自走式移動胃袋 ~ The nomadic stomach ~

風林火山・火の章_3: 新潟基点の振り子運動

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一夜明けてですが、午前中は事業所と周辺の被災状況の確認から始まります。
あっ、その前にトイレを借りに近くの高校にクルマでいくのが先でした(笑)

昼は食べられるか不明のため前夜のカレーの残りをいただいてから出発しますが、被災地独特の雰囲気に気持ちが押されます。



撮った写真の大半は事業所が中心なので、公開しても当たり障りのない写真をいくつかご紹介しておきます。
コレは仙台港に「打ち上げられた貨物船」です。 まっすぐに鎮座してますから分かりづらいと思いますが、海上やドックとかではなく埠頭の上にキッチリと乗っかっています。



さて、事業所の周辺を一巡した後は、当社からも出してしまった震災の犠牲者の荼毘に参列します。
実家というか、住まいは仙台から小一時間のトコロにある町ですが、奇跡的に被害が全くないとのことで手続きは円滑に進められているとはいっても、本葬はしばらく後になるとのことでした。
移動にはワシらが乗ってきたマイクロを使うことにしたので事業所のほぼ全員が参加することができまして、ミンナの気持ちも少し収めることができたように思います。

会社からの見舞金をご遺族に渡したり、今後の手続きの説明などをしなければならないのは少々辛いのですが、もちろんお役目ですし、現地の状況を目の当たりにしていればそんなことは言っていられません。
幸いにして…という表現は不適切と思いますが、犠牲者が最小単位で留まったことでホッとしたというのが正直な気持ちです。
あらためまして、ご冥福を祈りたいと思います。

そして、その帰り道に(ワシらの目から見て)奇跡的にやっている飲食店でミンナで昼食をとることができました
仙台港近くに戻り、朝とは別のエリアの被災状況の確認にまわります。



港にほど近い新興住宅地は上から下までひっくり返っていますが、津波というか津波で運ばれたクルマなどの打撃から免れた家はほぼ原型をとどめています。
でも、まあ…なんともコメントがしづらい光景です。



最後にご紹介するのは、セーカクにはこの巡ではない次の訪問時に撮った写真ですが、仙台港の近くにある被災した小学校です。
地震から津波までは1時間くらいあったので、キッチリと逃げ切っていただけたものと信じておりますが、手付かずの瓦礫の山を見るとドキドキします。



ちょっと見づらいのですが、時計が14時46分で止まっているのです…

その後は事業所に戻り、従業員に対して、今後の見通しやおおまかな復興計画、会社からの金銭的支援、住宅関係等々の説明を行い、被災状況の個人別報告を受けたりします。
並行して持ってきた救援物資の配布も行いますが、これがナカナカに難しいのです(汗) たかだが30人くらいが対象なのですが、これが避難所だとしたら公平な配分は無理なのは当たり前ですが、それほど不公平感を与えない配給というのは果たしてできるのでしょうか?

日が暮れる頃から、足がなくて集合できなかった従業員の家を回りまして、先に集まってもらった従業員に説明したのと同じことを繰り返します。
最後に回った松島で
「湾がひとつ違っていれば家がなかったんですよ」
と言われた後に見た、大接近中の月(スーパームーン)が印象的でした。



さてさて、合宿所(?)に帰り、主要メンバーとの間でとにかく動き出さないと何も始まらないということでベクトルを合わせ、週明けからの再稼動に向けての段取りもまとまり、役割分担もはっきりさせたトコロで現地に入って2日目が終了です。
まっ、この日の夜も持参の鍋セット一式によるミニ宴会となったのは言うまでもありませんが、到着時よりミンナの顔が明るくなったように見えるのは気のせいでしょうか?

続く…

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コメント一覧

とも2
慣れませんなぁ
> SS-Kサン

あまりに殺伐とした光景をアップしてしまったこともあり、松島写真を追加しました。

しかし、かなりこたえましたよ…イロイロと…
SS-K
お疲れ様でございました。
最後の写真はいい写真でほっと一息つける感じですが、その前の各写真は厳しい現実ですね。
たぶん私ならバタンキューでしょうが、にいさんをはじめメンバーの方は流石タフですね。
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