九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

加佐登神社(三重県鈴鹿市)

2009-08-29 14:35:09 | 神社参拝ー中部
 加佐登神社(三重県鈴鹿市)を掲載しました。

 加佐登神社(かさどじんじゃ)
【鎮座地】〒513-0003 三重県鈴鹿市加佐登町2012 旧伊勢国 鈴鹿郡
【御祭神】日本武尊
(合祀)天照大御神 豐受大神 火之迦具土神 氣吹土主神 速玉之男命 天羽槌雄神 大國主命 伊邪那美神 伊邪那岐神 大雀命 建速須佐之男命 菅原道眞 品田和氣命 予母都事解之男神 息長帶比賣命 大山津見神
【例祭】10月7日 例大祭
【旧社格等】村社
【御由緒】
 加佐登神社由来記
祭神
 日本武尊
 天照大御神(他十四神、明治四十一年合祀)
由来
 古事記・日本書紀によると、日本武尊は第十二代景行天皇の皇子でした。生まれつき武勇にすぐれた尊は若くして九州の熊襲、出雲を平定し、つづいて東国の蝦夷征討へと旅立ちます。 
 尊は、各地で戦い勝利を続けましたが、伊吹山の戦いで傷つき病におかされ動かぬ身体を引きずってこの能褒野に辿り着つき、遥かに大和を望んで短い生涯を終えたと伝えられています。
      大和は国のまほろば たたなずく青垣
        山こもれる 大和しうるわし
 本殿北の白鳥塚は県下最大の円墳で、古くから日本武尊の御陵とされ、本居宣長・平田篤胤らによって延喜の諸陵式の能褒野と考えられました。この白鳥塚のそばに、尊が死の間際まで持っておられた笠と杖を御神体としてお祭りしたのが、加佐登神社の始まりです。  
 明治以前は御笠殿社と称され、諸病平癒の霊験あらたかで、人々の篤い信仰を受けてきました。
大祭は、日本武尊の命日と伝わる四月八日。
 古代、この地は景行天皇が行在所を置かれたことから高宮の里とも呼ばれ、附近には綺宮跡や奉冠塚・奉装塚など多くの古い塚が残っており、神苑は県下有数のつつじの名所として知られています。
 祭日
  ・大祭  四月八日 ・初八日大祭  一月八日 ・月次祭  毎月八日
  ・例祭  十月八日 ・春祭   二月二十一日 ・秋祭 十一月三十日
                             鈴鹿市教育委員会
 (境内社前案内板より)

 三重県鈴鹿市にあります。市のほぼ中央に位置する加佐登町、JR関西本線加佐登駅の北およそ1kmの椎山川に架かる白鳥橋を渡った丘の上に鎮座しています。
 加佐登の地名の由来は
古くは高津瀬村高宮と呼ばれていましたが、昭和17年の鈴鹿市制実施の時、当加佐登神社に因んで名づけられました。
 日本武尊が死の間際まで持っておられたという笠が納められていることから笠殿と呼ばれ、「かさどの」の「の」が略されて「かさど」になったと云われています。

  参道の鳥居
 鳥居をくぐり、両脇に寄進の灯篭が並んだ石畳の参道を進むと素朴な木製の鳥居が数基、左には近隣から出土した土器などを展示する高宮資料館があります。

 参道境内へは綺麗に整備された石段の参道を上ります。

  参道から拝殿
 石段を上がると、木製の鳥居が並んだ平坦な参道です。境内入口に小さな石造り鳥居、右に手水舎、左には参集殿です。

 参道の中央に一対の狛犬と木製の神明鳥居、鳥居をくぐると左は社務所、右には休息所があり、正面に拝殿から本殿です。

 拝殿 
日本武尊が東征の帰路、伊吹山で傷つき、伊勢能褒野で亡くなり、その魂は白鳥となって西へ飛び立ったという伝説の地に建っています。

 扁額はシンプルに「加佐登神社」とあります。拝殿内の額には「日本武尊」とあります。

 日本武尊像拝殿内にある木像です。

 本殿 
御祭神は日本武尊、天照大御神他14神。日本武尊が死ぬ間際に持っていた笠と杖をご神体として祀ったのが創祀と伝えられています。
 古くはは御笠殿社と称されていましたが、明治6年に現在の加佐登神社になり、明治41年に近隣の神社を合祀し、現在に至っています。

 境内社本殿右奥にあります。小祠、石碑、石像などが多数見られます。
 境内社はこのほか、拝殿右に朱の鳥居の稲荷神社があります。

  日本武尊像本殿右にあります。
 こちらは石像です、何故か長いあごひげをはやして老人に見えます。

  拝殿から参道
 境内はわりと広くゆったりとして、綺麗に整備されています。

 白鳥塚拝所への参道入口当社の裏、北西に200mほどにあります。
日本武尊の御陵とされ、尊が白鳥となって飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれています。
 拝所への入口に新旧ふたつの史蹟碑があります。

 白鳥塚拝所史蹟碑から10数m上った処が拝所です。
 古くから日本武尊の御陵とされ、本居宣長、平田篤胤らによって延喜の諸陵式の能褒野墓と考えられていましたが、明治12年に当時の内務省が亀山市の能褒野王塚古墳を日本武尊墓と指定し、能褒野神社が創立されました。

 白鳥塚古墳
 白鳥塚古墳は、三重県下最大の円墳とされていましたが、最近の調査で、墳長78m帆立貝式の前方後円墳であることが判明しました。

 三重県指定史跡
 白鳥塚古墳
             昭和12年11月10日指定
             平成18年03月17日追加指定        
この古墳は古くから日本武尊やまとたけるのみこと(倭建命)の墓との言い伝えがあり、尊が葬られた後に白鳥となり飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚(しらとりづか)と呼ばれている。かつて県内最大の円墳とされていたが、近年の発掘調査の結果、東側に造出しを持つ帆立貝式の前方後円墳であることが判明した。墳丘長は78mで、円丘部の径67m、高さ9m、方丘部の長さ16.4m、幅27mである。
 円丘部は高さ1.5m、径77mの基壇上に二段に築成されており、葺石・埴輪を有する。方丘部は丘陵を幅8mの溝で区画することにより形作られている。埴輪には円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、壷、蓋(きぬがさ)、盾形の形象埴輪があり、その型式から5世紀前半に築造されたとみられる。鈴鹿川流域を支配し
た首長の墳墓である。
  平成21年3月    鈴鹿市
 (現地説明板より)

  参道から鳥居
 すぐそばに加佐登調整池があり、周囲はのどかな田園地帯です。
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