先日の続きです、直方から香春町を経由して帰宅しました。
鏡山大神社(かがみやまだいじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1402 福岡県田川郡香春町大字鏡山字南原705 旧豊前国 田川郡
【御祭神】神功皇后 仲哀天皇
【例祭】3月春分 春季例祭 5月2日 例祭 9月秋分 秋季例祭
【御由緒】
仲哀天皇は神功皇后と共に熊襲を御征伐になられたが、やがて陣中に崩ぜられた。皇后は熊襲の叛服常なきは新羅の後援によるものであると御親ら男装し舟師をひきい新羅に向はせられた。その途路、此の岡に天神地祇を祭り必勝を祈願し、皇后の御魂を鎮め給いし御鏡を祀り崇め給いしが、御社の草創と伝えられる。祭神は神功皇后を主神とし後仲哀天皇を併祀せらる。
皇后御鎮座(西紀二七〇年)より此の方一千七百余年を閲する御宮居である。
昭和六十三年一月吉日 宮司 鶴我盛仁
(境内入口社号碑より)
当社は香春町から小倉方面と行橋市への分岐点「唐子橋」から行橋市に向かう国道201号線に入りすぐの500mほどの鏡山にあります。典型的な神奈備の森に見えます。ここから更に国道を進むとその名も「仲哀トンネル」があり、神功皇后伝説にまつわる土地であることがわかります。
「御由緒」にあるとおり、神宮皇后の魂を鎮めたと伝わる鏡が奉納され、ここの地名「鏡山」の由来になったと伝えられています。
二の鳥居
国道から田んぼの中に一直線に延びる参道の銅製の一の鳥居から100mほどで長い石段が続く境内への参道の入口です。
逆立ちの狛犬が迎えてくれます。
参道
拝殿と扁額
本殿ともにコンクリート製のようです。
本殿
猿田彦大神と稲荷社
石段の参道の下、社号碑の裏にありました。
鏡山大神社(かがみやまだいじんじゃ)
【鎮座地】〒822-1402 福岡県田川郡香春町大字鏡山字南原705 旧豊前国 田川郡
【御祭神】神功皇后 仲哀天皇
【例祭】3月春分 春季例祭 5月2日 例祭 9月秋分 秋季例祭
【御由緒】
仲哀天皇は神功皇后と共に熊襲を御征伐になられたが、やがて陣中に崩ぜられた。皇后は熊襲の叛服常なきは新羅の後援によるものであると御親ら男装し舟師をひきい新羅に向はせられた。その途路、此の岡に天神地祇を祭り必勝を祈願し、皇后の御魂を鎮め給いし御鏡を祀り崇め給いしが、御社の草創と伝えられる。祭神は神功皇后を主神とし後仲哀天皇を併祀せらる。
皇后御鎮座(西紀二七〇年)より此の方一千七百余年を閲する御宮居である。
昭和六十三年一月吉日 宮司 鶴我盛仁
(境内入口社号碑より)
当社は香春町から小倉方面と行橋市への分岐点「唐子橋」から行橋市に向かう国道201号線に入りすぐの500mほどの鏡山にあります。典型的な神奈備の森に見えます。ここから更に国道を進むとその名も「仲哀トンネル」があり、神功皇后伝説にまつわる土地であることがわかります。
「御由緒」にあるとおり、神宮皇后の魂を鎮めたと伝わる鏡が奉納され、ここの地名「鏡山」の由来になったと伝えられています。
二の鳥居
国道から田んぼの中に一直線に延びる参道の銅製の一の鳥居から100mほどで長い石段が続く境内への参道の入口です。
逆立ちの狛犬が迎えてくれます。
参道
拝殿と扁額
本殿ともにコンクリート製のようです。
本殿
猿田彦大神と稲荷社
石段の参道の下、社号碑の裏にありました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます