなんだかおいしくなくて、みんな食欲も落ちて、三人とも幸か不幸かだいぶ痩せました・・・
(お父さんはお腹が少しへこんで良かった・・)

11月の裁判も彼女は出てきませんでした。

息子は被告人のまま新しい年を迎えました。

1月も彼女は出廷せず、やっと2月に息子から見えないようについたてを立てることで証人尋問が終わりました。

私たち家族は30も過ぎた大人でしかも自分で告訴し、裁判にしろと言うんだったら、正々堂々とついたてなんかに隠れないで出てくるべきだとすごく思いました。

彼女の証人尋問は終始、自分が病気であることを理解しなかったということばかり繰り返していたし、そしてかんじんな所では覚えてませんと政治家みたいなはぐらかし方で、聞いていて少し腹が立ちました。


なぜこんなに話せる人が病気を理由に何度も何度も出廷しないで、裁判をのばしてきたのか?まったくわかりませんでした。


裁判というものはまるで数学です。

法律という線に触れたか、触れないか、そういう一点だけで有罪か無罪かが決まってしまうんだということを、初めて裁判を経験してわかりました。

これからはじまる裁判員制度で、一般の人間は法律の専門家ではないから、少しは人間の血が通った裁判になるのでしょうか?
それはよくわかりませんが。

今の日本の裁判は99.9%が有罪になります。
そして地方裁判所では無罪はほとんど出ないという現実も弁護士さんから聞かされました。控訴したら長い時間とお金と労力がかかり、精神的に辛い時間です。
かりに無罪になっても、検察はほとんど控訴します。
これもおかしな話です。
日本の司法はどこかおかしい・・・そしてこういうことは当事者になって初めてわかることなので、今までわたしたち家族もまったく知らないことばかりでした。

息子が勾留されている間にも、鹿児島の事件があったり、無実の人が3年も服役させられていたり、信じがたい許しがたいような事件がありました。

痴漢の冤罪で苦しめられている人も今もきっとたくさんいるだろうと思います。

そういう時、もう少し警察がきちんと捜査してたら、とか検察がもっと起訴するかどうかを慎重に決める機関だったらとか、切実に思います。


息子が留置場に入っていたとき、小さい部屋に4人押し込められていたと言いました。寝るのにたたみ一畳のスペースがやっとぐらいだと・・・・
なぜそんなに簡単に検挙するのか?

担当の刑事は「3日も寝ていない」と言っていたたとか・・・
忙しいことを理由にしないで、国家権力を行使する力を持った人間がもう少しきちんとした捜査を、国民の為にしてほしいと私は思います。

だってあんたらの給料は税金だよ!
わたしたちが必死で働いて納めた税金なんだよ!

そう考えたら家に5人も家宅捜索にくる刑事の給料を考えたら、かなりの税金の無駄遣いだよ。
持ってったものが携帯電話1台なんだから、ひとりで充分でしょ!

とそんなことも腹が立ったのでした。

続きます。

「それでもボクはストーカーなんかじゃない!」その2

2008-03-13 16:43:19 | Weblog
最初に相談した弁護士さんは、警察の言うことを電話で聞き、「息子さん、以前にも傷害事件起こしてるんですね」と言われました。

12月の彼女が出した被害届けの不起訴のものは、書類だけ見ると「傷害事件」ということでしか記載されないのです。警察は以前傷害事件を起こしてるということを弁護士に話したのですが、私とお父さんは、弁護士というのは、弁護を依頼するものの話を聞くべきであって、警察の言うことを鵜呑みにするのは、検察といっしょだ、と思い、その弁護士さんには絶対頼みたくないと思いました。

今、やっていただいている弁護士さんは、息子と同じぐらいの年で、若い弁護士さんですが、本当に一生懸命やってくださって感謝しています。
最初、息子と接見したあと、私たちは始めてその弁護士さんに会ったのですが、「息子さんはほんとに可哀想です。同じぐらいの年だからすごくよくわかります」とおっしゃってくださったとき、本当に信頼できる人だと思いました。


もうひとつの掛け違いは、以前彼女はお母さんに怒られたたかれた時にも、警察を呼んでいるということです。
たぶん不安が絶頂になると警察に頼るという癖のようなものがあった気がします。
パニック障害を持っている人でも病気と懸命に闘っている方もいっぱいいると思いますし、わたしはここで彼女を責めるために書いているわけでもありません。


もう二度と会うこともないけれど、息子がいつも彼女に言っていたように、自分の病気を自分で治そうとする方向に向かっていってほしいと思います。

警察を頼っていてもそれは病気を克服することにはつながらないから。


弁護士さんも最初の接見をした当番弁護士さんも「たぶん不起訴か、悪くても略式起訴だから、8月の半ばには出られるでしょう」と言いましたが、検察は息子を起訴しました。
ここで弁護士さんはかなり怒り、なんで起訴なんだと言ってました。

わたしたちもなんで起訴されるかもわからなかったし、起訴状はものすごく事件からかけ離れた一般的なものでした。
「恋愛感情が満たされないための怨恨、義務の無い要求を反復して行い、被害者を不安に落とし入れるため・・・」
なんじゃこりゃあ?というような起訴状でした。

メールの文章も脅迫しているようなものは一切なかったです。


息子には頻繁に会いにお父さんと行きました。

ドラマで見るのと同じ、ガラス越しの面会。

差し入れの本はしおりの紐も切られます。
ホリエモンも読んだ「沈まぬ太陽」を全巻差し入れました。あれは虐げられたときに読むととても勇気が出る小説です。
コミックも「のだめカンタービレ」や「ドラえもん」を差し入れました。
息子はドラえもん大好き人間だったので・・・

家や会社にいると落ち込みましたが、息子に会うと留置場のなかにいても、しっかりとしていたし、思ったより元気だったので救われました。
そして、面会にいってくれた息子の友だち、手紙や面会で励ましてくれていた会社のみんな、わたしのお姉さんたち、メールではげましてくれた私の友だち・・・・

みなさんに本当に支えられました。

買い物にいって、流れていたミスチルの歌を聴いていたら涙もいっぱい出ました。

暑い夏、息子は裁判が決まって裁判所の近くの拘置所に移送されました。
家からそんなに離れていないのに、何十年も住んでいたのに、こんなところに拘置所があったことさえ知りませんでした。
そのぐらい町のなかのまるで隠された番外地のような塀に囲まれた古い建物でした。

息子が拘置所に移った日、面会に行くと「留置場はお弁当ばっかりだったけど、ここは服役した人が作ってくれてる食事だからあったかいんだよ。お昼に久しぶりにあったかいおそば食べた・・・すげえうまかった」と笑ってました。

ああ、息子はきっとどんなところでも強く生きていかれるなあ、と半分あきれながら、それでもわたしはうれしかったんです。

わたしたち家族はたぶんロックンローラー気質なのだと思います。
反抗心が強いんだと。そして1月に亡くなった義父も、最期までロックンローラーだったから、たぶんじいちゃん似なんだとも思いました。

息子は山のような本を読んでいた毎日でした。
というか、本を読むぐらいしかできないし、あとは手紙ももらいましたし、長女もわたしもたくさん手紙を書きました。

面会ではうしろに監視の人がいるので、あまり過激に話はできません。どんなこともメモされています。
それでもお父さんは時々、「こんな国家権力ととことん闘え!」と学生運動のリーダーみたいなこと?言ってましたが・・・・


この悪夢が始まってからの我が家の家訓がふたつ増えました。
「転んでもただでは起きるな!」
「君子あやうきに近寄らず」
お父さんはそれからよくこの家訓を言ってます。

1回目の公判は勾留中でした。息子は起訴事実を否認しました。
否認すればまた勾留です。
これは周防監督の映画でもリアルに描かれていましたし、植草さんの長い勾留でもそうでした。

メール4通で勾留70日は、漫画みたいにひどいです。でも現実でした。
弁護士さんは何度も保釈請求を出してくれましたが、そのたびに却下されました。
理由はストーカーは相手に危害を加える恐れがあるからという、これも一般的な理由でした、これが現実でした。

続きまた書きます。


「それでもボクはストーカーなんかじゃない!」その1

2008-03-12 17:09:20 | Weblog
私たち家族が去年の7月から、悪夢のような現実のうずのなかに叩き込まれ、苦しみ、もがき、それでも時にはかすかな光を求めて、どうしようもない苦悩を舐めてきたことをここに書き記そうと思います。

今まで書けなかったのは、なかなか裁判が始まらなかったからです。

3月10日息子は2回目の被告人尋問を終えました。

事件は去年の7月の26日の朝から始まりました。

いきなり朝6時ごろ、刑事が5人で家に入ってきました。
「ストーカー容疑で家宅捜索する」と言われ家中押入れの中まで布団を出して息子の部屋をぜんぶ引き出しのものを出して、調べられました。
そうじをしない息子の部屋は、家宅捜索で逆にきれいにはなったのがおかしかったですが・・・
わたしたちの部屋も娘の部屋も写真をとられ、山のような本も何を読んでいるかまで?見られ、台所まで写真とられました。(何の意味があるんか?)

結局、何も持っていくものがなく、息子の携帯電話だけを証拠として持って行き、そしてそのまま息子は逮捕されてしまい、それから70日間、留置場、拘置所に勾留されました。
今の日本の司法は「やってない」と言い、否認すればけして出してはもらえません。(これを人質司法と呼ぶ日本独自の方法であることを弁護士さんから聞きました)
たぶん「それでもボクはやってない」の映画を見た人はわかると思いますが・・・


息子はおととしの10月ごろから交際している人がいて、彼女はうつ病、パニック障害を持っていました。
むすかしい病気を持つ人との交際はとても大変なのだからと私たち家族は心配していました。

家にも2回ほど泊まりにきていますが、初めてきたときも、息子より4つも年が上なのに、あまりきちんと挨拶もしない彼女を家族はなんだか変な人という印象が一番大きかったと思います。話をするにも目を合わさないので、印象がすごく普通でなかったのです。

息子から病気のことを聞いたときは、交際に反対しましたが、もう大人なので、自分で努力するしかないとも思いました。

彼女はとにかく感情の起伏がものすごく激しいひとで、息子はそれにうまく対応できず、けんかもあったようですが、12月車のなかで言い合いになり、彼女が走っている車から飛び降りようとしたので息子はあわてて止め、その時胸の辺りをぼんと殴ったということで、パニック障害の発作が起き、彼女が「警察呼んで」としか言わないので、息子は警察に電話しました。

そのことで、被害届けを出され、1月に「暴行事件」として検察に呼ばれました。

それは彼女が自分で検察に告訴取り下げたので、不起訴になり、検察官から「病気のひとを君はよく支えている。これからもがんばって」と言われたそうです。

ただ私たち家族はそのことで、交際には大反対しました。
それから1ヶ月ほどは息子も連絡をしなかったのですが、彼女から電話がかかってきて、元の彼に復縁をせまったら断られた・・・ということで泣きながら電話してきたので、また会うことになり、交際はまた始まりました。

元の彼という人は結婚するつもりで家を建てたとかで、母親の同居に彼女が話が違うという理由で結婚を断ったということは息子から聞きました。

私たち家族が反対していたのもあって、その後、家には連れてこなくなりました。


6月私が病気で入院しているとき、泊まりのデートの次の日、メールでケンカになったらしく、彼女はそのメールを持って警察に行き、ストーカーとして息子を訴えました。
(その後、彼女の証人尋問では彼女はいつも財布を忘れたと言って、食事代はみんな息子が払っていたので、ケンカになったメールで息子が別れるなら今まで、自分で食べたぶんぐらい返して、と言ったので、お金のことで警察に相談に言ったら、警察がお金は返すな、と言ったと証言しました)

この事件のひどさは、警察が警察署でパニック障害の発作を起こした彼女を一方的に被害者として、むりやり息子をストーカーにしてしまったのでは?という疑問がすごくあります。

ボタンはもう最初から掛け間違えられたという気がします。

わたしが病気で入院しているとき、息子は警察から警告文を受けました。
たぶん心配かけたくなくて黙っていたとは思うのですが、いつも何でも話をし合う家族だったんだからこの時言ってくれたらよかった・・・(ホントに、バカ)
と思ってもあとのまつりでしたが。

普通に交際している人たちが会ったその日にメールでケンカしたものを、なぜ警察はよく調べもせず、一方的に彼女の発作や言い分だけでストーカーと判断したのかも、わたしには警察の怠慢だとしか思えないのです。
相手を待ち伏せしたわけでもなく、住所も知らない、家も知らない、

まだきちんと別れたわけでもなく、そして彼女の電話の最後は「警察にお金のことで相談に行く」というもので、それがいきなりストーカーに入れ替わっていたことで息子は警察によく調べてくれと言いましたが、その時の刑事の言葉は「国家権力に逆らうのか!」ということ。

国家権力は普通に交際しているふたりをいきなり入ってきて切り裂く権力ですか?


息子がおかしい人ではあれ、一生懸命彼女の病気を気づかってもいたし、ケンカしても、自分で治そうと努力してほしいと思っていたし、彼女も治したいと言っていたし・・・
でもこうなった今、彼女は病気を治そうというより、病気をたてにして警察を利用したような気さえしますが。

いきなりぶったぎられたような交際に息子はケジメをつけたくて、警告文から1ヶ月たった頃、彼女が病気が落ち着いた頃をみはからって、最後にきちんと話をしたいというメールを3通送ったら、逮捕されました。


いとも簡単に人を逮捕するのが今の日本の現実でした。

それから「やってない」と言い続けた息子は暑い夏の70日を勾留され続けました。

続きはまた書きます。


春のなかの命。

2008-03-10 16:20:12 | Weblog
春のあたたかさが感じられる日曜日。

久しぶりにブテがやってきた!
生きてたんだね、だいぶ痩せたね、そんな言葉が思わず出てしまった。
ブテは目やにで半分開かないような目をしてた。

それでも元気でよかった・・・・

こだまは今までこたつで寝てばかりいたけれど、いきなり春になり、活動再開した。

大きな鳥を口にくわえて帰ってきたこだまの写メです!

おどろおどろしい・・・・それでもこだまは春になって狩猟本能が出たんだろうと思う。(こわい顔です)


春は光がまぶしくなる反面、いつもわたしはなんだか生命のはかなさや、哀しみをその光のなかで感じてしまいます。

食うものと食われるもの。そしてそれをまた食うもの・・・

こだまは鳥のおなかの部分だけ食いちぎり、少し食べて放ってあって、わたしはその鳥を庭に丁寧に埋めました。

命を引き継いだものは、またそれを糧にして、生きていくんだけれど・・・

こうして小さな命が引き継がれていき、無駄にならないようにと祈りました。


タンタンたぬきの・・・銀行は・・・

2008-03-08 16:57:42 | Weblog
仕事が忙しく、バテぎみです。

去年の後半、会社の売上が悪かったため、12月決算の書類で、銀行はかなり冷たかった・・・

銀行も商売だから、わかるけど、売上がいいときと悪いときでは、手のひらの表と裏ぐらい態度が違う・・・・
会社が悪くなりそうだと、銀行は貸したお金を回収しに走る。会社は悪いから手形貸し付けなんかは、そうそう返せなくなるわけで・・・
そんな時に銀行は突っ込んでくる。

会社がいいときは、銀行は「借りてください、借りてください」と言う。

社長は「銀行はたぬきだ」と常々言っているが、ほんとたぬきのでかい置物でも銀行の玄関において置けばいいと思う。

無駄だとわかってもグリーンジャンボは一応買っておく。

くそっーという勢いで、今年に入ってから営業方法も考え、チラシもパソコンで作り、みんなで必死にがんばってきた。
だからここにきて、仕事が忙しいのはすごくうれしいことなんだけど、かなり疲れてしまった。


先日の総会のあとの2次会でも、零細企業や商店の人はみんな小泉、竹中政策のひどさがお酒が入ると愚痴みたいに出てくる。

どれだけがんばってみんな生きてると思ってるんだ!とあるおじさんが怒った。

詩を書く人はお金持ちはホントいないなあ・・・・


なんとか今年はがんばって売上あげるぞ!



ブテはどうしちゃったんだろう・・・

2008-03-07 16:49:06 | Weblog
なぜ、日銀の総裁に元の財務省の事務次官を政府は指名するのか?

日銀は政府が干渉すべきものではないのに、そういうところまで財務省の事務次官だった人を置くことは本当にいいのだろうか?

おかしな人事は逆立ちしてもやっぱりおかしい。

政治をやったら手を洗わなければならない・・・と言ったのは詩人の鮎川信夫だけど、道路公団の天下り先で、社員の旅行まで道路財源を使っていたというニュースは、わたしたち一般の人間からは想像がつかないくらいきたない!

税金をそうやって使うことは、本当の犯罪だと思う。
公金横領だよ。詐欺だ、ペテン師だ、


ここ10日ほど、見慣れないデカ猫が庭を横切り、愛すべきブテにゃんはまったく姿を見せなくなった・・・

死んじゃったんじゃないだろうか?
病気か?怪我か?
家族みんなは、がに股の、太っ腹の、招き猫みたいにベランダで、部屋のなかを見ていたブテにゃんが来ないと・・・・
淋しい・・・なんだかとても淋しくなる。

またひょっこり、やってこないかなあ、
元気で顔を見せてほしいなあ、

つかの間の休日とりました!

2008-03-06 16:53:18 | Weblog
怒涛のような4日間でした。

日曜日に組織の総会があって、全ての議事を承認してもらって、わたしの事務局の2年間の仕事がようやく終わりました。

ほんとうに大変な仕事でした。
肩の荷がおりたとたん、肩こりがすごくなって頭痛までしてきた。
それでも皆さんに「お疲れ様、ほんとうに大変で、ご苦労様でした」とねぎらっていただき、お酒もがんがん飲まされました。

総会の前日、会員のある方がワインを宅配で送ってくださって、お手紙には「本当にご苦労様でした」とあって、涙が出るほどうれしく、そしてそのワインもすごくおいしくて、土曜日から飲んでいたので、かなりの酒量でした・・・

あとは、引継ぎ会だけです。ばんざーい!終わったよお!


4日は結婚記念日の何年目かもおぼろげなのですが、とにかく結婚記念日だったので、お父さんとふたりで鎌倉、横浜に旅に出ました。

ここのところいろんなことが山のようにあったので、ふたりで少し現実から遊離したかったのもあって・・・・

鎌倉は、お父さんと行ったのは、19歳の時だからふたりで30何年ぶりかで、いっしょに鎌倉を歩きました。

あたたかく梅の花も満開で、気持ちがいいお天気でした。
あの頃いっしょに歩いた場所をこうして何十年もたっていっしょに歩くのは、まるで奇跡のような・・・・すごいことだと思うのです。


夕方横浜に行き、中華街でご飯食べたんだけど、餃子事件の影響か?あんなに人のいない中華街は初めてで、これはいろんなところに影響が出ているなあ・・・

だけど、おいしくいっぱい食べました。

会社を休んできたので、みんなにおみやげも買いました。

楽しく、おいしかった2日でした。

あっ、しあと

2008-03-01 16:43:26 | Weblog
我が家の庭を横切ったりしていく猫たちがいつのまにかたくさんいて、ここのところ見かけない猫が2匹増えた。
2匹ともかなりデカっ!
もう名前をつけるのも大変になってきたので・・・名無しのまま。

2日前にうっすらと雪が積もった朝に猫にゃんのあしあとを撮りました。

肉球というのは、かなり愛すべき形と趣きがあるので、ほほえましいです。

猫ニャンたちにも2月が終わり、3月がやってきました。
やっと少しずつ厳しい冬が終わろうとしているのです。


ニュースで中国のギョーザ会見を見ていて、ずるい国という印象を持った。
日本で手に入らないような農薬での事件なのに、中国は自分の国の非を認めないどころか、二国間で捜査を協力するといったにも関わらず、日本より先にこういう会見を開くことになおさら不信感を抱いた。

「あっしの国じゃあないっす」って言ったって、中国産をもう日本は喜んで会社も消費者も買わないよ。
不信感を払拭することにはならないわけで、結局もっと不信感を増幅させただけだ。

家の会社も中国と取引しているけれど、中国の人はまずあやまるということはほとんどしない。
責任を押し付けられるのを避けるためかもしれないけれど、中国語には「申し訳ありません」というような言葉は存在しないような気がする。

家のお父さん(社長)も、仕事でトラブルがあって、向こうの工場の社長と激しい口論になり、「一歩もこの部屋から出さないぞ!」と脅されたことがあった。

社長も強気の人間なので、絶対引かなかったので、最後は話し合いで合意したからよかったけれど・・・・
まずあやまるということをしない人種だ、と常々言っている。

誠意というのは生きていく上にとても大事なことだと思う。