週末のお昼ご飯は、パンを食べることが多いです。食べるパンは決まっていて、某ショッピングセンターに入っているパン屋さんのお米パンです。このお米パン、ずっしりとしていて、噛みごたえと程よい甘さに優しい安心感があります。
私はパン屋だけでなくレストランでも、「このお店ではこれ」というものが決まっています。多分、初めて行った時に選んで食べたものが美味しければ、「このお店ではこれ」が決まるので、それで安心してしまうのだと思います。季節限定とか新商品とかに手を出すことはまずありません。メニューであれば他のものにも挑戦したり冒険したりをほとんどしません。
ちなみにお店も限定的になります。お米パン屋はここ、このパン屋ではドライイチジクが入った全粒粉のハード系パン、インドカレーはここ、お蕎麦はここ、などなど。オリジナルのマイルールがあって、例えば出張で他都市に行った時はどうするのかと言えば、49年も生きてると大体のジャンルのレストランを経験してるので、ジャンルごとに頼むものリストが頭に入っていて、そこに当てはまるものから選びます。当てはまるものがなければ、謙虚に謙虚に謝ってお店を出ます。リストに無いものを食べると落ち着かなくて頭が暴走してしまったことがあるので、それを回避するため仕方がないのです。それでも年齢とともに頭の中のリストが充実してきたので、一旦入ったお店を出ることは最近ではありません。これでもだいぶ良くなった方だと思います。
選ぶものや頼むものに悩むことはないのでとても効率的!と本人は思っているものの、その反面、つまんない人間だなと思うこともありました。
つまらない人間といえば、私は小中学校の時から几帳面だったり時間厳守を徹底していたり、忘れ物や物を失くすこともなく、それができない同級生に寄り添うことも共感もできないタイプの本当に可愛げのない子供でした。
同級生たちと血液型の当てっこが始まると、「絶対A型だよね」と私が答える前に確定しました。両親も弟もA型のA型家族、もちろん私もA型で大正解なのですが、それがいつからか「あなたはつまらなそうな人」と言われていると感じるようになりました。その後、高校に入ったくらいの時でしょうか、初見でA型だと当てられないようにするという行動改革を開始しました。目指していたのは”O型”です。O型っぽい感じを自分なりにイメージして、抽象的な表現になりますが、A型の角を取りたいと、当時は切実に願ったものです。
どんなことをしていたのかというと結構くだらなくて、例えば試験や行事の準備とか、もうとっくに準備万端でスケジュールも全て把握しているのに「全然何もしてない」と言ったり、知っていたりわかっていたりすることも、他の人の発言を待つようにしたり、社会人になってからは、自分一人でやれるかやりたいことも人にお願いしたり頼ったりすることを努力してできるようになりました。つまり、行動改革なんかではなく、周りを見ながら公約数的なコミュニケーションが取れるようになった(と本人は思っている)ということです。
それが功を奏してか、30代では「A型かO型?」と疑問形になり、40代以降はまず「O型でしょう?」と言われます。血液型による性格の分類自体にはそもそもあまり興味がなく、それ自体に特に意味はないとも言われていますが、これは血液型どーのこーのの話ではなく、私が無知ながら自分のアスペルガー傾向に気づき、このままでは周りの人達と上手くやっていけないかもしれないという危険を察知し、自分の特性をマイルドにして、限定的な側面だけかも知れないけれど、少しでも生きやすくなろうと頑張った軌跡として記しておいても良いのでは?と思いました。
ちなみに、私は発達障害の診断を受けた訳ではありません。人生の様々な局面で生きづらさを感じ、自分の考え方の傾向やパターンを自分なりに整理してみたその延長線上で、ASD・ADHD・パーソナリティ障害について調べました。その中に思い当たるふしがいくつもいくつもあったので、定期的に受けている心理カウンセリングの中でテストをしてもらいました。その結果、いわゆるグレーゾーン呼ばれるところにあるようです。こういった特性は、年齢とともに落ち着いて行くのだそうです。40代になって、自分のことを少しだけ客観視できるようにもなったので、これからの人生をどうにか穏やかに生きるために、もう一踏ん張りしたいと思います。
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