「見えるのかな?」と、私は子どもと顔を合わせて、二人して首をかしげることがあります。
それは、去年の暮れ、電話がかかってきたことから始まりました。
うちの人の母親からで、うちの人がいるかと聞いてきたのだけれど、留守だと言うと、「車の運転、気をつけるように。」と言っておいてとのことでした。
それだけが話題でもなかったのですが、帰宅したうちの人に伝えると、「なんやそれ。」とだけ返されました。
まあ、文字通り、車の運転、安全運転でねということでしょう。
それから、3日も経たないで、うちの人が事故ってしまって、本人も相手も大丈夫で、お互いの車もかすっただけ程度で済んで、事なきを得たのです。
その当時は、修理や保険やに気を取られて忘れていましたが、あとから、そう言えば、「おばあちゃん、あんなこと言ってたんだから、もう少し注意して運転すればよかったね。」と思い出しました。
それで、「見えるのかな?」と小首をかしげて、くすっと笑うことになったのです。
私は、全然見えないから、思い切り、どうしよう、こうしようか、ああしようか、と悩み抜きますね。
今回の旅行の件でも、家族揃って、行けないかもしれないから、悩みました。
でも、子どもがぽつりと先に帰ってもらっていいんじゃないかと言うのです。
無理にまた予定通りにみんな揃ってでなくていいと。
その一言で、おばあちゃんが自分の息子が留守やなと、何回一緒に行くといっても言うのが心にかかりました。
なんか留守番してくれてた方が安心のような言いぶりなので、先に家に帰ってもらうことの方がいいような気もしてくるのです。
私も自分のことなら、自分で悩んでも、えいやっと決めますが、家族のことまで、どやっと自信をもって決められないので、今回迷う気持ちを振り捨てて、なるようになるの精神で行こうと思います。
家族の安否なら、第6感で見えるのは、人間誰しも持つ能力で、とやかく言うほどのことではないかもしれないけれど、その見える程度が強い弱いはあるのかもと思います。
こんな私でも、今のところ、子どものことでは胸騒ぎを覚えたことがあるから、その時大怪我して電話があり、ああやっぱりと思いました。
まあ、子どものことはいつも気にかけてるから、たまたまかもしれませんが。
考え出すと、きりがありません。
この辺で。