雄山神社中宮祈願殿(富山県立山町)を掲載しました。
雄山神社中宮祈願殿(おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん)
<通称>芦峅地雄山神社(あしくらじおやまじんじゃ)
【鎮座地】〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺2 旧越中国 新川郡
【御祭神】天手力雄命 伊弉那岐命 (配祀)文武天皇 佐伯宿禰有若 稻背入彦命
【例祭】
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
越中國一宮
式内社 越中國新川郡 雄山神社
【御由緒】
由緒書
西本殿 立山大宮 伊弉那岐命
祭神 東本殿 立山若宮 天手力雄命
別 宮 立山開山堂 佐伯有頼公
當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国幣小社であり鎌倉時代神道集によれば越中国一の宮と称せらる。鎌倉幕府室町幕府金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し全国に立山の霊験を布教せり。
総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり樹林は富山県天然記念物に指定せらる。
境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。
(社頭由緒掲示板より)
立山連峰の西麓、立山町芦峅寺にあります。雄山神社前立社壇から常願寺川沿いに走る県道6号線を東に10kmほど、立山博物館のすぐ手前、道路沿いに鳥居です。
鳥居から参道
鳥居をくぐると直ぐ右に手水舎、両脇に巨木の聳える石畳の参道を進むと両脇に一対の石灯籠と狛犬に続いて玉垣です。入って直ぐ左に社務所です。
境内末社・神明社玉垣を入ると参道右、水神社に続いてあります。
御祭神は中央に天照皇大御神、向って右、豊受大神、左、麻続祖神。以前芦峅寺村の産土鎮守さまで、春秋の祭りは賑やかです。
その左には境内末社・治国社(通称、宝童社)が並んであります。御祭神は新川姫神で案内に「本来、大川(常願寺川)を司る神として祀られ、現今俗に耳垂れ地蔵さまと申し、首から上の病気の守護神として、又、子育ての守り神として深く信仰さる」とあります。
斎戒橋から参道参道途中に朱の欄干の小さな橋があります。
参道は此処から左右に分岐しています。右に進むと立山若宮から立山の御開祖・佐伯有頼慈興上人を祀る摂社立山開山堂、左は祈願殿から一番奥に立山大宮です。
石像参道左にあります。
ユーモラスな石像です、熊にまたがった御開祖・佐伯有頼慈興上人でしょうか?
立山開山御廟参道中央、祈願殿の手前にあります。
御開祖・佐伯有頼慈興上人の御廟です。
本殿・立山若宮境内右奥、岩の上に鎮座しています。主祭神・天手力雄神(号・刀尾天神剱岳神、本地不動明王)相殿神に稲背入彦命が祀られています。
立山若宮
御祭神 刀尾天神(天手力雄神)
稲背入彦命
佐伯有頼命
古来より立山若宮権現と称し、刀尾天神二十一末社の総本宮として厚く崇敬されてまいり、殊に足利将軍義植公の祈願奉幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将江戸時代清里武門より敬信の誠を捧げられ、大願成就必勝不敗災難除けの神として信仰される。
また霊峰立山登拝の諸人は必ず参拝するを例とした。
(現地案内板より)
祈願殿(拝殿)
御廟の奥にあります。諸祭礼、諸祈願等の行われる当社の中心的建物です。施錠されてなく「ご自由に中に入ってお参り下さい」とあります。明治維新までは大講堂と称し、改新後祈願殿と呼ばれています。
祈願殿(拝殿)の扁額
扁額には「昭和五十三年正月 立山大権現 四十二才同年 一同」とあります。厄除け祈願の奉納と思われます。
祈願殿本殿祈願殿の裏手、階段上にあります。
両本殿主祭神をはじめ、立山全山三十六末社の神々が合祀されています。
扁額には「立山根本中宮」とあります。
境内末社・神秘社祈願殿を過ぎて参道右にあります。
山神社とも呼ばれ、御祭神は造化三神・大山祇神・久々廼智神が祀られれtいます。手前に面白い形の杉があります。
参道から本殿・立山大宮
杉の巨木に覆われた参道の突き当りに本殿・立山大宮です。以前は大拝殿、本殿と威容を誇っていましたが、明治初年、落石により破壊されています。
主祭神・伊邪那岐神(号・立山権現雄山神、本地阿弥陀如来)相殿神・第四十二代文武天皇、佐伯宿祢有若公です。
参道
参道途中に趣のある苔むした石灯籠などがあり、独特の雰囲気があります。参道右は境内末社・稲荷社があります。
参道から境内入口
参拝当日は生憎の雨で写真はあまり良くありませんが、雨の中の参拝もたまにはいいものです。
雄山神社中宮祈願殿(おやまじんじゃちゅうぐうきがんでん)
<通称>芦峅地雄山神社(あしくらじおやまじんじゃ)
【鎮座地】〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺2 旧越中国 新川郡
【御祭神】天手力雄命 伊弉那岐命 (配祀)文武天皇 佐伯宿禰有若 稻背入彦命
【例祭】
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
越中國一宮
式内社 越中國新川郡 雄山神社
【御由緒】
由緒書
西本殿 立山大宮 伊弉那岐命
祭神 東本殿 立山若宮 天手力雄命
別 宮 立山開山堂 佐伯有頼公
當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国幣小社であり鎌倉時代神道集によれば越中国一の宮と称せらる。鎌倉幕府室町幕府金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し全国に立山の霊験を布教せり。
総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり樹林は富山県天然記念物に指定せらる。
境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。
(社頭由緒掲示板より)
立山連峰の西麓、立山町芦峅寺にあります。雄山神社前立社壇から常願寺川沿いに走る県道6号線を東に10kmほど、立山博物館のすぐ手前、道路沿いに鳥居です。
鳥居から参道
鳥居をくぐると直ぐ右に手水舎、両脇に巨木の聳える石畳の参道を進むと両脇に一対の石灯籠と狛犬に続いて玉垣です。入って直ぐ左に社務所です。
境内末社・神明社玉垣を入ると参道右、水神社に続いてあります。
御祭神は中央に天照皇大御神、向って右、豊受大神、左、麻続祖神。以前芦峅寺村の産土鎮守さまで、春秋の祭りは賑やかです。
その左には境内末社・治国社(通称、宝童社)が並んであります。御祭神は新川姫神で案内に「本来、大川(常願寺川)を司る神として祀られ、現今俗に耳垂れ地蔵さまと申し、首から上の病気の守護神として、又、子育ての守り神として深く信仰さる」とあります。
斎戒橋から参道参道途中に朱の欄干の小さな橋があります。
参道は此処から左右に分岐しています。右に進むと立山若宮から立山の御開祖・佐伯有頼慈興上人を祀る摂社立山開山堂、左は祈願殿から一番奥に立山大宮です。
石像参道左にあります。
ユーモラスな石像です、熊にまたがった御開祖・佐伯有頼慈興上人でしょうか?
立山開山御廟参道中央、祈願殿の手前にあります。
御開祖・佐伯有頼慈興上人の御廟です。
本殿・立山若宮境内右奥、岩の上に鎮座しています。主祭神・天手力雄神(号・刀尾天神剱岳神、本地不動明王)相殿神に稲背入彦命が祀られています。
立山若宮
御祭神 刀尾天神(天手力雄神)
稲背入彦命
佐伯有頼命
古来より立山若宮権現と称し、刀尾天神二十一末社の総本宮として厚く崇敬されてまいり、殊に足利将軍義植公の祈願奉幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将江戸時代清里武門より敬信の誠を捧げられ、大願成就必勝不敗災難除けの神として信仰される。
また霊峰立山登拝の諸人は必ず参拝するを例とした。
(現地案内板より)
祈願殿(拝殿)
御廟の奥にあります。諸祭礼、諸祈願等の行われる当社の中心的建物です。施錠されてなく「ご自由に中に入ってお参り下さい」とあります。明治維新までは大講堂と称し、改新後祈願殿と呼ばれています。
祈願殿(拝殿)の扁額
扁額には「昭和五十三年正月 立山大権現 四十二才同年 一同」とあります。厄除け祈願の奉納と思われます。
祈願殿本殿祈願殿の裏手、階段上にあります。
両本殿主祭神をはじめ、立山全山三十六末社の神々が合祀されています。
扁額には「立山根本中宮」とあります。
境内末社・神秘社祈願殿を過ぎて参道右にあります。
山神社とも呼ばれ、御祭神は造化三神・大山祇神・久々廼智神が祀られれtいます。手前に面白い形の杉があります。
参道から本殿・立山大宮
杉の巨木に覆われた参道の突き当りに本殿・立山大宮です。以前は大拝殿、本殿と威容を誇っていましたが、明治初年、落石により破壊されています。
主祭神・伊邪那岐神(号・立山権現雄山神、本地阿弥陀如来)相殿神・第四十二代文武天皇、佐伯宿祢有若公です。
参道
参道途中に趣のある苔むした石灯籠などがあり、独特の雰囲気があります。参道右は境内末社・稲荷社があります。
参道から境内入口
参拝当日は生憎の雨で写真はあまり良くありませんが、雨の中の参拝もたまにはいいものです。
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