霧島神宮(鹿児島県霧島市)を掲載しました。
霧島神宮(きりしまじんぐう)
<通称>おきりしまさま(おきりしまさま)
【鎮座地】〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 旧日向国 諸県郡
【御祭神】天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
(配祀)木花咲耶姫尊 彦火火出見尊 豐玉姫尊 鵜鵜葺不合尊 玉依姫尊 神日本磐余彦尊
【例祭】 9月19日 例祭
【旧社格等】官幣大社 (現別表神社)
式内社 日向國諸縣郡 霧嶋神社
【御由緒】
御祭神
天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくにぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)
御系譜
伊邪那岐神
|ー天照皇大神ー天忍穂耳尊ー瓊瓊杵尊ー
伊邪那美神 |ー*彦火火出見尊
*木花開姫尊 |ー
*豊玉姫尊ーー
ーー*鸕鷀草茸不合尊 第一代神武天皇 第124代 第125代
|ーー*神倭磐余彦尊・・・・・・・昭和天皇ーー今上陛下
*玉依姫尊ーーー
(*皇神六柱は本宮相殿に奉斎)
御由緒
当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしているお社です。
旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四〇年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。
いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳五年(一、七一五年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。
畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。
平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海抜五〇〇米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峯(標高一、五七四米)頂上には神代の旧物”天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
(神社パンフレット、霧島神宮参詣の栞より)
鹿児島・宮崎県境の霧島市(旧姶良郡霧島町)にあります。JR霧島神宮駅から北東におよそ4km、国道223号線沿いに大鳥居です。
参拝当日は朝からあいにくの雨天で霧島連峰の山並みも望めません、また写真もあまり良くありません。
神橋から二の鳥居
一の鳥居(大鳥居)を過ぎてしばらくで朱の神橋の向こう階段の上に二の鳥居です。
二の鳥居から表参道
神橋をわたり階段を上ると二の鳥居から、綺麗に整備された表参道です。
三の鳥居
二の鳥居から表参道を進み、右に曲がると左に社務所、正面階段上に三の鳥居が見えてきます。
冠木門三の鳥居の左手前にあります。
昭和10年(陸軍大演習)と昭和59年(全国植樹祭)の昭和天皇御親拝の時、休息された御座所の門です。
三の鳥居から社殿
三の鳥居をくぐると巨木に囲まれた参道の向こうに社殿です。
参道から社殿全景
左に授与所、右には手水舎、正面に平成5年国の重要文化財の指定を受けた、朱塗りの華麗な社殿です。
社殿全景
鹿児島地方独特のレイアウトです。左右に長庁と呼ばれる廻廊を持つ勅使殿、拝殿、幣殿、本殿と配置されています。
現在の社殿は正徳五年(1715年)第21代島津藩主・島津吉貴が建立したものです。
手水舎と御神木
境内左に手水舎と御神木の杉(霧島メアサ)、樹齢約800年・樹高35m、霧島杉とも呼ばれ南九州一帯の杉の祖先とされています。
門守神社から勅使殿左右に門守神社です。
それぞれ櫛磐間戸神、豐磐間戸神が祀られています。
勅使殿
勅使門の変形で鹿児島地方独特の建築様式です。一般の参拝は此処で行います。
向拝には極彩色の彫刻が施され、南国の雰囲気が漂います。
勅使殿の賽銭箱
天明元年(1781年)8月の奉納、大きな菊の紋章が目につきます。
拝殿から本殿手前から神饌所、拝殿、幣殿、本殿です。
登廊下から拝殿
正式な参拝、儀式の行われる拝殿へは登廊下で接続されています。右は税所篤如を祀る税所神社です。
勅使殿、東長庁から拝殿
神楽殿境内右奥にあります。
平成17年秋、御鎮座1460年を記念して建設されました。
境内から参道
境内の紅葉
境内は春の桜、初夏のミヤマキリシマ、晩秋の紅葉と四季を通して楽しめる名所です。
神聖降臨之詩碑三の鳥居下にあります。
昭和27年卒寿を迎えた、思想家徳富蘇峰の詩詠揮毫、「神聖降臨地乾坤定位時 煌々至霊気萬世護 皇基」とあります。
昭和27年8月23日、地元の海運会社が同社のタンカー「霧島丸」の進水を記念して奉納されました。
坂本龍馬とおりょうの像
展望所前にあります。慶応2年(1866)日本で最初の新婚旅行で当地を訪れ、当宮に参詣しました。
坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念
今からちょうど百三十年前、慶応二年(1866年)日本の歴史の大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩(鹿児島)に訪れています。
京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。
姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。
下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊しそこから霧島の温泉に戻り四月十二日鹿児島へ帰っているようです。
坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。
このことは龍馬が姉乙女宛へ送ったと言われる手紙から抜粋し要約したものです
参考文献(京都国立博物館蔵より) 一九九六年十二月 霧島町
(案内板より)
展望所からの景観
海抜500mのここから、晴れた日には桜島から開聞岳が望めますが、あいにくの天気で残念でした。
霧島神宮(きりしまじんぐう)
<通称>おきりしまさま(おきりしまさま)
【鎮座地】〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5 旧日向国 諸県郡
【御祭神】天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
(配祀)木花咲耶姫尊 彦火火出見尊 豐玉姫尊 鵜鵜葺不合尊 玉依姫尊 神日本磐余彦尊
【例祭】 9月19日 例祭
【旧社格等】官幣大社 (現別表神社)
式内社 日向國諸縣郡 霧嶋神社
【御由緒】
御祭神
天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくにぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)
御系譜
伊邪那岐神
|ー天照皇大神ー天忍穂耳尊ー瓊瓊杵尊ー
伊邪那美神 |ー*彦火火出見尊
*木花開姫尊 |ー
*豊玉姫尊ーー
ーー*鸕鷀草茸不合尊 第一代神武天皇 第124代 第125代
|ーー*神倭磐余彦尊・・・・・・・昭和天皇ーー今上陛下
*玉依姫尊ーーー
(*皇神六柱は本宮相殿に奉斎)
御由緒
当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしているお社です。
旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四〇年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。
いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳五年(一、七一五年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。
明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。
畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。
平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海抜五〇〇米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峯(標高一、五七四米)頂上には神代の旧物”天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
(神社パンフレット、霧島神宮参詣の栞より)
鹿児島・宮崎県境の霧島市(旧姶良郡霧島町)にあります。JR霧島神宮駅から北東におよそ4km、国道223号線沿いに大鳥居です。
参拝当日は朝からあいにくの雨天で霧島連峰の山並みも望めません、また写真もあまり良くありません。
神橋から二の鳥居
一の鳥居(大鳥居)を過ぎてしばらくで朱の神橋の向こう階段の上に二の鳥居です。
二の鳥居から表参道
神橋をわたり階段を上ると二の鳥居から、綺麗に整備された表参道です。
三の鳥居
二の鳥居から表参道を進み、右に曲がると左に社務所、正面階段上に三の鳥居が見えてきます。
冠木門三の鳥居の左手前にあります。
昭和10年(陸軍大演習)と昭和59年(全国植樹祭)の昭和天皇御親拝の時、休息された御座所の門です。
三の鳥居から社殿
三の鳥居をくぐると巨木に囲まれた参道の向こうに社殿です。
参道から社殿全景
左に授与所、右には手水舎、正面に平成5年国の重要文化財の指定を受けた、朱塗りの華麗な社殿です。
社殿全景
鹿児島地方独特のレイアウトです。左右に長庁と呼ばれる廻廊を持つ勅使殿、拝殿、幣殿、本殿と配置されています。
現在の社殿は正徳五年(1715年)第21代島津藩主・島津吉貴が建立したものです。
手水舎と御神木
境内左に手水舎と御神木の杉(霧島メアサ)、樹齢約800年・樹高35m、霧島杉とも呼ばれ南九州一帯の杉の祖先とされています。
門守神社から勅使殿左右に門守神社です。
それぞれ櫛磐間戸神、豐磐間戸神が祀られています。
勅使殿
勅使門の変形で鹿児島地方独特の建築様式です。一般の参拝は此処で行います。
向拝には極彩色の彫刻が施され、南国の雰囲気が漂います。
勅使殿の賽銭箱
天明元年(1781年)8月の奉納、大きな菊の紋章が目につきます。
拝殿から本殿手前から神饌所、拝殿、幣殿、本殿です。
登廊下から拝殿
正式な参拝、儀式の行われる拝殿へは登廊下で接続されています。右は税所篤如を祀る税所神社です。
勅使殿、東長庁から拝殿
神楽殿境内右奥にあります。
平成17年秋、御鎮座1460年を記念して建設されました。
境内から参道
境内の紅葉
境内は春の桜、初夏のミヤマキリシマ、晩秋の紅葉と四季を通して楽しめる名所です。
神聖降臨之詩碑三の鳥居下にあります。
昭和27年卒寿を迎えた、思想家徳富蘇峰の詩詠揮毫、「神聖降臨地乾坤定位時 煌々至霊気萬世護 皇基」とあります。
昭和27年8月23日、地元の海運会社が同社のタンカー「霧島丸」の進水を記念して奉納されました。
坂本龍馬とおりょうの像
展望所前にあります。慶応2年(1866)日本で最初の新婚旅行で当地を訪れ、当宮に参詣しました。
坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念
今からちょうど百三十年前、慶応二年(1866年)日本の歴史の大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩(鹿児島)に訪れています。
京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯にある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。
姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似ていると二人で微笑んだと記されています。
下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景であったそうです。またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここに一泊しそこから霧島の温泉に戻り四月十二日鹿児島へ帰っているようです。
坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と示され、現在の新婚旅行とも言われています。
このことは龍馬が姉乙女宛へ送ったと言われる手紙から抜粋し要約したものです
参考文献(京都国立博物館蔵より) 一九九六年十二月 霧島町
(案内板より)
展望所からの景観
海抜500mのここから、晴れた日には桜島から開聞岳が望めますが、あいにくの天気で残念でした。
私が運営する、鹿児島県の観光・温泉紹介ホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「霧島神宮訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKAN01.HTM
から貴記事にリンクを張りましたので、その旨報告申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Linkの件、了解いたしました。わざわざ御連絡頂きありがとうございます。
今後とも宜しくお願いします。