一昨日の8月2日、父が逝ってしまいました。
数年前から腎臓を患い、それでも7月6日に実家に帰った時は、始めたばかりのプレちゃん逹の写真を見てニコニコし、美容院で撮った写真が父に似てる…と嬉しそうに見てくれてた父
その頃から食べれなくなり、24日受診日に妹が実家に帰ってきて一緒に病院へ行こうとしたところそれを拒み、今度は25日に私が実家に帰り病院へ連れて行こうとしても拒み、でも父の普通ではない状態、看病している母の疲れもかなり見えた為、救急車をお願いし病院へ運んでもらいました。
救急の先生は、検査数値が悪い事に驚き、直ぐに透析と判断しましたが、何年もお世話になっている担当の先生が本人が透析をしたくない意志を知っていた為、透析をせずにそのまま入院
前から「延命はしないでほしい…」という父の言うとおり、最低限の治療のみにしました。
その時、あとひと月くらいと言われた私は今のまだ笑っている父がこのまま続いてほしい…と思い、これからでも透析したら良くなるのではないか?と考え始め、3日くらい経った頃でしょうか、担当の先生にその事を聞いてみたところ、数値は一時的に良くなったとしても心臓へのリスクがあるという話し。
やはり本人の希望を尊重する事にしました。
日ごと弱まる父の姿に、ただ体をさする事しかしてあげれない自分。
あとひと月と言われていたのに入院して7日目には混濁状態になり、
8日目の8月2日、担当の先生から「お迎えが近いかもしれない」と。
16時すぎ痙攣、母が父の肩をさすりながら「逝かないで!逝かないで!」と叫び
それから一度安定した父でしたが、21時すぎて心臓がだんだんと弱まり、穏やかな顔で逝ってしまいました。
あまりにも病状の早い進み方に私は気持ちがついて行けなかった。
病院に行きたくないと言う父を無理矢理連れて行って可哀そうな事をしたいう想い
その時、本人はもう帰って来れないのを悟っていたのでしょうか?
31日すでに話しが出来ない父の難儀そうな姿を先生に伝えたが、本当に難儀かったのか?
その難儀さを麻薬で取ってあげましょう…という先生の話に承諾して良かったのか?
もう後悔してもどうにもならないけど…
あとひと月と聞いてから今日まで、人間こんなに涙が出るのか…と自分でも驚くほど涙が出ました。
でも不思議と仕事をしている時だけは、指導に集中しているせいか父の事を考えずにいれた。
まだ納棺していない今、普段と変わらず寝ているような父の顔
もうおじいちゃんだけど、私にはやっぱり幼い頃の父のまま
今年は長岡花火に呼んであげようと思っていたのに、長岡花火の日に逝ってしまうなんて…
淋しいよ。
でもやっと楽になって、良かったね。
数年前から腎臓を患い、それでも7月6日に実家に帰った時は、始めたばかりのプレちゃん逹の写真を見てニコニコし、美容院で撮った写真が父に似てる…と嬉しそうに見てくれてた父
その頃から食べれなくなり、24日受診日に妹が実家に帰ってきて一緒に病院へ行こうとしたところそれを拒み、今度は25日に私が実家に帰り病院へ連れて行こうとしても拒み、でも父の普通ではない状態、看病している母の疲れもかなり見えた為、救急車をお願いし病院へ運んでもらいました。
救急の先生は、検査数値が悪い事に驚き、直ぐに透析と判断しましたが、何年もお世話になっている担当の先生が本人が透析をしたくない意志を知っていた為、透析をせずにそのまま入院
前から「延命はしないでほしい…」という父の言うとおり、最低限の治療のみにしました。
その時、あとひと月くらいと言われた私は今のまだ笑っている父がこのまま続いてほしい…と思い、これからでも透析したら良くなるのではないか?と考え始め、3日くらい経った頃でしょうか、担当の先生にその事を聞いてみたところ、数値は一時的に良くなったとしても心臓へのリスクがあるという話し。
やはり本人の希望を尊重する事にしました。
日ごと弱まる父の姿に、ただ体をさする事しかしてあげれない自分。
あとひと月と言われていたのに入院して7日目には混濁状態になり、
8日目の8月2日、担当の先生から「お迎えが近いかもしれない」と。
16時すぎ痙攣、母が父の肩をさすりながら「逝かないで!逝かないで!」と叫び
それから一度安定した父でしたが、21時すぎて心臓がだんだんと弱まり、穏やかな顔で逝ってしまいました。
あまりにも病状の早い進み方に私は気持ちがついて行けなかった。
病院に行きたくないと言う父を無理矢理連れて行って可哀そうな事をしたいう想い
その時、本人はもう帰って来れないのを悟っていたのでしょうか?
31日すでに話しが出来ない父の難儀そうな姿を先生に伝えたが、本当に難儀かったのか?
その難儀さを麻薬で取ってあげましょう…という先生の話に承諾して良かったのか?
もう後悔してもどうにもならないけど…
あとひと月と聞いてから今日まで、人間こんなに涙が出るのか…と自分でも驚くほど涙が出ました。
でも不思議と仕事をしている時だけは、指導に集中しているせいか父の事を考えずにいれた。
まだ納棺していない今、普段と変わらず寝ているような父の顔
もうおじいちゃんだけど、私にはやっぱり幼い頃の父のまま
今年は長岡花火に呼んであげようと思っていたのに、長岡花火の日に逝ってしまうなんて…
淋しいよ。
でもやっと楽になって、良かったね。
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石川先生は以前、東京の池尻・十条・王子でバレエ教室をやっていたことはありませんでしたか?
約20年前に私が通っていたバレエ教室の先生と同姓同名・出身・お顔も似ていたので、もしかしたら…!と思いコメントしました。もし違っていたら申し訳ありません。
ごめんなさい、私は冨田則子と申します。
きっとお間違えになっていらっしゃると思いますよ。
人違いで申し訳ありませんでしたm(__)m
でもブログを読んでいて、バレエを習っていたときの楽しかった思い出がよみがえりました。
失礼致しましたm(__)m
きっと大好きな先生だったのですね!