昨日、一度会って遊んだこともあるSNS上の友人からブロック解除されていた。
元々彼女は忙しくて疎遠になっていたけれど一昨年、年賀状を私から出したのが最期になった。
それでもLINEであけましておめでとうの挨拶を交したし、交流があった時は数回ほど会って一緒に居酒屋で雑談したり映画を見たりした。
友人との別れというもの、というよりSNSの交友関係ほど悩まない人を年層問わず見てきた私は友人のなかには、幼なじみから酷い縁の切り方をされたという相談を受けた友人もいる。
そうならなくてよかったと思うし、好きなものも違っていたのもあると私は思っている。
けれど彼女を恨んだり悲しんだりしていないし、むしろ楽しい思い出だけが残っている事に感謝をしたい。
彼女とは、本や映画の話もたくさんしたし、一緒に古着屋を見たり心残りに悪い印象のない事だけが残っている。
しかし今思うと微妙に遠慮しがちな部分がお互いにあったと思う。
これは悲しみではない。
彼女は当時美術大学に通う大学生だった。
年明けから卒業制作にともない、忙しくなると少し寂しそうに笑っていた。
彼女と親しくなったのは彼女がまだ高校生の時で、きっかけは江森備の「私説三国志 天の華・地の風」の大ファンである私のSNSアカウントをフォローしてくれた事だった。
リプライでやりとりをしていくうちに親しくなり、LINEを交換してからはほぼ毎日、同じ熱中している事の話だけではなく日々の何気ない会話も楽しんだ。
彼女が課題で制作した作品も見せてもらったり美術展に行った時の作品の写真を見せてもらったりもした。
進撃の巨人を私がすすめてからは一緒に熱中し、アニメの感想を交したり彼女がイベントに出たりしたこともあった。
(彼女の本は2作品とも持っている)
だから縁が切れても彼女の進撃の巨人の同人誌が手元にあるし、美しい思い出だけが残っている。
私が同人誌を出した時も手伝ってくれたし、今でも表紙絵と挿絵が本当に美しいと思っているし感謝している。
SNSの人間関係こそリアルよりも狭いけれど、喧嘩別れではなかった事がよかった。
もしそうだったら、わだかまりが残り彼女に対して偏見しか残らなかったかもしれないから。
これからはお互い生きていく道は違くとも、彼女の生きていく道をそっと心の中で応援したいと思っている。
もしかしたら、またいつかどこかで縁が巡ってくるかもしれない。
それは分からないけれど、もしそうであればいいな、と今だけは少し余韻に浸る事を許してほしいと思う。
Oasisの「Stop Crying Your Heart」にこんな歌詞がある。
「僕らもみんな星なんだ
みんな消えていくけど
心配しなくていいんだよ
いつかきっとまた会える」
この歌詞を彼女との美しい交友の思い出に捧げたいと思う。
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