小國神社(静岡県森町)を掲載しました。
小國神社(おくにじんじゃ)
一宮様(いちのみやさま)
【鎮座地】〒437-0226 静岡県周智郡森町一宮3956-1 旧遠江国 周智郡
【御祭神】大己貴命
【例祭】
【旧社格等】國幣小社 (現別表神社)
遠江國一の宮
式内社 遠江國周知郡 小國神社
【御由緒】
小國神社
御由緒の概略
鎮座地 静岡県周智郡森町一宮3、956番地の1
御祭神 大己貴命
御神徳
須佐之男命の御子にして父神の命により豊葦原の国を開発し稲穂の稔る瑞穂の国に造り上げ天孫に国土を奉つた大功を称へて大国主命とも国作之大神とも大穴牟遅神と称へ又農業山林鉱業縁結び医薬禁圧の法を授け給ふ徳を称へて大物主神とも宇都志国玉神とも大国玉神と称へ又艱難辛苦の修養を積まれ統治者となられ国中の悪神を平定せられた質実剛健と勇気を称へ葦原醜男命とも八千矛命と申し尊貴を称へて大己貴命と申す等国土開発福徳縁結び山林農業医薬知徳剛健等の守護神と敬はれ御神徳極めて高い
本社を小國神社と申すのは出雲の大本宮に対する遠江国地方の美称であつて当社は古来より許当麻知神社(願い事を待つ意)とも事任神社(願い事のままに叶う意)とも固有の別名がある
御由来
創祀は神代と伝へられ上代のことは詳でないが社記によれば人皇第29代欽明天皇の御代18年2月18日本宮山に御神霊が出現せられ奇瑞あり天聴に達し勅使を差遣せられ社殿を造営し正一位の神階を授けらる第60代醍醐天皇の延喜7年に勅して社殿を改造せられ延喜式内社に列す承和7年及貞観2年16年従四位の神階を奉る
第96代後醍醐天皇の元弘建武変乱以来勅使が廃れ神主代りて其の式を行い戦乱相次ぐ室町時代に至も神事祭礼欠くる事無く朝野の崇敬極めて篤く遠江国一宮と称へられる
(平成祭データ)
静岡県の西部、浜名湖の東に位置し「森の石松」で有名な森町にあります。天竜浜名湖鉄道「遠江一宮駅」の北北東およそ3km、神体山の本宮山南麓、一宮の古代の森に鎮座しています。かつて秋葉街道の宿場町として栄え「遠州の小京都」ともよばれています。
参道入口
一の鳥をくぐりまっすぐ進むと古代の面影を残す老杉、老檜の森の入口に出ます。入口には事待池へ通じる小川に架かる神橋があります。
二の鳥居
樹齢800年を越す神代杉などの巨木に囲まれた参道を進むと、社殿のある境内入口(明治15年に消失した楼門のあった場所)に一の鳥居と同じ造りの二の鳥居です。
拝殿
二の鳥居をくぐると直ぐ右に舞楽舎、舞殿が並び、左は社務所から授与所、石畳参道正面に拝殿、垣内奥に本殿です。
拝殿
創始は神代とされ、欽明天皇16年(555年)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まると伝えられています。
「小國」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるとされています。
大宝槌拝殿左手前にあります。
御祭神大己貴命だいこくさまの御神宝である宝槌です。
本殿
現在の本殿は明治19年(1886年)再建されたもので大社造りです。垣の中にあり屋根だけで全容は見られません。
社殿全景
左から舞楽舎、4月の例祭に国の重要無形民族文化財に指定されている十二段舞楽が奉奏される舞殿、入母屋造りの拝殿、大社造り本殿、神徳殿です。
末社・飯王子社一の鳥居をくぐって直ぐ、参道左にあります。
神託により五穀豊穣を願って遠州横須賀に向け て保食神が祀られています。
末社・鉾執社参道左、手水舎に続いてあります。社家の祖靈が祀られています。
事待池参道左にあります。
鬱蒼とした樹木に囲まれ独特の雰囲気の漂う神池です。池には心願成就して放たれた鯉が泳いでいます。
事待池
本社に詣で願掛けをして心願成就すれば池に鯉を放つので「ことまち池」という 又池の水を汲み「いぼ」に付けると「いぼ」がとれるというので「いぼとり池」ともいう
(現地案内板より)
末社・宗像社事待池に浮かぶ小島にあります。
御祭神は宗像三女神の田心姫命、田霧姫命、市杵嶋姫命です。
末社・八王子社宗像社のある小島から朱の欄干の橋を渡った奥にあります。
御祭神は天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた五男三女神です。
末社・全國一宮等合殿社参道を進むと神幸所に続いて左にあります。
全國一宮等合殿社
創建由来
延宝八年の社記・諸古文書の社頭配置図に依ると全國一宮等御祭神七十三柱が境内社として各所に祀られていたが明治の初めに本社焼失時又は腐朽等により明治十五年より境内末社八王子社に仮合祀されたものを平成元年十二月氏子崇敬者の守護神として復興鎮祭する。
例祭日 四月八日
(社前案内板より)
大杉全國一宮等合殿社の右にあります。
当社神木の一つで慶長の古図(約400年前)に大杉と記載されています。昭和47年の台風で倒れて此処に置かれています。
家康公の立あがり石二の鳥居の左手前にあります。
徳川家康公の天下統一の基は浜松在城十五年間の辛苦の賜ものといわれる。
三方原合戦の前年元亀三年九月願文と三条小鍛冶宗近の太刀を当社に奉りて開運を祈願し、次いで大正二年四月、犬居城攻略の道すがら参拝し、此の石に腰かけて休息されたと伝えられる。
以来、此の事を悲境をのりこへた「立あがり石」と言われ、石にあやかりたいとして人生の再起を念じて石に腰かけて帰る者少なくない。
(現地案内板より)
拝殿から参道
拝殿からは参道が一直線に延びて綺麗に整備された石畳の参道、二の鳥居から一の鳥居まで見通せます。
境内から二の鳥居
参拝当日は大安の日曜日、新郎新婦の晴れやかな姿が見られました。
参道入口から一の鳥居
境内および周辺は自然豊かで春の桜、秋の紅葉の名所のようですが、残念ながら桜はつぼみ状態でした。秋の紅葉も見たいものです。
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